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26話 離れたのは大切だから…です

 真夜中にしては明るい窓もカーテンも閉め切った部屋の中で、ヴァネッサは椅子に座り膝を抱えていた。夜空の見えない窓際をじっと見つめている。

 帰宅後、放心に近い状態で湯浴みを済ませたヴァネッサは、ミアに手を引かれるまま自室に戻ってきた。「頭を整理したいから一人にさせてほしい」そう言ったおかげだろうか。促されるまま椅子に座り、お腹が鳴っていたからと夜食を出され、時折り何か言いたげな目を向けられていたが、結局は放っておいてくれた。

 ぬるくなったミルクに口付けようとして、再びカップをソーサーに置く。そして、ため息をついた。


「どこから間違えてしまったの?」


 いや、きっと、間違えたとか正しかったとか、そういうことではないのだろう。あえて似たような言葉で表すのなら「読み違えた」だろうか。それとも、ただ気づかないふりをして、盲目的で杜撰な計画を押し付けてきたか。

 いずれにせよ、ダリウスとシェールをくっつけ短命の謎を解明・解決するという計画は、これ以上は実行不可ということだ。


 命の恩人である彼を助けたい。その一心だったはずなのに、逆に彼を傷つけてしまった。ミアの言う通り彼にとっての幸せを、きちんと彼と話し合って確認したらよかったのに。

 しかし、それはそれで困るような気もする。ダリウスが先ほど言い残した言葉が本当なら、ヴァネッサが予想する意味でのことなら、シェールとくっつける道はほぼ絶たれるだろう。となれば、謎に迫る確率が下がるかもしれない。二人がくっつけば何かが起こるかもしれないと踏んでいたのに。


(でも、それって希望的観測でしかないのよね)


 何も起こらないかもしれない。そうなれば策なしだ。

 では、もう少し現実的な策を考えるしかない。


 アヴァランシェは氷の国。ダリウスは、というか恐らく王族は氷の力持ち。ダリウスは失恋のショックで死亡、結ばれても短命、または心を閉ざす。建国後、また、教会が建てられた約六百年後に、氷狼の伝説が生まれた。教会の近くには聖域――イエローボ山があり、王族以外は立ち入り禁止である。

 ザッとダリウス周辺の情報をまとめるとこんな感じだろうか。ヴァネッサは急遽メモを取り出したペンの動きを止め、用紙を凝視した。


「この中で謎に包まれた所、怪しい所は……だめだわ、頭に入らない」


 帰宅後ずっと頭の中がグルグルとしていた。思考なんて複雑なものとは異なった、よくわからない塊のようなものが渦を巻いているような心地がする。胸だって、ドキドキしていないくせに苦しくて、張り裂けそうで、辛くてたまらない。

 どうしよう、小さく呟いたその時、誰かが扉をノックした。

 扉を開けたのはミアで、横へと逸れた。代わりに出てきたのは――


「おかえり。舞踏会での話を聞かせてよ」


 トランクケースを片手に微笑むライルだった。



★★★



「殿下はあんたを探しに行って、あんたはシェールさんを助けて作戦は失敗。おまけにそんなことを言われたなんてね〜」

「そうなんです……」


 愉快そうな声色のライルの前で、ヴァネッサは大人しく椅子の上で正座をしていた。

 ふと、机の上にグラスや瓶を置き終わったライルの手が止まる。


「それで? あんたは殿下のことどう思ってるの?」

「どうって――」

「好きなのか聞いてるの」


 顔を上げれば、ライルはなんでもないような表情でグラスを見ていた。たびたび手を動かしているということは、角度によって色が変わる反射光を観察しているのだろう。


「私が好きだとしても、叶わない恋ですわ。第一、ヒーロー(でんか)ヴィラン(わたし)のことを好きになるなんて、おかしいですもの」

「なんで。一緒にいるうちに好きになる、ってこともあるんじゃないの?」

「だとしても、いつか好きじゃなくなると思うのです」


 悪役である自分に愛想を尽かすに違いない。

 いつもより強い語調で言ったヴァネッサは、はっと口をつぐんだ。そんなヴァネッサの耳にため息が聞こえてくる。


「あんたって、意外と自信がないよね。容姿や地位とか要素的な利用価値は認めていそうだけど、それだけ。自分自身のことはむしろ嫌いって感じ」

「私が……自分のことを、嫌い?」

「うん、そう」


 顔を上げれば、ライルは淡々とした口調で頷いた。彼が掴んだ瓶の口からポンと小さな発砲音が聞こえてくる。

 自分が自分のことを嫌いだなんて、考えたことがなかった。もちろん、好きだと思ったことも。彼の言う通りなのだろうか。


「今さらだけど、どうして殿下のところに来たのか教えて」


 一瞬答えに迷ったヴァネッサは、少しして口を開いた。


「恩人なんです。だから、自分が殿下のことを好きとか関係なく助けたいんです」

「……俺も同じだよ」

「えっ? 同じって――」

「まぁそれだけじゃないと思うけどね、はい」


 突然ライルがヴァネッサへとグラスを差し出した。赤黒い液体が波打っている。

 わけもからず彼の顔を見てみると、どこか真剣な眼差しで彼もまた自身を見つめていた。そして、ふっと細められる。


「俺を使っていいよ」

「どういうことですか」

「これ、媚薬だから」


 グラスを持つ自身の指が微かに動いた。ライルがふわりと、それでいて怪しげに微笑む。


「あんたが俺のことを好きになれば、殿下は恋心を諦める。その隙に殿下にも盛って、シェールさんを好きになってもらう。そうすれば目的を果たせるよ」

「そんなこと……できません」

「どうして?」


 耳元で聞こえてきた囁き声は、甘く鼓膜を揺らした。彼の手に触れられた肩が熱くなる。

 彼の言うように、彼が許可したようにしたのなら、楽になれるのかもしれない。当初の目的を果たすこともできるかもしれない。恐らくこれは名案だ。なのに、胸が苦しくて、痛くて、水面に映る自身の顔は酷く困惑していた。

 そして、渦の引かない頭の中で浮かぶのは――


「ほら、いま、誰のことを考えてた?」


 再度聞こえてきた声は、明朝に鳴り響く鐘のように強く頭を打った。

 弾かれたように顔を上げるヴァネッサ。すると、クスリと笑みをこぼしてライルが肩から手を離した。


「悩むならその理由を突き止めた方がいい。勢いに任せて判断すると後悔するよ、あんたにとって恋愛は後悔してもいいものなの?」

「あっ!」


 ライルがヴァネッサの手からグラスを奪い取った。そのままクイと流し込む。迷いのない手つきに、咄嗟に出したヴァネッサの手は追いつかなかった。


「どっどうするんですか!」

「はいはい、俺のことはいいから」

「いいって、よくな――」


 突如ノック音が部屋に響いた。聞こえてくるのは、訝しげに自身の名前を呼ぶミアの声。


「ヴァネッサ様、ライル様、何かありましたか?」

「いえ、何もないのよ。大丈……夫」


 扉へと向けた目を戻して見えたのは、ヒラヒラと夜風にはためくカーテン。そしてライルが消えている。


「ヴァネッサ様?」

「ちょ、ちょっと待っていて!」


 ヴァネッサは慌てて窓へと駆け寄った。そして小さく息を呑む。

 星が煌めく夜空の下、窓枠に手をかけ、ライルがこちらへと微笑んでいたからだ。ピーコックグリーンの髪が今にも飛び立ちそうなほどサラサラと揺れている。

 危ないよ、と伸ばした手に持たされたのはスケッチブック。


「これ……」

「殿下に伝えておいてよ、俺が再び旅に出たって。それには今までの家具や小物の情報がすべて書いてあるから自由に使っていいよ。俺が持っていても使いようがないしね」

「ここから飛び降りる気ですか? 二階ですよ」


 咎めるもライルは微笑むだけで。長い睫毛の間から宝石のような瞳が覗いたかと思うと――軽やかに窓の外へと飛び出した。


「待っ」

「あんたになら攻略されてもよかったんだけどね」


 どういうことだ、危険だと手を伸ばすも、強風によって視界を遮られてしまう。かろうじて伸ばしていた手には風が当たる感触がするだけ。

 ようやく目を開けた頃には、ドキドキするくらい甘い木の香りが残る、夜空が広がっているだけだった。あと残されたのは、腕の中のスケッチブックか。


「何があったのですか」


 呆けた表情をするヴァネッサの元にミアが駆けてきた。振り返ったヴァネッサの顔からスケッチブックへと彼女の視線が移動する。


「旅に出たみたい」

「今からですか?」

「えぇ。外も暗いのにびっくりよね」


 ミアは窓へと寄り外へと目を凝らした。真っ暗な視界に鮮やかな色は見当たらない。その横顔を見て、次いでヴァネッサは口を開いた。


「……ねぇミア、殿下はまだ起きているかしら?」


 ヴァネッサの言葉を受けて、ミアがこちらへと顔を向ける。相変わらず真顔だが、どこか嬉しげに見えるのは気のせいだろうか。


「最近寝つきが悪いと仰られていましたし、恐らく起きているかと思います」

「ならお会いしたいわ。話すことが、いえ、話さないといけないことがあるの」

「かしこまりました」

「ありがとう」


 恭しく礼をしたミア。彼女の後をついて行くヴァネッサは机の前でふと足を止め、液体の残されたライルのグラスを手に取る。これは一度も口をつけていなかったか。


「ヴァネッサ様?」

「……すっぱい」


 鼻を寄せたグラスからは、ただ酸味の激しい花の香りがするだけで、甘味なんて感じられなかった。

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