幕間?
残酷な砂嵐でさえも鳴りを潜める、闇が蠢く空の上に、黄金色の満月が堂々たる面持ちで浮かんでいる。
希望と絶望、美と醜を併せ持つ、神秘に包まれた風の国――インバット。
誰もが目を引く美しき貿易品の数々、任務達成率は百と謳われる暗殺集団、他国ではお目にかかれないほど優秀な腕を持つ薬師たち。インバットは、どの国にとっても無視できない存在である。
そんな風変わりなこの国の、なんの変哲もない夜のこと。オアシスを抜けた中心部に聳え立つ一軒の邸宅にて、アーチの下を砂塵が潜り込み、サンダルウッドの香煙と共に消えていった。
消えた先では宴が開かれており、銀河にも負けぬほど煌びやかな衣装に身を包んだ人々は、酒気によって顔を赤らめ、意気揚々と歓声を飛ばしていた。眼前では、踊り子たちがその豊満な身体を捻り、くねらせ、ショールを翼のようにはためかせている。
彼女たちの腰元でコインがシャラリと揺れたその時、上空に位置するバルコニーでもまた、ピーコックグリーンの髪が揺れた。闇色のベールをはためかせながら月下に姿を現したのは、月も恥じらうほどに美しい青年であった。
ふと、誰かの骨貼った指が彼の肩に伸びる。粘つくような手つきだ。
宝石の瞳が部屋の奥――ランプの光だけが室内を怪しく照らし、香の煙がくらりとするほど立ち込めている――へと向けられた。
「イラ、私は君のことが好きになったよ。君も同じだろう。だから、こうしてつまらない話に付き合ってくれるのだろう?」
手を伸ばした主とは目を合わせず、イラと呼ばれた青年はただ、長い睫毛を床へと向けている。
「これからも、夢のような時を過ごしたい。それも、今日より深く」
よほど仕事の鬱憤が溜まっていたらしい。すべてを話し終えた男は、どこかうっとりとした表情で、青年へと微笑みかけた。
「さぁ、そのベールの下を――」
後頭部へと移動した男の手を、青年はベールを翻しながら避けた。
より明るく照らされた青年の瞳は、夜の海のように冷え冷えとしている。
「相手のことをよく知らないのに、よく好きだなんて言えるね」
ベール越しに見えた形の良い唇もまた、冷ややかな声を発した。
「突然なにを……うっ」
動揺したのも束の間、男は視界が揺らいでいく心地に襲われていた。それはさながら、蜃気楼のように。
青年は、遂に床へと落ちていく男の手を引き、やや強引にソファの上へと投げ捨てた。次いで、懐から一本の小さな瓶を取り出し、蓋を開ける。そして、中から出てきた煙を、追い討ちをかけるかのように男の鼻腔へと扇子の風で押し込んだ。
「夢は所詮、夢でしかないんだからさ。目覚める頃にはすべて忘れて、現実に戻るんだよ」
抑揚のない呟きを残し、青年は瓶の蓋を閉めた。そして、再びバルコニーへと歩いていく。
賑わいを見せる人々を見下ろした青年は、淵へと斜めに腰掛け、柔らかな髪を乱暴に掻き上げた。
「……疲れた」
小さなため息を溢した口から出てきたのは、もっと小さな呟きだった。
彼の名前はイラではない。
ライル・レイリーフ。
これが本名だ
彼は、この国では知る人ぞ知る富豪の息子である。
危うい状況ではあったが、身体は売っていない。話を聞くための時間を売っただけだ。あくまで交渉術の範囲内である。レイリーフ家は、そこまでブラックなことはしないのだ。
少しの間夜風に吹かれることにしたのか、ライルは目を閉じて両腕に顔を埋めた。
「俺がしたいのは……」
そこまで言って、はっと顔を上げる。微かな足音が、扉の奥から聞こえてきたからだ。
ライルは外していたベールを握り、髪を直して耳を澄ます。そして、小さく息をついた。隠れようとしていたカーテンから出て、扉へと向かう。
「きゃっ!」
「しっ」
扉を開けられて驚いたのは、夜のように深い紫黒色の髪を結い上げた少女だった。
金色の瞳を揺らした彼女の口を塞いだライルは、彼女が落ち着いたところで手を離した。眉根を寄せて呆れたような表現を浮かべている。
「足音が大きい上に雑。それだとすぐ余所者だとばれるよ」
「も、申し訳ございません。気をつけます」
小さな声でそう告げた彼女を見てライルは頷いた。
「ここへ来るように指示したのは父さんだね? もうそろそろ外に出て、仕事を覚えた方がいいと言われたんでしょ」
少女は「どうしてわかったの」とでも言いたげな表情でコクコクと頷いている。次いで、何かに気付いたのか、「あっ」と小さく息を溢し、風呂敷をライルへと渡した。
中を開いて出てきたのは、彼の着替えである。
「……なるほど。だから、用意しておいた着替えがなかったんだね」
「えっ、あ」
パサリ、と音を立てて先程まで身につけていた衣服が床に落ちた。露わになったしなやかな体躯から目を逸らした方がいいのか、逸らしたら怪しまれると思ったのか、どちらかは分からないが少女はわたわたとしながら彼に背中を向けた。
「別に君が盗んだって言いたい訳じゃないから。この仕事を頼むために、父さんの指示を受けた誰かが抜いておいただけだと思う」
衣が擦れる音が響く静かな部屋の中で、淡々とした口調でフォローを入れるライル。彼は手早く着替えを終わらせ、少女の横を通り抜けた。
茶色のウィッグを被った彼の後ろを少女がついていく。
「帰るよ。何か質問された時のために聞くけど、ここへは恋人を迎えに来たっていう設定でやって来たんでしょ?」
「そうです。さすがはお兄様、ぜんぶわかるんですね」
「……まぁね。それにしても、下の人たち酔いすぎじゃない? 幼過ぎて恋人には見えないと思うんだけど」
「幼いって、私はもう十二です」
「まだまだ子どもだよ」
頬を膨らませて主張する少女に目も向けず、ライルはクスリと笑みをこぼした。
「さ、これから私語は厳禁だよ」
「そっ、その前にお兄様」
ライルの服の袖を、少女が控えめに掴んだ。耳まで真っ赤にして瞳を逸らすその姿は、酔っ払い達からしてみれば、恋人らしく見えるかもしれない。
少女は喉を上下させ、ギュッと目を瞑った。
「ずっと前から思っていたのですが、お兄様に……恋人、は、いらっしゃいますか?」
「いるよ」
「えっ、や、やっぱり――ひゃっ!」
「貴女が恋人ではないですか。面白いことを言いますね」
ライルは口調を変え、少女を恋人らしく抱き上げた。そして、周りに聞こえないよう、そっと耳打ちをする。
「恋人はいないよ。でも、愛する人はいる」
少女は目を見開いた。どこか落胆した様子で眉を下げる彼女を下ろし、ライルは邸宅の外へと向かい出した。
「その、愛する人は、どんな方ですか?」
酔っ払い達を交わし、難なく外へと抜け出したライルたちは、予め計画立てておいた道を歩いていた。少女が声を発したのは、あと少しで待ち合わせの馬車に着く、といったところだった。
ライルはほんの少し考える素振りを見せて、次いでふっと笑った。
「秘密」
少女はまたまたショックそうに顔を歪めた。
「ほら、馬車に着いたから先に行って」
「……わかりました」
項垂れながら馬車へと歩いていく少女。
彼女の後ろを見つめていたライルの目が、どこか寂しげに細められる。
「俺も、約束を破って足掻いてみるかな……殺されないために」
その呟きは、少女には聞こえなかったようで。
乗らないのかと馬車から顔を出した彼女の元へ、ライルは駆けていった。
立ち上がった砂埃が、風に攫われて消えていく。
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ヴァネッサたちの死亡フラグは消えましたが、新たな場所で死亡フラグが…?
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