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36話 強欲に幸せにいきましょう

「なに?」


 ハキハキと、それはもうキッパリと清々しく言い放ったヴァネッサの言葉に、氷狼の眉間がピクリと動く。隣で火竜が「ぶふっ」と吹き出した。

 その頑丈そうな鱗を肘で小突きたくなりつつも、ヴァネッサはダリウスを片手で支え直す。そして、もう一度、絶望の色一つ見えない眼差しを氷狼に向けた。


「選択肢は二つなんかじゃありませんわ。四つです。三つ目は、なにも選ばずに帰り、ただ死を待つこと。これも嫌なので却下です」

「ではどうする」

「まぁ、まずはダリウス殿下にお力を注いでくださいな。殿下、よろしいですか?」


 ヴァネッサの腕の中で、ダリウスが本当に、本当に、小さく頷いた。訝しげな目をする氷狼は、ゆっくりとダリウスへと近づいていく。

 その時、火竜がシェールとゼンを尻尾で引き寄せた。


「早くしなければ二人を燃やすぞ。ああ、きちんと処置をしなかった場合も燃やすからな」


 ニマニマと愉しげに笑う火竜を睨んでから、氷狼はダリウスを見下ろした。決心の表れか、深くため息をつく。

 そして、毛艶の悪い腕の皮を噛みちぎった。

 突然の流血に「ひっ」と声を上げるシェール、ヴァネッサも顔を引き攣らせる。氷狼は何食わぬ顔で、腕をダリウスの顔へとかざした。口の中へ血が流れていき、その量に反比例して、ダリウスを覆う氷の量が減っていく。

 遂に氷が溶け切ったと、そう思った刹那、ダリウスの身体から青白い光が放たれた。

 眩い閃光に目を閉ざしたのも束の間、照度の戻った視界に目を開けば、血の気の戻ったダリウスが腕の中にいて。


「ゴホッ」

「殿下!」

「終わったぞ」


 咳き込んだダリウスを一瞥し、氷狼は腕を下ろした。起き上がったダリウスは赤く染まった唇を指で拭い、ヴァネッサへと目を向ける。そして、まだ冷たい手が頬に触れた。


「もう一度、君を瞳に映せた」


 幸せだと彼は微笑んだ。その姿は、雪の花のように美しく、儚く、それでいて生命力を感じさせて。

 真っ赤な唇もありだな、などと考えていたヴァネッサの胸が、ドクリと波打った。ほんの少し彼の頬へ残った氷を、熱い涙が溶かす。


「これからも、私を見ていて下さいな」

「勿論だ。目で、耳で、すべてで、君を捉えていよう」


 ダリウスと手を取り合う。次いで、つまらなさそうに背を向けた氷狼へと向き直した。


「氷狼様、力を与えてくださりありがとうございます」

「どうせすぐ心が閉ざされるだろうがな」

「えぇ!」


 氷狼の悲しい指摘に対して、ヴァネッサの声は意気揚々としていた。これまた訝しげに振り向いた氷狼へと笑顔を向ける。


「ですので、共に山を降りましょう。もしくは、ここに温泉施設を建てさせてくださいな」

「……それが四つ目だとでも言うのか」

「はい」


 困惑の色を露わにした氷狼を前に、ヴァネッサは四本指を立てた手を掲げた。


「四つ目は、力を注ぎ込んだ上で氷狼様のメンタルケアを行うことですわ」


 ピシリと眉間に皺を寄せて、固まる氷狼。


「心と命、どちらか一つではなく、両方とも取らせて頂きます」


 鳥の羽ばたく音一つ聞こえてこなかった森の中に、火竜の豪快な笑い声が響き渡った。


「断る」


 こだまするほど大きく響いた火竜の笑い声が止み終わったと同時に、氷狼がピシャリと言い退けた。

――と、その首に、ダリウスが剣を向ける。おまけに、シェールを引き寄せて。

 ほんの少し安堵させるような微笑みをヴァネッサに向けてから、彼は口を開いた。


「彼女の提案を断るのなら、今この場で俺が貴方を殺します」

「待て、何故そうなる」


 首を羽交い締めにされた氷狼は、彼女に攻撃が当たることを避けたいのか、抵抗はしない様子。

 口調が丁寧なのは、あえてなのか、ただ敬意を払ってのことなのか。わからないが、ダリウスの表情は淡々としている。淡々を通り越して無表情だ。早くも閉ざされかけたのかとハラハラし出したその時、彼が「あぁ」と声を出した。


「殺せばむしろあの世に行けると喜びそうですね。なら、インバットの薬師に頼んで専用の媚薬を作ってもらいましょうか。今度は火竜様と恋愛なさってはいかがです?」

「断る」

「なら彼女の提案に乗ってください。乗らないなら薬を盛ります」

「その前に君を殺してもいいのだが」

「その前に貴方を芋虫にして差し上げますよ」


 芋虫。その表現によからぬ想像が浮かび上がり、必死に頭を振り解いた。その隣に火竜が戻ってくる。


「おいヴァネッサ。貴様、やはり面倒くさい男に好かれたな」

「えっ、面倒くさいってどういう……」


 振り向いて尋ねるも、火竜は目を細めて笑うだけで、なにも言おうとはしない。どうせもう一度尋ねても答えないのだろうと、諦めて顔を氷狼たちへと戻す。


(あれ? というか今、私のことを名前で呼ん――)


 火竜へと顔を見上げようとしたその時、後ろの方角から多くの足音が聞こえてきた。大人にしては小さくて、歩幅が狭く、どこかもたついていてバラバラなこれは――


「シェールおねぇちゃんだいじょうぶ!?」


 振り向けば、教会の子どもたちがこちらへと駆けてきていた。薄着のままで、鼻も耳も真っ赤にして、なんなら鼻水も垂らしている。

 どうしてここに、と安全を確保するために駆け寄ろうとしたヴァネッサ。その瞳に、子どもたちのキラッキラの笑顔が映った。


「わぁ〜! おおきいわんちゃんがいる!」

「でっけぇドラゴンもいるぜ!」

「かわいい〜!」

「かっこいい〜!」

「えっ!?」


 動揺したヴァネッサの横を、捕まえきれなかった子どもたちが一斉にすり抜けていく。

 しまったと顔を向ければ、氷狼の周りを子どもたちが囲んでいた。


「わたしもなでたい!」

「おれも!」


 ダリウスが首を締めているのを抱きついていると勘違いしたのか、子どもたちは次々に氷狼によじ登ったり、撫でくりまわしたりしている。

 シェールは困ったような表情を浮かべ、ダリウスは氷狼から腕を離し、真顔でそっと剣に手をかけている。傷つけないよう、鞘の中に戻したようだ。

 氷狼はというと……真顔でされるがままになっている。氷漬けにされたような感じた。しかし、ほんのちょっと尻尾が揺れている気がする。

 どうしてここに、と呟いたヴァネッサの服を、子供の一人が引っ張った。見てみると、目を輝かせながら火竜を囲む子どもたちの姿があった。


「なでてもいい? はだがキラキラしていて、とってもきれい!」

「せなかにものってみたい! かっこいいもん!」

「ほお、わかっているではないか。よいぞよいぞ」

「えぇっ!?」

「やったー!」


 プライドの高そうな火竜のことなので、「図に乗るなよ小童共こわっぱどもが」などと言って暴れ出しそうなのだが、違ったようだ。フフン、と満足げに鼻を鳴らして爪や鱗を触らせている。


(そ、そういえば、ブレイズ王国の民って単純で、すぐに機嫌が直るのよね……もしかして、火竜様って意外とチョ――)


「ヴァネッサ様」


 殺伐とした空気から一転した状況に頭が追いついていないヴァネッサの元に、ゼンがおずおずとやってきた。気まずそうに瞳を下へと向けている。


「どうしたの?」

「その……勝手に追いかけてきてごめんなさい。窓から山に入っていくおねぇちゃんの姿が見えて、追いかけてきたんだ。……みんなも後をついて来たんだと思う。来ちゃだめだって言ったのに」

「そうだったのね。危ないところだったと注意したいところだけれど……心配する気持ちもわかるわ。まずはこの場を収拾をつけて、教会に帰ってから話しましょう」

「……うん」


 目に涙を浮かべ、それでも泣くまいと耐えているゼンの頭を撫でる。次いで、いつのまにか側に控えていたミアへと彼を預け、氷狼へと近づいた。


「私が氷狼様へ提案するのは、人間と関わることです。そうすることで、精神が少しは安定するのではないかと思っています。もちろん、定期的にカウンセリングも受けていただきたいです」

「……嫌だ。また寂しい想いをするだけだ」

「過去形で仰りますが、今も寂しい想いをしていらっしゃるではありませんか」


 ギギギ、と小さく口を動かした氷狼は、ヴァネッサに突っ込まれてまた口を閉じた。


「今まで、ラヴィーネ様と王族の方以外の人間と関わったことは何回ありますか?」


 氷狼の唇がよりいっそうキツく締められる。


「まだまだ生き続けるのですから、試しに数十年くらい山から出て、これでもかというほど人間と関わってみてはいかがです? 百を寂しいのみで埋めるのではなく、そのうちの一でも幸せにしませんか?」

「だが……私は……狼で……」

「いっしょにかえろう!」


 背中に乗っていた子どもの一人が、狼狽える氷狼へと声をかけた。


「もっとなでたい!」

「いっしょにいたら、きっとさびしくなくなるよ」

「今よりずーっとね!」


 ぎゅーっと抱きつかれて、氷狼はただ目をパチクリとさせた。その目が湖畔のようにキラッと輝いて見えたのは、きっと――


「ね、わんちゃん!」

「わんちゃんではない」


 ずっと突っ込みたかったのか、先ほどよりは強い口調で告げる氷狼。子どもたちは何故か楽しげに笑いだした。その様子に安堵しつつも笑みをこぼす。

 ふと、シェールが氷狼へと歩み寄った。


「わたし、本当は氷狼伝説が苦手だったんです。読むとどこか懐かしい心地がするのに、寂しくて、悲しい気持ちになってしまうから。その理由が、やっとわかりました」


 シェールは、まるで祈りを捧げるかのように、白い雪面に膝をついた。慈悲深い微笑みを向けられた氷狼が、胸を掴まれたようにはっとした表情で彼女を見つめる。


「わたしに、氷狼様が再び歩き出す、お手伝いをさせて頂けませんか? 貴方には、幸せを感じていてほしいんです」


 二人の姿は聖画のようだった。美しくて、温かくて、穏やかで、すべてを包み込んでしまいそうに、美しい。冷たい雪の原に、一輪の花が咲いたようだ。

 その景色に見入っていると、ダリウスが隣へと歩いて来た。ふっと笑いを溢すその姿からは、今までのような命の危機は感じられない。


「これで大丈夫そうだな」

「わかるのですか?」

「ああ、俺の中から氷狼の感情が消えた感覚がするんだ。精神が安定し始めたのだろう」

「よかったです」


 にこっと笑ったシェールの姿を確認し、さらに安堵するヴァネッサ。その手をダリウスが優しく引いた。


「これでようやく、迷いなく君に伝えることができる」


 少し血生臭いのに、彼の香りは心地よくて、愛しくて。なのに体温は相変わらず低いものだから、安心してもいいのか、心配した方がいいのか、ドキドキした胸で悩んでしまう。

 しかし、ここは彼の言葉に集中しよう。きっと、彼も自分も、この時を待ち望んでいたはずだから。

 身体が離れ、頬へと移動した彼の手を取り、微笑む。

――その時、視界の端で何かがギラリと光った。

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