40話 ようやく一息つけそうです
下山後、ヴァネッサたちはさっそく教会へと、たいそう心配していた神父への謝罪も兼ねて、話をしに向かった。
結論から言って、彼は氷狼の世話と報告を教会が引き受けると約束してくれた。これには、叱られたことで泣きじゃくっていた子どもたちも大喜びである。彼曰く、「氷狼様と王家がお認めになるのなら、断る理由はありません」とのことらしい。
そして、氷狼と人間を関わらせる作戦は今のところ上手くいっている。
最初は、彼を恐れる者もいるのではないと危惧していた。しかし、教会や子どもたちによって氷狼に関する楽しげな話を流してもらったこと、ロマンティックな氷狼伝説が広く知れ渡っていたことからか、予想していたほどマイナスの意見は出てこなかった。このことは、人々の様子の把握と誘導のためにひっそりと町の各所に配置していた王家専属の隠密部隊からも確認済みである。
とはいえ、様々な可能性を考慮する必要がある。そのため、新たに山を買って、氷狼の避難場所を確保することとなった。誰も立ち入られないよう高い柵で山を一周囲んである。我慢ならないと感じたり、一人になりたいと感じた際など、自由に使ってもらう予定だ。
もちろん、最終的なストッパー係はシェールである。
ちなみに、ダリウスは氷狼の存在だけでなく、王家が氷狼の血を引いていることも公表した。マーティンを含む様々な人間に氷狼を見られ、力の秘密を知られたため、バラされる前に先回りをして、上手く話を広める必要があったのだ。
二つの重大発表によって、王城には各国から様々な手紙やら招待状やらが届くようになった。貿易をしてほしい、との話まで。これが手紙の最終目的だろう。今まで鎖国的だったせいで、手紙を書こうにもいい話題がなかったのだ。
結果、内外両方の対応に追われ、婚約の嬉しさを噛み締める間もなく日々が過ぎていくこととなった。
意図せずともよい王妃教育となったのではないだろうか、と思うほどによく働いたものだ。
そして、ようやく落ち着いてきた約二ヶ月後の今日、アヴァランシェの教会にて、ヴァネッサとダリウスは婚約の儀を執り行うこととなっていた。……いや、もう終わりはしたのだが、現場がなかなか収まらないのである。
王族同士の婚約ということで、ブレイズ王国の両陛下、ケネス、マーティン、有力貴族は招待した。やはりと言うべきか、それがまずかったようだ。
「ついに、ついに行ってしまうのか……」
「陛下、お気を確かに」
国王は寝たきりの生活によって体力が落ち、杖を使って歩くのがやっとであった。しかし、もう精神は錯乱していなかった。ヴァネッサに今までのことを詫びたくらいである。おまけに結婚ではなく婚約だというのに、大号泣された。かなりの衝撃は受けたが、両陛下は問題ない。
マーティンはというと――
「お前が泣いて懇願するというのなら、飼われてやっても構わないが?」
「あら、ご冗談を。みっともなくないて善がるのは、殿下の方でしてよ」
ジルダと互いを口説きあっていた。……非常に悪どい笑みを浮かべて。
というのも、ジルダの媚薬は抜けたらしいのだが、仮面の裏がバレたことで中身を隠すことのなくなったジルダに、マーティンが興味をそそられたらしい。今はどちらが先に相手を惚れさせられるのか勝負をしているらしかった。この場合、「惚れさせる」というより「骨抜きにする」という感じかもしれない。しかし、ところどころ不穏な会話が聞こえてくる。有力貴族たちがそそくさと逃げ帰ったのは、五割がこの二人のせいである。
ケネスはというと、ダリウスと静かに火花を散らし合っていた。
彼は、王道ルート通りに貴族の悪事を暴いた。また、心から信頼できる仲間も得ることができた。王位継承権はないものの、少しは名声が得られたようで、彼の名を後継者へと挙げる国民も出てきていると聞く。
それらのおかげか、シスコンは抜けきっていないが、それでも今までのような危ない執着は消えていた。ようやく普通のシスコンとなった、といったところだろう。
ちなみに、「落ち込む暇があったら、死に物狂いでカレンを探しに行ったらどうだ」とハリーの背中を押したのはケネスであった。他人を気遣う余裕も出てきたらしい。
しかし、貴族の四割が逃げ帰った原因はこの二人である。
残る一割はというと……氷狼と火竜が、外で小競り合いを始めたからである。
ヴァネッサが外へと目をやると、氷狼が火竜を睨みつけていた。火竜は愉快そうに目を細めて、ところどころに食べかすのついた口を吊り上げている。
「またクッキーを盗んだな? シェールは私のために焼いてくれたのだぞ」
「貴様のためではなく、教会の皆のためだろう。我は教会に縁があるのだから、食べる権利はある」
「ぐっ」
「まぁなくても食べるがな」
「そういうところだぞ」
悔しげな声を漏らしていた氷狼は、呆れたような目を火竜へと向けた。彼の元にシェールが走り寄っていく。
「そのように怒っていては、皆さんが怖がられてしまいます! ここへは喧嘩をしにきたのではなく、ヴァネッサ様へ返事をしに来たのでしょう?」
「す、すまない」
シェールに叱られ、氷狼の尻尾がしょんぼりと垂れ下がっていく。今にも冷やかしそうな火竜に気付いたヴァネッサは、身を乗り出してシェールの名を呼んだ。はっとした彼女がこちらを見上げる。
その後、ヴァネッサは「場の収拾をつけたら行く」と彼らに伝え、中へと戻った。
(あの感じだと、オーケーを貰えそうね。きっとメイたちも喜ぶわ)
ニコリと微笑み、なかなかに混沌としている周囲へと視線を移した。
★★★
(結局、あの三人は来なかったわね)
四冊目に突入した交換日記を書き終え、ヴァネッサは小さくため息をついた。立ち上がり、伸びをする。
あの三人とは、ライルと、カレンとハリーのことである。
ヴァネッサの頭に、最後にライルと会った日のことが思い起こされる。深い闇にピーコックグリーンの髪を靡かせて……その隙間から、彼はどのような顔をしていただろうか。
――あんたになら攻略されてもよかったんだけどね。
その言葉が何度も繰り返される。
しかし、彼のことはおろか、ゲームに関する知識は今のところ増えていない。呼ぼうにも、手紙を送ることすらできない。
カレンとハリーはというと、ライルとは異なり、会うことができていた。
彼女は別荘の牢屋に連れてこられたあと、ヴァネッサの懇願と、ダリウスに盛ったのが毒薬ではなく媚薬だったということで、大ごとにはせず解放されることとなった。
しかし、彼女は家を出た。失踪の噂が悪いイメージをつけたこともあるのだろうが、彼女曰く「心機一転して自分の幸せを掴みたい」ということらしい。
そして今は前世の夢だったという冒険家となり、各国を旅することにしたようだった。
とはいえ、ヒローニア家と完全に縁が切れたわけではなく、たまには顔を出すつもりだと言っていた。
不思議なことに、ヴァネッサとも交流が続いており、たまにお土産を放り投げたり、突き渡してきたりしてくる。
ようやく肉付きが戻ってきたハリーもまた、家を出ていた。というより、勘当されたのだ。
王族との婚約を破棄し、いきなり家を飛び出し、他国の王族に迷惑をかけ、今度は婚約破棄され……と、様々な問題を起こしたせいである。
そして何故か、今はカレンの後を勝手について行っているらしい。「うざったいが、荷物持ちとして使えないこともない」と、彼女は言っていたが、ハリーは満足そうにしている。不思議な関係だが、本人達にとって悪くはなさそうだ。
(ひ弱そうで、小動物のようだったカレン嬢が冒険家になるなんて……意外だったけれど、夢を叶えられたようでなによりだわ)
もちろん、強欲なヴァネッサだって叶えつつある。それでも、満足だと言うには温泉も、美味しい料理も、まだまだ足りていない。
ダリウスとの関係だって、まだ始まったばかりだ。
(そう、そうよ、まだ始まったばかりなのよ、はやる気持ちは抑えて、ゆっくりと関係を――)
緩みかけた頬を抑えていたその時、扉をカレンが開け放った。
「こんばんはー」
「キャーー!?」
思わず叫んだヴァネッサを訝しげな目で見たカレン。彼女の後ろから、気まずそうにハリーが顔を出す。今は夜なのだから、当然である。
「み、ミア? どうしてノックをしてくれなかったの?」
「何度もしましたが、返答がなかったため、お身体に何かあったのではないかと思い開けさせていただきました。申し訳ございません」
「あっ、なるほど。それならいいのよ、私こそごめんなさい」
また周りが見えなくなっていたようだ。慌ててミアへと謝る。
頭を上げたその時、視界いっぱいに麻袋が広がった。顔を横に逸らすと、最大限に首を後ろへ逸らしたカレンの姿が。
「これ、あげます」
「あ、ありがとう。これは……なにかしら?」
中を開いて見えたのは、半透明な白い粒。
「お米です。インディカではなく、ジャポニカ米の方。前に『三角形の白いモチモチしたやつが食べたい』と仰られていましたから。探すのに苦労しましたよ」
「えぇと、つまり……?」
「これで『おにぎり』がつくれます」
カレンの言葉に脳が痺れた。
久しぶりに流れ込んできた記憶に、弾かれたように顔を上げ、ニコリと笑う。そして勢いのまま抱きついた。今度はカレンが悲鳴をあげる。
「ありがとう! さっそく明日、料理長に相談する――わぼっ」
ヴァネッサのお腹にカレンの掌がドスリとヒットした。よろけた腕の隙間から彼女は抜け出て、ハリーの服を引っ掴み、部屋の外へズカズカと駆けていく。
「あら、もう行くの? せっかくシェールさんからクッキーを……食べるのね」
ハリーから手を離したカレンはヴァネッサの元へと戻り、蓋の開けられた缶からクッキーを引っ掴んで、口へと放り込んだ。
彼の元へと戻り、咀嚼したのち再び服を掴む。そして、片方の手をビシリと向けた。
「次は海苔を持ってきますから、覚悟していてください! ほら、行きますよ!」
「どこまでもついて行くよ……!」
カレンは今にも噛みつきそうな勢いで睨み、走り去ってしまった。ハリーの目が、盲信者が見せるそれと酷使していることには目を瞑り、ミアへと振り向く。
「あれがツンデレというものかしら」
「私にはわかりません。その袋は調理室にお運びしますね」
「ありがとう。ついでにハーブティーを……」
ふと、誰かが扉をノックした。
ミアによって開けられた扉から出てきたのは、ハーブティーのセットを持ったダリウス。
「夜分遅くにすまない。……君に会いたくなった」
ハイビスカスの爽やかな香りに、甘くて魅惑的なローズレッド、フルーティーなローズヒップがほんの少し。
柔らかな香りにヴァネッサの気も、頬も、解されていく。
蝋燭の灯りに照らされた彼の耳は、ほんの少し赤い気がした。
ジルダの言った「ないて」の漢字はどちらなのか……。




