8話 お試し期間が始まります
「どうしましたの?」
「君は、俺の元へきゅうこ」
そこまで言って、ダリウスは彼自身の口に手をやり、後ろへ顔を向けた。寒い中を走ってきたためか、彼の耳は赤い。
どうしたのかと、ヴァネッサはダリウスの言葉の先を待つ。
少し間をおいて、視線は外したまま、ダリウスが顔を正面に戻した。
「その、君はどうして、俺に『連れて行って』と言ったんだ?」
「使用人として雇っていただきたいと、そう思ったからですわ」
「使用人として?」
ダリウスは面食らった表情で言った。まったく予想していなかったとは、こちらこそ驚きである。だから自身を客人として、もてなしてくれたのか。
「役に立ってみせると、そう言ったではありませんか」
「ああ。確かに君はそう言っていた。だが、それが使用人としてだとは、思うはずがないじゃないか」
「では、どういった意味だとお思いになったのですか?」
「それは……いつか話す。君が言うように、グラスヴァルト家の使用人になるのなら、自然と知ることになるだろうからな」
「私、待つのはあまり得意ではありませんわ」
少なくとも、ハリーがお茶会に三十分遅れただけで、落ち込むくらいには。
「まず使用人になれるかが問題だろう。本当に、君は王女の身を剥奪されたのか?」
「はい。陛下へと直々に交渉させていただきましたもの」
「どうして、そのようなことを?」
ドキリとした鼓動を落ち着かせるため、ヴァネッサは馬を撫でながら口を開いた。
「家族にですら命を狙われる。その状況に疲れたのです。婚約者から愛はおろか、恋心さえも与えられませんでしたし」
それはヴァネッサも同じだが。しかし、もし自身のことをハリーが心から愛してくれたなら、形だけでもかわいがってくれたのなら、少しは何かが変わっていたかもしれない。
すぐに返答が来ず、ヴァネッサはダリウスをちらと見た。
「どうして、殿下が悲しそうなのですか」
自身から出てきた声は、優しかった。そして少し、震えていた。
「いや、すまない。王女の君が、自ら望んで地位を返上するのだから、それなりの理由があるだろうに。軽率だった」
「構いませんわ。理由を聞かれることは、覚悟しておりましたから」
「そうか」
ほんの少し安堵したような表情を見せると、ダリウスは馬に跨った。ヴァネッサも続く。
「目的地は、王城でいいな?」
「はい! よろしくお願いいたしますわ!」
意気揚々と答えれば、ダリウスがフッと笑った。
「衛兵に見つからないよう、静かに話すんじゃなかったのか?」
「あっ」
顔に熱が集まりだす。すぐに周りが見えなくなる癖をいい加減、直さなければならない。
ヴァネッサは馬を走らせるダリウスの横をついていく。温かな彼の微笑みにドキリとしたのは、秘密だ。
「一つ提案なんだが」
「なんでしょう?」
暫く風を切っていると、ダリウスが前を向きながら話しかけてきた。
「まずは一か月ほど、客人として暮らすのはどうだ?」
★★★
ダリウスがヴァネッサに提案した内容はこうだ。
まず、客人として自由に過ごし、その間、使用人たちの仕事を手伝ってみる。執事長のスチュワートの許可さえ取れれば、どんな道具も、部屋も、自由に使っていいらしい。
また、「自身の出身や元王女という情報を伏せるのなら、城の外に出ていい」とも言った。友達を作るもよし、使用人以外の職を見つけるもよし。自立できると感じたら、スチュワートに報告して、いつでも出て行っていい。それまでは気にせず、城で過ごしてくれて構わないと。
ちなみに、アヴァランシェは基本的に貿易をしておらず、非常に鎖国的らしかった。そのため、ヴァネッサが王女だと気づく者がいなかったのだろう。
つまり、この国では、ブレイズ王国とは無縁だという顔をして、平然と過ごすことができるのである。
なんたる最高の環境に、好待遇。やはり自身の見立ては間違っていなかったらしい。
とはいえ、ずっと居候させてもらうわけにはいかないため、ヴァネッサはさっそく城内を探索してみることにした。
「まずはどこから行こうかしら? スチュワートさんに聞こうにも、姿が見えないし……んっ?」
適当に城内を歩いていると、どこからか美味しそうなにおいが漂ってきた。吸い寄せられるように廊下を曲がり、先を行く。
「あっ!」
「おや、ヴァネッサ様ではありませんか」
扉があきっぱなしの部屋の前につき、ヴァネッサは顔を出した。そこは厨房らしく、料理人や給仕係が慌ただしく動いていた。料理人の一人が気付き、笑顔を向けてくれる。
「今、忙しいかしら? それならまた暇なときにでも来るわ」
「大丈夫ですよ。もう少しで夕飯の仕込みが終わりますから」
「夕飯? さっき昼食をとったところでしょう?」
「ヴァネッサ様や殿下に美味しいと感じて頂きたいですから。そのためなら、どんな手間も惜しみませんよ」
これが、プロ根性というものだろうか。きっと、素人の自身では想像できないほど細かで、緻密な工程がなされるのだろう。
(そういえば、こうして誰かが調理をする姿を見るのは初めてね)
「作る様子を見ていてもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
「ありがとう」
邪魔にならないよう、端によって観察する。
「お嬢様に見られては、少し緊張してしまいますね」
「あら、どうして?」
「この城に他国のお嬢様が来たことは久しぶりでして。それに、お嬢様のようにかわいらしくて、お美しい方を前にすると、恥ずかしくなってしまうのです」
「あ、ありがとう、ございますわ」
ポッと顔を赤くして、ヴァネッサはしどろもどろに感謝を言葉にした。
(かっ、かわいらしいだなんて、初めて言われたから、どんな反応をすればいいのかわからないわ)
壁際でそわそわしているヴァネッサをよそに、料理長は嬉しそうに笑った。背中を向けられているため、表情は見えない。しかし、動きで何となくわかるのだ。
「この城に来てくださって、ありがとうございます」
「こ、こちらこそ、おいしい料理をありがとう」
今度は顔を向けて微笑むと、料理長はフライパンを操作しだした。バチバチと油がはねる音がする。
そういえば、前世の自分は料理をしていたのだろうか。口の中にしょっぱくて濃い味が広がる。どこか油っぽくて、パスタとは違った小麦のような触感が思い起こされる。
(あと、白くて、三角形で、もちもちとしていて、黒い紙みたいなものがついている食べ物。あれも好きだったような気がするわ)
しかし、はっきりとした姿も、名前も思いだせない。
「いつか思いだして、食べてみたいわ」
「何か思い出の品でもありましたか?」
目の前に、先ほど声をかけてくれた料理人が現れた。
「ええ。材料も名前も、作り方も覚えていないけれど、いつか作ってみたいと思っているのよ」
「そうでしたか。お目当てのものは作れるかはわかりませんが、よければここでお料理をされますか?」
「あら、いいの?」
顔を上げると、料理長は人のよさそうな笑顔で頷いた。
「はい! スチュワートさんから『ヴァネッサ様がいらっしゃったら、自由に厨房をつかっていいとお伝えするように』と聞いておりましたから」
「そうだったのね、ありがとう。早速使わせてもらうわ」
ヴァネッサはエプロンを借り、厨房に立った。レシピの本と、そこかしこに置かれている材料とを交互に見る。
大きい冷蔵庫、何個も続くオーブン、何種類もある鍋やフライパン。
新鮮そうな野菜に、色とりどりの果物たち。お肉もお魚もたっぷり。砂糖と塩だけでなん十種類もある。
貿易をしていないにも関わらず、これだけの材料をそろえることが出来るのは、ここがゲームの世界だからだろうか。
「材料は気にせず、なんでもおつくり下さいね」
「ありがとうございます!」
ヴァネッサはフライパンを片手に言った。
(そうだわ! 上手くできた料理は、殿下に渡してもいいかもしれないわね。感謝の気持ちを込めて)
「料理は気持ちが大事、というし、ダリウス様が笑顔になれるようなものを作るわよ!」
よし! とヴァネッサは服の袖を捲ったのだった。




