34話 三つ巴はお断りです
傭兵たちが倒れている、雪の見えなくなった戦場。その中心で、マーティンが膝を付き、苦し気に胸元を抑えている。顎先は赤く腫れ、首には小さな締め跡がついていた。落下後も意識があったため、縛りやすくするために少し気絶してもらったのだ。ちなみに、炎の力は奪っていないが、抜いてある。回復まで時間がかかるだろう。
剣の切先を向けながら彼を監視していると、誰かが雪を踏み分けてくる音が聞こえてきた。
「喉を損傷したか。まぁ回復はするだろう」
振り向けば、ミアによる治療を受けたダリウスの姿があった。はだけた衣服の隙間からは包帯が覗いている。
ヴァネッサは駆け寄りたい気持ちを抑え、彼が隣に来るのを待ってから口を開いた。
「怪我の具合はどうですか?」
「ほぼ塞がりかけているから大丈夫だ」
「よ、よかった……」
とても不安だったのか、まだ氷狼に会っていないというのに涙が出てきてしまう。
本当、この国に来て涙脆くなった。
そう思いながら涙を払おうとするも、その前にダリウスの指先が目尻に触れた。
「心配をかけてすまなかった」
「私も迂闊でした。申し訳ございませんわ」
二人して微笑み合い、そっと手を取る。
すると、マーティンが小さな声で笑った。ダリウスと共に警戒しながら振り向く。
ない。彼の腕に巻かれていたはずの縄がない。気付けば、スチュワートによって手綱をかけられていたはずの手が、懐へと伸びていた。
「甘ぇな。まだ仲間がいるんだよ」
締め跡の残る赤紫色の手を、信号拳銃へとかけるマーティン。その時、森の奥から一人の執事が駆けてきた。先程の傭兵たちとは異なる容貌だが、ダリウスと共に剣を抜く。
「誰だ」
ダリウスによって剣を向けられても、執事は顔色一つ崩さず、腰から体を曲げ、手本のような美しい礼をした。
「お初にお目にかかります、ダリウス殿下。私はマーティン殿下の婚約者にあたるジルダ・フォルト・マーセリーナ嬢の専属執事で御座います」
「婚約者?」
「チッ……何をしにした」
だめだ、まったく記憶がない。名前は少し聞き覚えがあるような気もする。それでもわからない。
おまけに、ダリウスではなくマーティンが先に来訪理由を尋ねるとは、ジルダ嬢はいったいどれだけ恐ろしい人物なのだろうか。彼の性格からして、手駒として扱いやすそうな、気が弱くて地位だけはある女性を選ぶと思っていたのだが。
頭を捻るヴァネッサを含む三人の前で、執事はまたもや紳士的に微笑んだ。
「いやはや、殿下が頼まれた傭兵集団はマーセリーナ家と繋がりがありまして。お嬢様みずからついて行きたいと仰られたのです」
「チッ。戦えないくせに、何を言ってるんだか。いや、それとも話が……まぁ無理か」
また舌打ちである。どれだけ嫌なんだと内心突っ込んでいると、ダリウスがそっとヴァネッサの前へ出た。
「勝手に話を進めるな。今までの状況は見ていたのだろう? 彼の援軍となるなら帰すことはできない」
「――だ、そうですよ。いかがなさいますか、お嬢様」
そう執事が声を張った途端、木々がザワザワと揺れ出した。
ダリウスの肩越しに見えたのは、全身黒ずくめで、目元以外は布でガチガチに巻かれ、身体に武器を巻きつけた、殺伐とした集団。フクロウのように闇に紛れて木に留まり、熊のように雪原へ立っている。彼らに武器を下げさせながら前へと出てきたのは、美しい金髪を結い上げた――
「あ」
「どうした?」
それは、舞踏会にて棺の中に入れられていた少女だった。イエローダイヤモンドのような憂いを帯びた瞳が、こちらへと向けられる。そして、はっと小さく見開かれた。
「もしかして……ヴァネッサ殿下が」
そう小さく呟いたのち、彼女は頭を横に振った。
「わたくしは彼の未来の妻……ですので、力を貸すほかありません」
小さく呟いた彼女の姿を見て、ヴァネッサもまた息を呑む。
この気弱そうで、意思の薄そうな彼女の瞳に、ようやく記憶が反応したからだ。
彼女は、マーティンの言うことはなんでも聞く所謂つまらない邪魔な女(マーティン談)であった。
ヴァネッサと王城で出くわしても、一瞬目を合わせ、挨拶をしてはそそくさと立ち去ってしまう。ゲームでも、引っ込み思案な人物だと書かれていた。
覚えていなかったのは、彼女がマーティンの影とほぼ一体化していたからだろう。
彼が彼女を婚約者として選んだのは、伯爵家にしては富んだ財力と、家業として市場に広めている武器の入手であった。裏社会にも名を馳せていたか。
そういえば、血筋を辿れば、王族の血を引く公爵家へと繋がるらしい。故に、見た目が似ているのだろう。
利用する目的で彼に選ばれたジルダは、ゲームにて気の毒な死を遂げることとなる。
どのルートでも、マーティンによって殺されるか、姿形を変えて売られるかの二択なのだ。教会ルートでは拉致監禁され、シェールと結ばれた後に売られる。
(――で、それを私が止めたと)
助けたよしみで見逃してくれないだろうか。なんて、呑気なため息をついてジルダを見つめる。彼女は何故かマーティンを見つめたまま動かないでいた。
ふと、執事がこちらへと振り向く。
「どうしても、殿下の身柄をこちらに引き渡していただけないのですね?」
「ああ。今からあの数を相手するのは、少し骨が折れるからな」
これ以上の戦闘は避けたいが、負ける気はない。そう言いたげなダリウスの発言に執事が眉を動かす。
――その刹那、獣の大きな咆哮が山中に響き渡った。
耳を塞いでもなおビリビリと鼓膜が揺れるほど大きくて、低くて、重くて、慟哭にも似た鳴き声だ。
ダリウスと手を握り合い、身体に降りかかる重圧に堪える。
雪崩もあり得ると、そう喉を上下させたその時、ズシン、ズシンと重い足音が木々を揺らし始めた。自身の手を握るダリウスの手に力が込められ、顔を上げる。優しい表情にヴァネッサの緊張が少しずつ解れていく。
程なくして、ほんの数十メートル先で足音が止まった。
恐る恐る顔を向けたヴァネッサの息が止まる。
大きな銀色の毛に、透き通るようなアイスブルーの瞳を持った巨大な狼が、崖の上からこちらを睨みつけていたからだ。
「ひょ、氷狼……」
誰かの声がぽつりと聞こえてくる。
口を開けていたのも束の間、その大きな瞳にギロリと睨まれ、ヴァネッサは身震いをした。その前を黒い影が走る。
「失礼」
「あっ!」
気付けば、耳栓をした執事がマーティンを抱き抱えていた。そのままジルダの元へと駆け戻る。
ダリウスによって放たれた氷が後を追ったその時、再び咆哮が鳴り響いた。地面が揺れ動き出し、氷は衝撃波で砕け散っていく。
「……不愉快だ」
低い声はどこかダリウスに似ている気がした。
スタッと体に似つかわしくない音を立てて、氷狼が雪原に降り立つ。
「争いなら他所でやれ。私はもう人間には関わらない」
「お待ちください」
手を握ったまま、ダリウスが凛と声を張った。氷狼のつまらなさそうな目が向けられる。
「……王族か。今回はいつもよりはや」
氷狼の眉間がピクリと動き、ヴァネッサを睨みつけた。鋭い牙が、唇の端から現れる。
「なぜ君のような者がいる。実に不快だ」
「ヴァネッサ!」
バキバキと氷の棘が辺りに生え、ヴァネッサ目掛けて一斉に飛びかかる。
炎を出すよりも早くダリウスが飛び出したその時――肌を焼くような熱さと共に、火焔音が辺りに鳴り響いた。
風を巻き起こし、地を響かせ。
眼前に降り立ったのは、火竜。
「……やはり来たか」
氷狼に睨まれた火竜は、大きな翼でヴァネッサの肩を撫でたかと思うと、ニヤリと挑発的な笑みを浮かべた。
「我は此奴らを存外気に入っているのでな」




