7話 脱出も逃亡も、成功させてみせます
ヴァネッサが窓から飛び降りてすぐ、寝室の扉が開かれた。そこには、冷や汗を浮かべて窓の外を見やる、国王の姿があった。
「陛下?」
ケネスが声をかけると、国王ははっと頭を上げた。
「あ、ああ。話があるのだったな。なんだ?」
「お時間を割いてくださり、ありがとうございます。ですがその前に、質問をしてもよろしいでしょうか?」
「構わない」
礼をしていたケネスは上体を起こした。国王の背に悪寒が走る。
「――先ほどここに、どなたかいらっしゃいましたか?」
ヴァネッサが来た。その言葉より先に、彼女の冷たい炎の宿った瞳が、頭に浮かんだ。少し遅い反抗期。そう呼ぶには、あまりに静かだった。
「いいや、誰も来ていない」
「……そうですか。申し訳ございません、ただの気のせいのようです」
ケネスは穏やかに微笑んだ。それでいて疑うような眼差しは、国王が以前から抱いていた彼への違和感、闇のような恐怖を助長した。
「それで、何をしに来たんだね?」
「姉上のことを聞きに来ました」
心臓の鼓動がほんの一瞬、強まった。焦りを見せないために、笑い、側にあった椅子に腰かけた。
「舞踏会の会場から逃げたのだろう? お前とハリーから婚約破棄を相談された時に、なんとなく、こうなることは予想していたよ」
「許可を下さったこと、感謝しております」
「自身の娘を、お前の姉を傷物にしたのにか?」
そう冷めた目を向ければ、ケネスは生意気にも、非情にも「はい」と笑顔で答えた。
昔は泣き虫で、自身の顔色をうかがっていたというのに。ヴァネッサといい、子供の教育は思い通りにいかないものだと、国王は改めて確認した。
「カレンとかいう男爵家の娘に熱を上げるのは、もうやめなさい」
そうため息とともに零せば、ケネスの顔から一切の感情が消えた。
「いくら陛下のお言葉といえど、それは致しかねます」
「彼女はハリーの想い人だというのに、なぜ、そこまで熱をあげるのだ」
「陛下には、ご理解していただけないでしょう」
「なに?」
ケネスは再び微笑んだ。どこか困ったように眉を下げて。
「若気の至り、というものです」
「(なんだ、そんなものか……)わかっているのなら、やめておきなさい」
「肝に銘じておきます。では、僕は失礼します」
「話はもう終わりか?」
既にドアノブへと手をかけていたケネスに尋ねる。彼はもう一度自身へと顔を向け、そうだと言った。
何事もなくケネスとの会話が終わり、疲れを感じた国王は、椅子から立ち上がった。
「――本当に、姉上はいなかったんですよね?」
扉が閉まるほんの一瞬、ケネスの目が下を向いた。
答える間もなく部屋に残され、国王は視線の先を追う。
そこには、鉄でできた水たまりが出来ていたのだった。
★★★
「で、殿下!? はっ」
思わぬダリウスの登場に、ヴァネッサは思わず叫んだ。慌てて自身の口を抑える。
「声を出してはならない理由が、あるんだな」
何かを察した風で、ダリウスは呆れ顔で頷いた。彼が歩き出すと、視界が段階的に下がっていった。下を向いて見えたのは、キラキラと輝く氷の階段。
「落ちてくる君の姿が見えて、氷の力で作ったんだ」
まさか、彼も力持ちだったなんて。それも、自身と真逆に近い氷の力を。
「そうでしたのね。ありがとうございます。その、どうして、殿下はここにいらっしゃったのですか?」
メイドにはすぐに戻ると伝えたはずだ。国王と話したのはほんの数分。さらに、ヴァネッサは雪道を炎で溶かし、かなり時間を短縮させて王城まで来た。すぐ追いかけてこない限り、間に合わないだろう。
疑問に思い尋ねると、ダリウスは気まずそうに目線を逸らした。
「君が、早馬に乗って出て行ったと聞いたから。それだけだ」
「私が出て行っただけで、ですか?」
「それは……」
ダリウスは押し黙ってしまった。ただ純粋に聞きたかっただけなのだが、何か気に障ったのだろうか。
言及はせずに彼の横顔を眺める。
(あら? 地面に着いたのに、降ろして下さらない)
「殿下。お手を煩わせずとも、自分の足で馬車まで歩けますわ」
「馬車? 目立つだろうと思って城に置いてきたんだが、乗ってきた方がよかったか?」
小首を傾げるダリウスを、ヴァネッサも不思議そうな表情で見つめる。彼の気遣いはありがたいが、どうして目立たない方がいいと思ったのだろうか。また、それならば、何を使ってここに来たのだろう。
衛兵の目をかいくぐりながら、森へと入っていく。ふと、自身が登った壁を見てみると、氷の階段は溶けて消えていた。
「君が乗ってきた馬はこれだな?」
木の幹にロープでつながれた一頭の馬の前で、ダリウスは立ち止まった。
「そうですわ。とってもいい子でしたのよ」
「これは暴れ馬なことで有名なんだがな」
「えっ? でも、ちゃんと指示通りに走ってくださいましたわよ」
「どのような指示を?」
「出来るだけ早く、王城まで連れて行って、と」
そう正直に告げると、ダリウスは小さく笑った。
「そうか。君には確かに、いい子に見えたんだな」
「? はい」
「わかった。では、この馬は君にあげよう」
「いいんですの?」
「ああ。君にしか扱えないだろうから」
「ありがとうございます。嬉しいですわ!」
笑顔でお礼を言うと、ダリウスはまた苦笑した。
ヴァネッサのつま先が柔らかな芝生を踏む。その後ダリウスは、近くの木の裏へ入っていった。
少しして、黒い馬と共にヴァネッサの元へと戻ってくる。
「かわいらしいお目目をしていますわね。それに、とっても賢そうです」
「俺の愛馬だ」
「素敵ですわ。私も愛馬がほしかったのですけど、どの子も懐いてくださらなかったので、少し羨ましいですわ」
「もういるじゃないか」
ヴァネッサの手にすり寄る馬に、ダリウスが視線を移した。
少しして、その意味が分かり、ヴァネッサは頬を緩ませた。
「そういえば」
「いかがなさいました?」
ダリウスがロープを解く手を止めた。
「王城で何を話していたのか、聞いてもいいだろうか? それによって、君をここに置いておけばいいのか、連れて行けばいいのかが変わってくる。」
そう言いつつダリウスは、馬を繋ぐために結ばれていたロープを木から外し、ヴァネッサへと手渡した。
ロープと手綱を握り、ヴァネッサは答える。
「無事、身分を剝奪して頂けることになりましたの!」
解きかけていたロープが、ダリウスの手から落ちた。




