37話 ある意味おもしれー女かもしれません
ほんのり赤い光に、ダリウスとヴァネッサが身体を離したのはほぼ同時だった。氷と炎、それぞれを構えて見上げた先に見えたのは、回転しながらダリウス目掛けて飛んでくる小瓶。
カレンがダリウスにかけようとした媚薬だ。そう察した時には、空中に浮かんだ氷槍が弾き返していて。
「力の感覚が掴めてきた」
「流石は殿下、もう氷狼様の技を……あっ」
小瓶が飛んで行ったのは、傭兵たちが構えていた森の方角。そこで、小瓶はコツンと音を立てて、金髪の上で跳ねた。
緩くなっていた蓋が外れ、中から出てきた桃色の液体がドロドロと溶けていく。……ジルダの頭の上で。
「(このままだとジルダさんが殿下のことを好きに)……ん?」
「どうした?」
ヴァネッサは液体の色に違和感を覚えた。ダリウスにかけられようとした媚薬の色は、桃色ではなく、もっと濃い赤色だったような気がする。
「ダリウス殿下、カレン嬢に盛られかけた媚薬は何色でしたか?」
「赤色だった。今のは桃色だな」
「と、いうことは……」
思考に集中するため逸らしていた視線を、ジルダへと戻す。何の反応も示さず、ただ頭を濡らしていく彼女に執事が「大丈夫ですか」と声をかけている。その側でマーティンは嫌そうに顔を歪めていた。
縄で縛られたままの彼へとジルダがゆらりと歩み寄る。髪を解き、懐へと手を入れ。
そして、マーティンへ――首輪をつけた。
「えっ」
「ほお」
「君も俺に首輪をつけたいのか?」
「違います、違います」
「そうか」
騒然とした辺り(ジルダの従者たちは除く)に、愉快そうな声を漏らす火竜。何故かとんでもない勘違いをしてきた(上に「そうだ」と頷けば喜んで首輪を用意しかねない雰囲気の)ダリウスに対し、ヴァネッサは戸惑いながらも首を横に振った。
「ただ、その、驚いているといいますか」
もちろん、一番驚いているのは首輪をつけられた当事者であるマーティンだろうが。
時折り魔法陣が浮かんでいる上に、収縮した瞳から混乱の色が見受けられることから、恐らく、力を封じる魔法が首輪には使われていると予想できる。
動揺をようやく飲み込み始めたらしく、マーティンは余裕の見え出した表情でジルダを見上げた。しかし、すぐさま眉間に皺が寄る。ジルダの表情は、長いサラサラの髪に隠れて見えない。
「何をするつもりだ。お前の主人は俺だろうが」
「……ええ、そうですわね」
「なら――」
「だからわたくし、棺の中に閉じ込められた日からずっと、主人である殿下を暗殺しようと思っていましたの」
マーティンの眉間がピクリと動く。ジルダの声はどこか愉しげで、それでいて背中がゾクリと震える何かを感じさせた。
「未来の妻として、いいえ、未来の王妃となるために、殿下にとって都合のいい、気弱で、大人しくて、何の面白みもない人畜無害な令嬢でいると決めましたの。『妻として夫を支えることは義務』王妃教育で何度も唱えさせられてきた言葉を、正しいことだと必死に言い聞かせて。でも、殺されてしまっては意味がありませんわ」
「だから、今から俺を殺すのか。この俺に楯突くなんざ、舐められたものだぜ」
「つい先程までのことですわ」
「ぐっ」
どこにそんな力があるのか、ジルダは首輪の鎖をグイと引っ張った。倒れた厚い胸板にピンヒールの先が食い込み、皮肉げに笑っていたマーティンの顔が歪む。
「この液体のせいでしょうか。殿下のことがかわいく見えて仕方がないのです。だから、わたくし、気が変わりましたの」
マーティンの横に執事がつき、手枷やら足枷やらを懐から取り出した。それらを受け取りようやく見えたジルダの顔は、かわいらしくも恍惚としていて。
「わたくし、殿下を飼い慣らしたいのです」
「待っ――」
さっと上げたジルダの手に、従者によって猿ぐつわが渡される。逃げようとするも、十人がかりで押さえつけられ、何か怪しげな煙を嗅がされ……五も数えないうちにマーティンは気絶してしまった。
グデンと脱力してしまった彼を見つめ、小さく笑みをこぼすジルダ。その横顔は恋する乙女にも、ベビーフェイスのちょっとぴりキュート殺人鬼のようにも見えた。もっとも、彼女は殺人鬼だと噂が出回るようなヘマはしないのかもしれないが。
マーティンは気付けなかったようだが、初期のヴァネッサが思ったように、ジルダは恐ろしい人物なのかもしれない。
誰もが視線を二人へと送る中、ジルダがこちらへと振り向いた。思わず肩が跳ねてしまう。
「ヴァネッサ殿下、少しの間マーティン殿下をお貸しいただいても宜しいでしょうか? 安心してくださいませ、こう見えて調教には自信がありますの」
「ちょ、ちょうきょう」
鎖を片手に持って優美に微笑むジルダに対して、冷や汗が止まらない。うんともすんとも言えず、ただ単語を繰り返すと、彼女は可憐な動きで頷いた。
「わたくしはただ、お互いが満足のいく夫婦関係を築きたいだけですわ。それこそ、他の人なんて見えなくなるくらいに」
「な、なるほど」
「もしかして、王位の座を求めていらっしゃいますの?」
キョトンとかわいらしく頭を捻るジルダに、脳がバグりそうになる。
「でしたら、お譲りするようマーティン殿下に――」
「いえ! その気遣いは必要ありません、その、ほんと、王位とか、えぇ、求めていないので」
「あらそうですの……残念ですわ」
ジルダはケネスよりも幼い。そのため、年相応のしょんぼりとした表情自体はかわいらしいのだが、どうにも残念がっている理由がかわいらしくない気がして、かつ、恐ろしく見えて、仕方がない。
「なので、どうぞこのまま平和にお帰りください……その、陛下には上手く伝えておくので……」
ヴァネッサは震えを頷きに代えて、どうにか言葉を捻り出した。
「いえいえ、わたくしの願いのためなのですから、自分からお伝えしておきますわ。では、皆様ご機嫌よう」
「ご、ごきげ――い、一瞬で姿を」
三日月のように目を細め、別れの言葉を告げたかと思うと、従者たちの闇に紛れて、集団ごと黒い雪崩のように消えてしまった。
雰囲気を察して静かになっていた子どもたちの楽しげな声が、再び辺りに聞こえ出す。
なかなかホラーな体験をしたと息をついたその時、火竜がくっくっと笑い声を漏らした。
「なかなか情熱的な人間じゃないか」
「なるほど、あれが情熱的というのか」
「違います! 恋や愛に関係しそうなものなら、なんでもかんでも吸収しないで下さいませ!」
「善処しよう」
「火竜様も、とんでもないことを殿下に刷り込まないで下さいませ!」
大人しく頷いたダリウスに、かえって不安を感じつつ火竜へも注意する。とはいえ、効力は薄く、火竜はニマリと笑ったあと、子どもたちの方へと向かってしまった。
いつも彼は自由だな、とため息を吐きながらも微笑んだその時、ミアがスチュワートと共にやって来た。
「そろそろ下山した方が宜しいかと」
ミアが示した懐中時計を見てみれば、とっくに三時は過ぎていて。戦闘で体力を消耗している上に、子どもたちもいるのだ。神父に内緒で来たのだろうから、余計である。ミアの言う通りだ。早く降りたほうがいい。
「そうだな。だが、帰る前に確認しておくことがある」
ダリウスはヴァネッサの手を引き、氷狼の元へと歩み寄った。彼は相変わらず硬い表情をしているが、大人しく子どもたちによって撫でられている。
「氷狼に確認したいことがある。このまま下山して教会で暮らすか、住処はこの森にして麓で交流するか、どちらがいい」
「あと、できれば湯脈も使わせていただけたらなと思います」
さんざん警戒された上に、やや強引に取引をしたのだ。今になって気まずさを感じてきたヴァネッサは、ほんの少し下がった位置から尋ねる。
「少し考えさせてほしい。そして、湯脈を使って何をするつもりだ?」
氷狼の問いに、ヴァネッサの目が輝いた。




