表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

81/110

38話 忘れた頃にやってきますよね

 ヴァネッサによる熱烈な温泉プレゼンを受け、疲弊した様子の氷狼。ダリウスが彼へと振り向いた。


「返答はシェールに伝えてくれ。では、失礼する」

「またお会いできる日を楽しみにしていますわ」

「あ、ああ」


 氷狼が頷いたことを確認し、背中を向ける。

 教会に住むのか、山に住むのか、決まるまで氷狼はイエローボ山にいることとなった。ダリウスが言った通り、結論はシェール伝いで聞くつもりだ。

 とはいえ、温泉宿を建てていいとの言質はとれた。完成すれば、また気が変わるかもしれない。

 ちなみに、シェールは子供たちと共に、スチュワートを筆頭にして先に帰ってもらうつもりだ。近くで待っていた彼らの元へと向かう。

 と、その時、ダリウスの手に力が込められた。

 ヴァネッサに向き直した彼の瞳は、真剣そのもの。


「どうしましたか? やはり、まだ不安が残りますか」

「いや、違う。少し落ち着かないが……」


 儚げに視線を横に逸らす彼に、ヴァネッサは首を捻った。

 次いで、彼の耳が先ほどよりも赤く染まっていることに気づく。寒いからなのか、血の気が戻ったからなのか、はたまた別の理由があるのか。わからずに言葉を待っていると、ダリウスが一つ、ゆっくりと瞬きをした。


「今度こそ、伝えさせてくれ」


 ああ、そういえば、ジルダの件が起こる前に、伝えたいことがあると言っていたか。

 彼の瞳を見つめながら、ごくりと喉を上下する。

 そして、はたと気付いた。

 媚薬は二つ用意されていたことを。


「俺は――」

「待っ――」

「認めない!」


 顔を横に逸らせば、媚薬を溢しながら瓶がこちらへと飛んできていた。

 ダリウスがすぐさま氷を放ち、そのまま引き寄せる。そして彼は氷が溶けないようミアに預け、ヴァネッサの前に出た。

 崖の側に隠れていたらしく、カレンがゆっくりと俯いたまま歩いてくる。握られた拳は硬く結ばれ、微かに震えていた。


「まだいたのか」

「――ない」


 ようやく上げられたカレンの顔は、正に鬼の形相で。


「前作の悪役と、続作のヒロインだけが幸せになるなんて、そんなのわたしは許さない!」


 カレンは大きな瞳に涙を湛えながら、キッとこちらを睨む。しかし、何か思い立ったような顔をしたかと思うと、不気味なほど優美な微笑みを浮かべた。


「ねぇ、ダリウス様。知っていますか? ヴァネッサ様はわたしをいじめたんですよ。会うたびに睨まれて、いっぱい酷い言葉をかけられて、教室の真ん中で教科書を破かれたこともあります。……彼女を庇っていらっしゃいますが、猫を被られているだけでは?」

「そんなことはない」


 ドクリと胸が跳ねたヴァネッサの前で、ダリウスがはっきりと言った。


「彼女からすべて聞いた。この世界のことも、彼女が今まで悪役として生きてきたことも。もちろん、過去も」

「なら、ヴァネッサ様がどれほど冷たくて、怖くて、嫌な人物かわかったはずです」

「それは、彼女の一面しか見ていないからだ」


 ダリウスがもう一度、ヴァネッサの手を取った。


「俺は、すべてを聞いた上でここに来た」


 彼から鋭い眼光を向けられ、カレンの眉間に皺が寄る。次いで、吐き捨てるように下を向いた。


「……なによそれ」


 カレンの身体が震え出す。そして、唇をぐっと噛み締めた。


「ゲームのシナリオから外れて、キャラクターとしてじゃなく……」


 悲壮感漂う雰囲気から一転。カレンは再び、激しい怒りを露わにした。


「とにかく! 悪役のくせに素敵な王子と、しかも、わたしの推しと結ばれるなんて、ズルい、ズルいよ!」

「ズルいって……待って、貴女の推しはハリー様じゃないの?」

「違う。一番死亡率が低くて、地雷がわかりやすいから選んだだけ。推しでも好きでもなんでもない」

「えっ……」


 ヴァネッサの驚いた声に、絶望したような呟きが混ざった。この場にいる誰のものでもない声に、そっと振り向く。


「わっ」


 後ろに立っていたのはハリー。

 彼の姿があまりにもボロボロで、ヴァネッサは思わず引いた声を出してしまった。

 彼の服は擦り切れ、身体は寒さに震え、顔は真っ青。おまけにゲッソリと頬骨が浮き出るほど痩せこけていた。

 これでもかというほど下げられた眉毛が、悲壮感を増幅させている。このまま倒れて死んでしまいそうな勢いだ。


「……どういう、ことですか」


 捻り出された声も弱々しい。戦闘中だったなら確実に聞こえていなかっただろう。

 縋るようにカレンへと歩いていくハリー。戸惑いつつも(引きつつも)、彼を止めないようミアとダリウスに目配せをする。

 その時、ハリーの目がグルンとヴァネッサへと向いた。あまりのホラーに肩が跳ね上がる。


「君が彼女を連れ去ったのか? そして私のことを嫌いになるよう洗脳したんだな?」

「何度も言いますが、婚約破棄以来、私は一度も彼女をいじめていません。自分から接触したこともありません」

「なら何故、可憐な彼女の口からあのような言葉が出てくる!」


 濃いくまが刻まれた彼の瞳が見開かれ、ヴァネッサへと掴みかかった。炎が出るより早く、ダリウスの手がハリーの腕を掴む――その時、カレンがため息をついた。


「だから、私に捨てられるんですよ」


 少し口調を戻したカレンは、心底馬鹿馬鹿しそうに頭を捻った。その小さな唇からクスリと笑みが溢れる。


「思い込みが激しくて、理想が高くて、バカ真面目。死なないために我慢していたけど、ずっと理想の女子像を押し付けられて、うんざりだった」


 ぐしゃりと前髪を握るカレン。ヴァネッサの隣からハリーがふらふらと歩き出す。


「何を言っているんだカレン。私は理想なんて押し付けていない、いつだって君自身のことを――」

「それはわたしじゃない!」


 再び怒号を発し、彼女はどこか泣きそうな目でハリーを睨みつけた。


「苦手な裁縫だって、歌だって、楽器だって頑張った。それなのに、『私は君のことをわかっている』だとか、『流石』だとか……気に入らなかったら殺すくせに、よく言いますね」

「そんなことしない!」

「するの!」


 喉が切れるのではと心配するほど大きな声をあげたハリー。更に大きい声でカレンが否定した。

 それでも、ハリーはヴァネッサからさらに離れ、ヨロヨロとカレンへと歩いていく。


「好きだと言ってくれたじゃないか」

「すべて演技です」

「いつも優しかったじゃないか」

「ずっと猫を被っていたから」

「どうして」

「……どうせ信じない。思い込みの強いあなたなら、特に」


 カレンは嫌そうに眉間に皺を寄せ、小さな声で吐き捨てた。次いで、息を整えて深呼吸を一つ。


「それより、もうわたしを探さないでください。婚約もしません」

「でも、私は君のことが――」

「わたしは好きじゃない。あなたもわたしを好きじゃない」


 顔色一つ崩さず、冷ややかに言い放つカレン。

 伸ばした手を叩かれてついに絶望したのか、身体が限界なのか、ハリーはその場に力なく崩れ落ちた。こちらに向けられた背中はひどく弱々しい。


(どうせ信じない、ね)


 ゲームのことだろう。もしカレンの言う通り、ハリーが理想像に盲目的なのだとしたら、

「気が動転しているのだ」と彼女に言いかねないだろう。今まで散々聞いてきた独りよがりな発言からも、その可能性は考えられる。

 また、今回のカレンの主張や、二人の会話を通して、彼女の「ズルい」という言葉の理由が少しだけわかった気がする。

 彼女が言った通り、妥協してハリーを攻略したカレンとは違い、ヴァネッサはゲームのシナリオから外れ、結ばれたいと思った人物とくっついたからだろう。要するに、「そんなのありか」というわけである。

 なら、


「どうして貴女は、ゲーム外の行動を取らなかったの? 羨ましい、と言われるのならまだしも、ズルいと言われるのは少し――」

「わたしの苦しみがわかるはずない!」


 少し心外。その言葉は、カレンの気迫に押されて喉の奥に引っ込んでいった。殺気にも近いその圧に、全身の毛が逆立ちだす。


「ヴァネッサ様はしょせん悪役で、婚約破棄されたらちょっと高齢の人に嫁がされるだけでしょ!? 力をなくすだけでしょ!? ヒロインのわたしみたいに死なないでしょう!? なのに、どうして殿下のところになんて行ったの!」


 完全に気が立ってしまっているカレンを前に、ヴァネッサはダリウスの背後から出た。


「ただ単に嫌だからよ。あと、喉は潰されるし、結局は生贄として殺されるから『だけ』ではないわ」

「はぁ!? そんなこと、ファンブックにも書かれていなかったわよ」

「あと私、『誰かよりはましなんだから、幸せなんだから我慢しなさい』という主張は好きじゃないのよね。他人の幸せと自分の幸せは別なのだから、それぞれで幸せを目指せばいいじゃない」

「それは……」


 何故か唇を噛むカレン。

 少しの間押し黙ったのち、徐に懐へと手を忍ばせた。

 取り出されたのは、先ほど飛んできた小瓶より遥かに大きな瓶。

 警戒したダリウスが剣に手をかけたその時、カレンが「動かないで」と叫んだ。瓶を引き寄せ、縮こまる。


「この中には、揮発性の媚薬と神経毒が混ぜられています。瓶の中から漏れ出た途端、凍らす間も無く飛散しますよ」


 攻撃したら瓶に当たる。ダリウスが上手く当てたとしても、凍る前に蓋を開けられてしまう。

 額に汗が浮かぶヴァネッサの顔を見て、カレンが再び勝ち誇ったような笑みを浮かべた。……いや、それにしてはどこか危うい。


「せめて、悪役のヴァネッサ様だけでも引き摺り下ろしますから」


 くしゃりと笑ったカレン。

 彼女の目元が光ったその時、崖の上で何かが動いた。


「逃げて!」

「えっ?」


 カレンの上に降ってきたもの。

 それは、無数に連なる氷柱(つらら)だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ