5話 今回は炎なしで踊ります
結婚式には「外せない予定が入っているので、せめてお祝いの言葉だけでも……」という体で、顔だけ出すことにしたヴァネッサとダリウス。待ちに待った夜になり、二人は、影に潜むために用意した光沢のないシンプルな紺色のドレスとスーツに身を包み、宴の会場であるアズィーム家へと向かっていた。
王族がいきなり参加してはザハブたちの計画が変更される可能性があるため、直接的に参加するつもりはない。代わりに、ミアとスチュワートに開始直後からいてもらっている。こっそり潜入するのだ。
ちなみに、同じ理由で、傷のついたコップで水を飲むこと、パイナップルを食べることを咎めることはしていない。サソリ毒の入った食前酒はというと、ライルもミアもスチュワートも飲んでいる。しかし、事前に解毒薬を飲んでいるため効果はないだろう。この薬はほんの少しだけサーフィにも飲ませてある。
ジッと目を見張っていたその時、窓際から夜空へと、薄く細い光の筋が走った。
ライルからの合図だ。予想通りの時刻である。
「さぁ、行きましょう」
ライルから貰った偽名の招待状を取り出し、ヴァネッサは門番へと近づく。その手をダリウスがそっと引いた。
振り向いて見えた彼は、しおらしげに下を向いていた。しゅんと垂れた犬の耳が見えるが、幻覚だろう。
「どうしましたか? ダリウス殿下」
「……本当に、実行するんだな?」
潜入ではミアにのみ行動させたが、今回は異なる。むしろ、一番大目立ちする役割かもしれない。それこそ、四人との連携が悪かったら、警察のお縄になるかもしれないくらいに。
だからだろう。ダリウスはやはり、心の底から了承することはできないようだ。もしかすると他の三人もなのかもしれない。
(もしダリウス殿下が積極的に動くとなったら、私だって心配でたまらくなるかもしれないわね)
相手の強さを知ってはいても、危険を冒す姿自体、見たくないのだ。
ヴァネッサはきゅっと唇を締め、次いで柔らかに微笑んだ。
「私を信じてくださいませ。殿下を悲しませるようなことにはなりませんわ」
――それに、殿下とミア、スチュワート、ライルたちが協力してくれるのだから。
大丈夫だと言うヴァネッサを見つめて、ダリウスはぐっと眉を寄せた。そして、手が離される。
「少しでも危険だと判断したらやめてくれ。暗殺を阻止する方法自体はいくらでもある。その後に、誤解を解く計画を建てればいい」
「わかっていますわ」
「ブレスレットは?」
「ここにあり――」
きちんと確認するためにスカートを捲ったところ、ダリウスが光の速さで目を閉じた。聖画のように静かな真顔である。
「申し訳ございません。はしたないですわよね」
急いでスカートの裾を戻すと、ダリウスは目を瞑ったまま頭を横に振った。
「いや、仕方がないとは思う……行こう」
「は、はい」
今度は目を逸らしている彼に差し出された手を取って、ヴァネッサは再び歩き出した。
★★★
潜入は成功。
食前酒をとっくに飲み終え、更には人脈を広げるために話しかけてきた者たちの会話を切り抜け、ヴァネッサはダリウスを会場に残し廊下へと出ていた。
予定通り離れられたのは、客たちに食前酒がよく効いていたお陰だろう。話した人間のほとんどが、酔っ払いとは異なったハイテンションを見せていた。そのせいで外に躍り出る演技をしなければならなかったのだが、どうにかザハブたちに怪しまれずに済んだように思う。
ダリウスはというと、会場の隅っこで真顔でお酒を呑んでいるはずだ。普通に呑むと毒の効果を怪しまれるので、音楽に合わせて軽く揺れながら息をするように呑んでもらっている。ワッショイと盛り上がるイメージがまったくない上に、そうする演技の才能もなかったのだ。彼がザルだったのは幸いである。
「はしゃぐ殿下も見てみたかったけれど」
クスリと笑みをこぼすも、すぐさま表情を引き締める。
人の目を掻い潜り、ようやく着いたのは人気のない廊下の一角であった。辺りに神経を巡らせながら、歩いていく。
そして、ドレスを脱ぎ捨てた。
下から露わになったのは、アクア色の踊り子衣装である。来る途中に眼下で見えた、例の踊り子集団と同じものだ。ライルは記憶力がいいらしい。踊りもだいたいは覚えていたようで、今日の朝から式が始まるまでの短時間で叩き込まれたものである。
こうして一人で出てきたのは、あと少しで始まる剣舞に紛れ込む……いや、乱入するためである。あくまでひっそりと、ではあるが。
(あとはこれを使うだけなのだけれど……)
ヴァネッサは太ももに着けたガーターに括り付けていたブレスレットを外し、腕にはめなおした。しかし、ガーターを外したところで手が止まってしまう。
(このハーレムパンツ、スリットが深すぎじゃないかしら? 太ももの付け根まで到達している気がするわ)
今になって恥ずかしくなってきた気がする。
これは絶対に正体がバレてはいけない。そう思いながらブレスレットに手をかざしたヴァネッサ、その耳がピクリと動いた。
誰かの声がしたからだ。
それも、「殺害」と言っていた気がする。
ドレスを纏め、息を潜め、辿り着いたのは灯りの灯っていない部屋だった。隣の部屋に侵入し、耳を壁につけて聴いてみる。
声の主はわからない。ボソボソと会話しているため、内容も聞き取りづらい。中年男性であることは、なんとなく察することができ――
「シャハリヤール殿下の暗殺……準備完了まであと少しですな」
(暗殺!?)
ヴァネッサの胸が嫌な音を立てた。乾燥しているはずなのに、額に冷や汗が滲み出す。物騒な単語はどれだけ聞いても驚いてしまうものである。
(あ! まずいわ、踊り子たちがいっちゃう!)
はっと顔を上げたことで、会場へと向かう踊り子たちの姿が見えたのだ。
ヴァネッサは壁から耳を外し、角に位置するレイリーフ家用の部屋へとドレスを投げ捨てた。炎の力によって発生した熱風を用いて、地上へふわりと舞い降りる。
噴水に映るヴァネッサの瞳は、隣に並ぶ満月のように鮮やかな琥珀色へと変わっていた。
力の抑制訓練を行っている際にダリウスが気付いたことなのだが、ヴァネッサは力を使う際に時折り目がこの色へと変わっている様子。火竜に尋ねたところ、「大量の力を与えられたことで、我に近い状態になっていっているのだろう。身体との不適合は起こらないから、安心して存分に役立てろ」ということらしい。
(思わぬ形で役に立ったわね)
よくある茶髪のウィッグを被り、瞬きをして再び瞳を確認する。
ライルによる情報によれば、踊りは動きが決まっているが、場所は自由らしい。互いにぶつからないよう配慮しながら、パフォーマンスをするといった感じだ。
できる限り存在感を消して、踊り子たちの後ろへと着いていく。
(そういえば、さっき聞こえてきたシャハリヤールという名前、なんか聞き覚えがあるのよね……)
殿下、と呼ばれていたということは王族なのだろう。そして、名前の感じからして、恐らくインバットの人間。
(あ! わかったわ、続々作の攻略対象だわ!)
カレンから名前ぐらいは聞いていたのである。
攻略対象として出てくるということは、暗殺は失敗に終わるのだろうか。今までのゲームの鬼畜さを考えると、幽霊として登場する可能性もあるが。
ありえる。そう思ったヴァネッサの背中に、ゾワリと冷たいものが走った。熱気のある会場に入ったばかりだというのに。
悪寒がやってきた方向に誰がいるかは、わかっている。
(で、殿下がこちらを睨んでいる気がするわ……)
背中に圧をヒシヒシと感じる。恐ろしすぎて振り向けないほどだ。
しかし、ここは集中せねばならない。
周りへと気を配りながら、目標である黒髪の踊り子を見張り、少しずつ彼女へと近づいて行く。
ザハブとサーフィは隣同士。彼の右隣には少し間を開けて第一夫人、第二夫人が順に座っている。ザハブと第一夫人の後ろに立つ支柱の近くへスチュワートが歩いていき、ミアはサーフィの近くへと立つ。
その時、目標の手に不自然な力が込められた。
――今だ。
ヴァネッサは目標へとぶつかった。その後にあっ、と声を漏らす。「あらー足が滑ったわー作戦」である。
視界の端で、剣がザハブ目掛けて飛んでいく。
ごめんあそばせと逃げ去るように、舞いながら目標から離れたヴァネッサは、予定通り人混みに紛れてダリウスの腕の中へと収まった。ウィッグを外し、ライルによって届けられていたドレスを再び身に纏う。誰かが見ていないかは、ダリウスが確認済みのはずだ。
そうして再び顔を出した時には、サーフィが剣を掴んだところだった。
"たまたま"ミアから渡されたダリウスたちからのプレゼント――白い厚手の手袋を着けた状態で。
興奮しているからか「おぉー!」と呑気な歓声が起こる中、ザハブは目を見開いてサーフィを見上げていた。
サーフィは乗り出した体を戻すことなく、小さく息を吐く。
「お怪我はございませんか?」
「あ、あぁ」
「そうですか、よかっ……」
彼女の瞳から、涙がポロリと溢れた。
混乱しながら涙を必死に拭い出す。その姿を見て、ザハブはどこかハッとした表情を浮かべた。次いで、剣を投げた踊り子と、ぶつかった踊り子を探すように指示を出す。
そして彼は、涙に濡れたサーフィの手を取った。
「お前は、オレのことをそこまで……すまない、心配をかけさせたな」
ザハブはグッと目を閉じた。
再び開き、そっとサーフィを抱き締める。
ヴァネッサの読みは当たったようだ。身を呈してザハブを助けようとしたサーフィの姿を見て、彼の殺意が解消されるのではないかと思ったのである。後に、ライルによって「サーフィは貴方一筋ですよ(恋人としてではなくパートナーとしてですけど)」という話もしてもらう予定である。
念のため噂を流した犯人も特定するつもりだが、ヴァネッサにはもう予想がついていた。
ミア、スチュワートも同じらしく、ある人物へと目を向けていた(ダリウスはまだ怖くて顔を見れていないため、わからない)。
それは、第二夫人である。
剣が飛ぶ前に、ほんの少し片方の口角が上がっていたのだ。更に、予想外の出来事に驚いた後、焦りを露わにした真っ青な顔をし、二人から視線を逸らしていた。
確信とまではいかなくとも、かなり怪しい。
しかし、このことはサーフィにネタバラシをした後に考えた方がいいだろう。
ひとまずは安心だと胸を撫で下ろし、ヴァネッサはダリウスの腕から抜け出す。――も、再び抱き締められてしまった。
「えぇと……なんか、怒っています?」
「……怒ってはいない」
だとすれば、今の間はなんなのか。
なんてことは言えず、ヴァネッサはゆっくりとダリウスを見上げた。
そして見えた彼の眉間の皺が、なんとまぁ濃いことよ。しかし、どこか子犬感がある。眉を下げながら、控えめだけれども唇を尖らせているからだろうか。
おおかた、怒ってはいるが抑えようとしているところだろう。
「あらっ?」
どうしたのか尋ねようとしたヴァネッサ。その身体が、ダリウスによってひょいと持ち上げられた。




