幕間
部屋を出て数分後、ヴァネッサはダリウスの寝室の前で口を開けていた。扉の前で控えていたスチュワートは申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「殿下が体調不良でお休みに?」
「はい、寒気を訴えられておりまして。殿下は昔から我慢強い方でしたが、今まで以上にお辛そうに見えました」
ですので明日お越しください、とスチュワートは深々とお辞儀をした。
彼曰く、アヴァランシェの民は寒さに強いとはいえ風邪をひかないわけではないらしい。何故なら気温も他より低くなっているからだ。他国に移住したなら風邪知らずになるだろう。
とはいえ、ダリウスが最後に風邪をひいたのは幼少期のことで、デビュタントを迎えてからは一度もないらしい。
「『風邪ではないだろうから一晩寝たら大丈夫だろう』と仰られていましたので、ヴァネッサ様はお気になさらずに」
「……わかったわ、おやすみなさい」
諭すように微笑んだスチュワートに別れを告げ、ヴァネッサは自室へと戻ることにした。礼をしたミアも後ろについてくる。
静かな廊下に二人の足音が響く。
そういえば、彼からおやすみの挨拶を聞かない日は今日が初めてかもしれない。夕食後に毎回、時によっては就寝前に自室を訪れた時にしてくれていたのだ。
今思えば、彼なりに行動してくれていたのかもしれない。それを自分は無下にしていたのだと痛感していたその時、ある可能性が浮かんだ。
「私が傷つけたから避けている可能性は――」
「ないです」
「……はい」
ミアによってキッパリと言い切られ、ヴァネッサは頷いた。次いで廊下の先へと視線を向ける。
「殿下に会ったらまず謝って……それからでも遅くないかしら」
「はい、遅くないと思いますよ」
「そう……ありがとう」
淡々と、冷静に告げられたミアの言葉はかえって力強く感じられた。一抹の不安が残るが、明日は回復していることを願って眠ることにしよう。
★★★
風が窓ガラスを叩きつける音が響く部屋の中、ダリウスは棚に肩を預けて項垂れていた。ベッドに行き着く前に倒れてしまったのだ。
血の気の引いた雪のような肌、小刻みに震える身体、胸の奥は張り付けられたように冷たくて痛い。
「…………寒い……」
そう呟いた喉の奥が凍てつくような心地がする。吐き出した息も熱を感じられない。
身体が屍になったように重く固い。いや、これはもはや氷といえばよいだろうか。
痛みや寒気は感じられるのに、思考も回るのに、何かが消えて行く心地がしてならない。先ほどまで感じていたはずの微かな不安や恐怖さえも奪われていくようだ。
棚に触れた肩、床についた膝や足からは氷が張り、じわじわと室内を侵食している。
いつもは制御できている氷の力が止められない、抑えられない。
「……誰だ」
意識を手放しそうになる手前、ダリウスは短剣を取り出し剣身を握った。微かに戻ってきた意識の中で後ろへと振り返る。滴り落ちた血は瞬く間に結晶と化していた。
滲む視界の中で見えたのは赤い瞳で、月明かりの下で金糸のような髪が爛々と輝いている。ヴァネッサではないことは、謎の人物の纏うシルエットやオーラですぐに悟ることができた。
窓からの侵入とはいえ、自身の部屋にたどり着けたのだ。相手は相当な手練れだろう。
威嚇するように氷を放つも、座標がブレて当たらない。近づいても弾かれてしまう。
「利用させてもらうぜ」
そう手を差し出した男からは、二つの笑い声が聞こえてきた。




