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32話 古傷同士が手を組んだようです

「殿下が氷狼様の血を!?」


 霧が立ち込める山内にシェールの声が響く。動揺のあまり足を滑らせかけた彼女の身体を、ヴァネッサは支えた。


「気をつけて」

「あっ、す、すみません!」


 顔を赤くするシェールを見て、ヴァネッサはクスリと笑みをこぼす。もう大丈夫だと、シェールはお揃いの手袋から手を離した。

 ダリウスはシェールへ、昨夜ヴァネッサへ話したことと同じ内容を伝えた。スチュワートもミアも、近くで使えてきただけあって知っていたようで、彼の発言に眉一つ動かしていない。


(それにしても、イエローボ山はやっぱり他の山とは違うわね)


 気温は真冬のように低く、地面には土の色一つ見えないほど厚い雪が積もっていた。吐く息は白く、呼吸をするたびに冷えた空気で鼻や肺が痛む。葉の付いていない枝にも雪が積もっており、氷柱を垂らしているものもいくつか見受けられた。

 霧の隙間からところどころ見えるフクジュソウの黄色を眺めながら歩いていく。すると、シェールが一つ小さな咳払いをした。


「そのような事情があるのでしたら、余計にイエローボ山が気になっていたのではありませんか?」


 シェールの問いにダリウスは首を横に振った。


「教会でも言っていたように、イエローボ山が聖域という話は聞かされていなかったからな。今はもちろん気になっているが、昔はまったくだ」

「あ、そうでしたね」


 ダリウスは頷き、次いで霧の外へと目をやる。その時、彼の手が微かに震えていることに気がついた。

 朝から彼の様子は少し変だった。もちろん、今までの媚薬事件とは異なった形で。ヴァネッサより服を着込んでいる上に、時折り目が虚ろになるのだ。ボーッとしているような感じで、そのまま空気に溶けて消えてしまいそうな危うさがある。

 ヴァネッサは驚かさないようにそっと彼の手に触れ、炎の力でじんわりと温めた。


「寒いですか?」


 はっと窓から視線を戻すダリウス。彼の瞳にはほんの少し戸惑いの色が見える。


「……少しな。あと、俺にはあまり触らない方がいい」

「どうしてですか?」


 そう尋ねた刹那、パキリと何かが凍る音が聞こえてきた。足元からだ。シェールもミアも彼の足元へと視線を注いでいる。

 緊迫感の漂う視線を追ったヴァネッサの額にもまた、冷や汗が滲んだ。


「……靴先から氷が張っていますね。やはり調子が悪いのですか?」


 振り向き、もと来た道を見てみれば、彼の足跡一つ一つに氷の華が咲いていた。


「実は寒気が戻ってきた。力の抑えも効かなくなってきている」


 また、山に入ってそのスピードが早まったとも彼は告げた。

 基本的に、炎の力使いは、力をコントロールして出せるようにする必要がある。使う気を起こさない限りずっと使えないからだ。最も、ヴァネッサは力が多かったため、するかどうかはさておき抑える訓練も必要だったが。

 対するダリウスはというと、抑えようとしない限りずっとものを凍らせ、氷が出るようだった。彼が力の扱いに長けていたのはそのせいらしい。生まれた時から抑制・制御訓練を行ってきたのだ。難易度によっては名前のようなものを用意しているのも、コントロール術の一つだとか。

 長い時間を訓練にかけてきた結果、的確なコントロールをできるようになったダリウス。それが今は制御ができなくなっている。危険な状態だ。

 ヴァネッサはダリウスの手を強く握り、うっすらと彼の手を覆っていた氷を溶かした。


「絶対になんとかしてみせますから」


 光を失いかけていたダリウスの瞳が、愛おしげに細められる。


「ありがとう。俺も、君と生きるために尽力しよう」

「どういうことですか」


 生きるため。その言葉に反応したのだろう、ミアが強い語調で尋ねた。ヴァネッサはダリウスと顔を見合わせ、そうだと頷く。

 ダリウスにはゲームのことをすべて話した。今ある記憶のすべてを曝け出したのだ。この世界にはコンピューターというものがない。また、前世の記憶は中途半端。故に"ゲーム"の説明に手こずったが、流石はダリウス。五分もかからないうちに理解してくれた。

 突拍子もない話なのにどうして信じてくれるのか不思議だったのだが、彼曰く「否定する確かな証拠などない。信じるには、君が言ったというだけで十分だ」ということらしい。この回答には驚いたものの、それほど彼からの信頼が厚いのだと嬉し恥ずかしく感じたものだ。

 しかし、どのタイミングで思い出したのか、何故ゲームのシナリオから外れてダリウスへ声をかけたのか。その理由は隠していた。


「氷狼を見つけて確認したいことがある。この症状を治すためなら、例え――」


 ダリウスの目の色が変化した瞬間、ヴァネッサは彼に引き込まれた。頭のすぐそばで聞こえてきたのは、剣が金属を弾く音。

 雪面に落ちた弓矢を認識したヴァネッサは、彼の腕の隙間から空を見上げた。途端に星々のような反射光がギラリと光り、反射的に炎を霧の先へと放つ。黒く焦げた匂いと白い霧が混ざり合う中、矢の音は止むことを知らないようで。矢を燃やし、ダリウスは弾き、三度瞬きをしたその時、背中がゾクリと震えた。


「きゃっ!」

「ヴァネッサ様! ダリウス殿下!」


 ダリウスによって手を引かれ、そのまま雪の上へと転がり込む。受け身を取り、起き上がった刹那、金属と金属がかち合う音が冷えた空気に鳴り響いた。

 目の前で二つの剣が眩しく光る。自身とよく似た金髪が数本、舞い落ちていった。


「久しぶりだな、ダリウス殿下。薬の効果はどうだっただろうか」

「なに?」


 不敵な笑みを浮かべるマーティンに、ダリウスは低い声で睨め付ける。


「俺とお前は初対面のはずだが」

「おっと」


 立ち上がろうとする彼を、マーティンが止めた。自身たちを見下ろす、人を小馬鹿にしたような目が気に食わない。


「迂闊に動くと、連れが怪我するぜ?」

「なにを――シェールさん!」


 剣の外へと目を向ければ、マーティンの仲間と思われる黒ずくめの傭兵(もしくは暗殺者)がシェール、ミア、スチュワート、それぞれの首にナイフを突き立てていた。両腕も片手で後ろに締め上げている。

 シェールは顔を真っ青にさせ、目に涙を浮かべていた。ミアとスチュワートは……まさかの真顔である。アヴァランシェの民は感情が表に出にくいとは聞いたことがあるが、それにしても度を越えすぎだろう。

 残虐非道なマーティンのことだ。下手に動けば、本当にシェールたちを傷つけかねない。

 ヴァネッサの後ろからやってきた傭兵に反応するダリウスの手をそっと咎め、ナイフを首筋に当てられたままマーティンを睨みつける。次いで、挑発的な笑みを浮かべた。


「私たちを待ち伏せていたんですね。何が目的ですか? シェールさんを狙うだけなら、お兄様の性格を考慮すると誘拐をしそうですけれど」

「それでもよかったんだが、協力者の助言があってよ。まぁ、いくつか読みが外れたみてぇだが……」


 マーティンは霧が張れた奥、岩陰へと視線を移す。小さなため息が聞こえてきたような気がした。

 やはり、とでも言うべきか。サクサクとかわいらしい音を鳴らして登場したのはカレンだった。

 鮮やかなピンクの髪に、蜂蜜のように甘くて大きな黄色い瞳。小さな鼻に、桜色のぷるぷる唇。足音と同じくかわいいパーツをしているはずなのに、彼女の表情は鋭く、ひどく冷たい。


「カレン嬢……どうしてここに?」


 ヴァネッサの問いに対してつまらなさそうに一つ瞬きをしたかと思うと、彼女の小さな口が開かれた。ニコリとヒロインらしい笑みを浮かべて。


「もう捕縛できたんですね。流石はマーティン様、仕事がお早いです」

「世辞はいい。早く出せ」

「はぁ、これだからオレ様系は」

「なんだと?」

「どうぞ」


 舌打ちをする勢いで言い捨てたカレンを、マーティンは眼光鋭く睨んだ。

 彼女が取り出したのは、二つの小瓶。片方を受け取ったマーティンは、にこりと悪どい笑みを浮かべた。


「それはなんだ。昨日俺が飲んだものと酷似しているが」

「はい、そうですよ。氷狼の血を引く哀れなダリウス殿下」


 再び無垢な表情に戻ったカレン。その言葉にダリウスが眉間をピクリと動かした。ヴァネッサもまた、目を見開いた。

 彼女もゲームの記憶がある。予想が確信に変わった瞬間だった。


「何をする気だ」

「簡単なことですよ。……ヴァネッサ様ならわかりますよね?」


 動けないことをいいことに、カレンがヴァネッサの耳に唇を寄せた。


「インバットには、優秀な薬師たちがいるんですよ。そこで、“純愛の媚薬”をアレンジしてもらったんです。一つはダリウス殿下に向けて、二つ目は……マーティン様に対する、シェールさんの好感度が上がるようにしたんです」

「つまり、存在しなかった悪質な媚薬(かきんアイテム)を作ったってことね」

「ふふ」


 皮肉げに微笑めば、カレンもまたかわいらしく微笑んだ。高い声が粘つくように鼓膜を撫でる。


「やっぱり、あなたもわたしと同じなんですね」


 そう言い残し、微笑みは崩さないままカレンは上体を起こした。

 ゾワリと悪寒が走るほど不気味な、彼女の笑顔。瞳の奥に冷気が宿ったその時、ついに瓶の蓋が開けられた。


「殿下がヒロインに惚れて、そのままここへ来たなら使うつもりはなかったんです。だって、まだ通じ合っていなかったから。でも、今はこれでよかったと、解けてよかったと思っています」

「どういうことよ」


 カレンの顔は真顔になり、マーティンの顔は歪な笑みへと変わった。


「これで、シェールは俺のところへ戻ってくる」

「やっと、ヴァネッサ様は失恋することになる」


 元からマーティンのところにいないだろう。そう突っ込む暇はなかった。

 マーティンは彼の前へ突き出されたシェールの顎を引っ掴み、カレンは瓶をダリウスの頭上に持ち上げた。


「今度こそ、正しくヒロイン(わたし)に奪われるんです」


 瓶が傾き、赤い液体が零れ落ちる。

 ――その時、ダリウスがハッと鼻で笑った。


「もういいぞ」

「かしこまりました」


 ミアとスチュワートのよく通る声が発せられた瞬間、二人を捕らえていたはずの傭兵が膝から崩れ落ちた。

 ヴァネッサについていた傭兵もダリウスの放った氷によって吹き飛ばされ、地面に手足を氷漬けにされてしまう。

 シェールへと手を伸ばしたマーティンは、ミアとスチュワートと交戦。次いで二人はダリウスと代わり、姿を現した傭兵の相手をし始めた。ヴァネッサも負けじと剣を抜き、シェールを引き寄せる。


「怪我は?」

「は、はい、大丈夫です」


 震える彼女の肩を抱きながら、辺りへと視線を素早く巡らせる。


(カレンはどこかへ隠れたようね)


 ずっと彼女をいじめたことを後悔していた。ハリールートを選んだことも、仕方がないと思っていた。しかし、彼女もゲームの記憶があり、また、なんらかの意図があってハリーを攻略したとなれば別だ。今までの行動を詫びた後に事情を聞きたい。

 しくじったと悟るも、今はカレンを探すよりシェールを安全な場所に逃す方が先だ。

 非難ルートを探すヴァネッサ。ふと、カレンが自身の名を呼んだ。


「その女もらうぜ!」

「邪魔よ」


 真正面から振り下ろされた剣を受け止め、次いで木の上から飛び降りてきた傭兵を蹴り飛ばす。薙ぎ倒された傭兵は岩にぶつかり脱力し、吹き飛んだ傭兵は少し先の地面でうずくまった。そのことを確認しシェールの手を引く。


「こっちよ」

「はい!」


 シェールはミアかスチュワートに任せ、ここは炎の力でも使って一気に戦力を削いだ方が良さそうだ。ちょうどミアが周囲の傭兵を(どうしたのかはわからないが)地に伏せたところであった。ヴァネッサは太ももに巻きつけていたベルトから短剣を外し、シェールへと渡してからミアへと近づく。


「ご無事ですか」

「えぇ。私は炎を使って一掃するから、ミアはシェールさんと一緒に避難してちょうだい。いいわね?」

「かしこまりました。ご武運を」

「止めないのね」

「止まらないでしょう?」


 二人して傭兵の攻撃を躱し、腕を掴んで投げ飛ばす。

 ヴァネッサは返事の代わりに微笑んで、ミアに背を向け再び剣を構えた。遠ざかる足音に安堵する。――その瞬間、辺りに銃声が響いた。

 咄嗟に横へ飛んだヴァネッサの髪を、銃弾が切り裂く。焦げた匂いに鼻をひくつかせながら振り向くと、マーティンが左腕を庇いながらこちらを睨みつけていた。すかさずダリウスが畳み掛け、雪原へと膝をつく。しかし、マーティンは炎の灯った手で剣を避け、再び立ち上がった。


「俺の邪魔をするなこの愚妹が!!」

「ヴァネッサ!」


 二発目、三発目の銃声が鳴り響く。

 ダリウスもスチュワートもヴァネッサを見ていた。しかし、スローモーションで動く世界の中でヴァネッサの感が告げている。


(違う。彼が狙ったのは私じゃない。狙いは――)


「シェールさん!」

「顔が潰れてもかわいがってやるよ!」

「えっ?」


 振り向いたシェール。その顔のど真ん中に銃弾が撃ち込まれる――寸前、ヴァネッサが空を掴んだ。

 ジュッと鉄が溶ける音と共に、掌に痛みが走る。苦痛に耐えた顔を見て、シェールが小さな悲鳴をこぼした。自身に駆け寄ろうとした彼女を、目を見開いていたミアが止める。


「手袋のおかげで大丈夫よ」


 最も、手袋は焼けて穴が空いたため、もう使えないが。掌はちょっとした火傷程度で済みそうだ。

 ヴァネッサは微笑み、シェールからマーティンへと視線を移した。周りの傭兵たちは、あり得ないものを見たような目でこちらを見ている。攻撃をしていい相手なのか見極めようとしているのだろう。

 まだマーティンのことは怖いが、それでも守りたい存在が、未来があるのだ。逃げることはできない。周囲への警戒を怠ることなく、かつ、威嚇するようなオーラを放ちながら彼へと歩いていく。

 その時、ある違和感が胸をざわつかせた。


 マーティンが撃った銃弾は二発。一発は自身の手の中に。

 なら、もう一発は。

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