25話 どうして計画通りにいかないのですか
階段を滑り降りて一階へと着地。シェールを一旦おろし、手を取り直したヴァネッサは彼女と共に長い廊下を走っていた。
「掴まれたところはどう? 痛い?」
後方から聞こえてくる声は騒々しく、過去の嫌な記憶をチラつかせる。また、マーティンが「謎の人物によって私達より酷い危害を加えられる前に、彼女を助け出してあげましょう」とかなんとか言って追いかけて来ているのが気に食わない。普段の一人称は俺なのに、物腰を柔らかに見せるためにあえて私と言っているところも無性に吐き気がして仕方がない。
それでもシェールを気にかければ、彼女は顔に緊張を走らせながらもふるふると顔を横に振った。
「少し痛むだけです。それより、助けて下さり本当にありがとうございました」
「少しでも痛むなら、帰ったらお医者様に診てもらいましょうね。……どうしたの、まだ眉間に皺がよっているわ」
感謝の言葉を受け止めようとしたその時、シェールの表情が暗いことに気づいたヴァネッサ。程なくして、シェールの瞳から涙が一粒零れ落ちた。
ヴァネッサは驚きを表に出さぬよう気をつけながら、あせあせとハンカチを探し始める。しかし全力で走っているためうまく取り出せない。
「わたし、だめでした」
「だめって?」
鼻声で呟いたシェールは、一度唇を噛んで再度口を開いた。
「権力が怖いんです。自分が粗相をしたら教会の方々に迷惑がかかってしまうんじゃないかと思ったら、何も言えなくなるんです。あの日、ヴァネッサが私を助けてくださった日だって、彼らが誰に雇われたのか察していたのに何もできなかった」
何もできなかった、というのは、その後マーティンに出くわしても問い詰めるどころか何も話せなかったということだろうか。疑問には思ったものの、彼女の話を聞く方が重要であるため口には出さない。
シェールは上がる息と嗚咽をグッと飲み込んだ。
「ヴァネッサ様の勇気ある自由奔放な姿を見て、わたしもきちんと嫌だと伝えようと思ったのですが……こんなことになってしまいました」
勇気ある自由奔放というワードが気になりはするが、これもあえて口に出すまい。
「大丈夫よ。きっとダリウス殿下が……」
助けてくれる。その言葉も最後まで口には出さなかった。誰かがバックにつくことで怖がらなくて済むようになること。それは、彼女が本当に望んでいることではないと察したからだ。
その心情に気付いているのか、いないのか。どこか神妙な面持ちでシェールはヴァネッサを見つめている。
――その時、馬の蹄が激しく地を蹴る音が真横から聞こえてきた。
「ヴァネッサ様。馬車から馬を一匹連れて来ました」
「ミア!」
慌てて横を見ると、ミアが一匹の馬から降りる姿があった。
「どうしてここに?」
「オペラグラスでヴァネッサ様を見ていましたから」
「あ、なるほど……」
ニコリと微笑んだミアの顔は、笑っているはずなのに薄寒くて。「また無理をしましたね?」とでも言いたげな圧がひしひしと伝わってくる。
「それで、シェール様を教会まで、いえ、別邸にお連れすればよろしいのですか?」
「そうね。ひとまずそうしてちょうだい。ダリウス殿下と相談――そうよ、ダリウス殿下はどこ?」
(本当は彼が助け――)
「わたしを見送り次第ヴァネッサ様を探しに行かれましたよ」
「なんでよ!?」
ヴァネッサは思わず頭を抱えて仰け反った。
どうして彼は自身のシナリオ通りに動いてくれないのだ。ゲームのシナリオにさえ沿ってくれない。
ひとまず馬に乗る手助けをすると、手綱を握るミアのお腹に手を回したシェールが不思議そうに首を傾げた。
「気のせいかもしれませんが、どうしてヴァネッサ様はダリウス殿下を避けていらっしゃるんですか?」
「それは……」
やきもちではないただの疑問を口にしたシェールは、口をまごつかせるヴァネッサを見て「うーん」と唇を尖らせた。
「殿下から聞いたんです。ヴァネッサ様はダリウス殿下と――」
「…………えっ?」
★★★
シェールのドレスによく似たベビーブルーのローブ。それを丸めて抱き上げたヴァネッサは、再び二階の廊下を走っていた。
かつてないほど低く、度肝を抜かれた声を出した後にマーティン達が駆けてくる音が聞こえ、ひとまず彼女を逃すことに集中することにしたのだ。マーティンは馬術も三兄弟の中で最も優れている。その技量はヴァネッサ自身よく知っており、すぐにシェールに追い付いてしまうことは容易に想像できた。そのため、マーティンがシェールの逃亡に気付いても手遅れになるまで、時間を稼ぐ必要があるのである。
また、ダリウスがどこにいるかも突き止めなければならなかった。ヴァネッサのみで馬車に乗ることはできない。ダリウスを徒歩で帰らせるなどご法度だ。
(正直に言って、会いたくないのだけれど……)
シェールが発した処理し難い発言を思い出したその時、矢が風を切る音が聞こえて来た。それもかなり下から。
小さく声を上げて横にそれたヴァネッサ。その足元で矢が大理石に傷をつける音が鳴った。
(アキレス腱を狙って……!?)
血の気が引くと共に喉がヒュッ音を鳴らす。すると、背中にかつてないほど強い悪寒が迸った。ゾワゾワした虫を這うような感覚は消えることなく続いている。
「ああ、よかった。警告のつもりが、うっかり足を射抜くところだった」
背後から聞こえてきた低く冷淡な懐かしい声に、ヴァネッサの全身の毛が逆立ちだす。目に光のない微笑みを浮かべ登場したのは、他でもないマーティンで。仲間たちが射抜いてもよかったのにと声を上げている。
逃げなければならないのに、全身が貼り付けられたように動かない。
「マーティン様、どうしますか?」
「そうだなぁ……」
声がどんどん近づいてくる。矢のような視線が背中を刺して痛い。
(それでも――)
ヴァネッサの肩を、マーティンの手が掴んだ。
「大切な彼女のことなんだ。説得してみせる」
流石はマーティン殿下、懐が深い。そんな淀みを隠した黄色い声とは裏腹に、自身の腕中に向けられた彼の視線は冷たかった。
★★★
「話がついたら声をかけよう」
「かしこまりました、殿下」
二階席にてヴァネッサが潜んでいたボックスの所有者はマーティンだったらしい。彼に背中を押されて入った部屋には、鍵覚えのある血臭が漂っていた。
「――で」
「っ!」
扉が閉まる最中、仮面が床にはたき落とされた。右頬が微かに痛み出す。
顔を正面に向けるより早く、ヴァネッサの喉に剣の切先が食い込んだ。
「言い残すことは?」
久しぶりに見たマーティンは、怒っているはずなのに笑みを浮かべていた。赤い瞳は暗闇の中でもギラギラと輝いている。相変わらず愚鈍な妹を嘲笑っているのだろう。
いつも、いつもそうだ。
マリーが気を病む以前からヴァネッサのことを卑下し、誰にもばれない形で暴言を吐いたり身体に小さな傷をつけてきた。ヴァネッサが王宮内で本格的に暴れ出すより早く、積りに積もったストレスを発散させるために物を壊したり、だめにしたりしてきた。その度に自身へとその罪を擦りつけてきた。わざわざアリバイを作ってまで。ヴァネッサのイメージの悪さと、アリバイを作り得ない状況を知った上で。
周りにはいい顔をして、自身を確実に裏切らないと確信した弱者は心に漬け込むか痛めつけるかして支配する。
そんな彼のことがヴァネッサは嫌いだった。怖くて、妬ましくて――
「虫唾が走る」
ヴァネッサは剣を掴み折った。咄嗟に打ち合った炎が空中で爆ぜ、煙に巻かれながらカーテンへを掴む。
そして、二階ホールへと転がり落ちた。かなり乱暴に降りたため手袋がだめになってしまったが、気にせず懐にねじ込んで走り出す。マーティンがどんな顔をしているのか、追ってきているのか、確認もしない。どうせすぐに追ってくるだろうから。
(あぁ怖かった!)
予想は的中。マーティンが声をかけずとも、カーテンが破ける音を聞き入れた貴族たちが騒ぎ出した。
騒ぎが収まるまで馬車が見える部屋を探して隠れていようか。そうしているうちにダリウスが見つかるかもしれない。
そうと決まれば馬車と部屋探しだと辺りを見回したその時――
「こっちだ」
「きゃっ! でっ、殿下!?」
ダリウスがヴァネッサの手を取った、いや、抱き上げた。
「舌を噛まないよう堪えてくれ」
「こっ、堪えるってなっ!?」
突如窓枠に足をかけたかと思うと、ダリウスが軽い足取りで外へと飛び降りた。タァンッと足音を響かせて乗ったのは氷のスライダー。
(むり! むり! むりよーー!!)
叫び出さないよう必死にダリウスの首へしがみつくヴァネッサ。あっという間に地面へと着地したダリウスと共に馬車の中へ駆け込むも、まだ鼓動は鳴り止まない。
「なぜシェールさんではなく私を助けたのですか!」
混乱した頭と上がりきった息のまま吐き出したものは、感謝の言葉ではなかった。
「……どうして彼女が出てくる」
しまったと顔を上げると、ダリウスは眉間に皺を寄せ、微かに目を見開いていた。
「俺を避ける理由も彼女が関係しているのか?」
「ちがっ……うくは、ない、ですけれど」
尋ねた彼の声がやけに悲しげで、ヴァネッサは咄嗟に否定しようとした。しかし、自身を見つめる彼の瞳はもっと悲しげで、切なげで、思わず肯定してしまう。最終的にはいたたまれなくて、見つめられなくなってしまったくらいだ。
「やはり、俺は君に何かしてしまったんだな」
「違いますわ!」
頭から降ってした声に、再び顔を上げて否定する。
そして、はっと息を呑んだ。
ゲームでは最後の最後でさえも涙を流さなかったのに。なのに、どうして瞳が潤んでいるのだ。悲しげに眉を寄せているのだ。
「殿下は何もしていませんわ。むしろ、それが……!」
むしろそれが問題なのだ、シェールを気にも止めないことが。そう言い淀んだヴァネッサの前に、ダリウスが跪いた。
「話してくれないか」
どうして。そんな風に、許しを乞うように、誰かを見上げるような人ではないだろう。
「どうしてですか」
ダリウスは真っ直ぐにヴァネッサを見つめ、口を開いた。
「『夫婦関係に大切なのは、我慢ではなく、コミュニケーションとすり合わせ』。そうスチュワートが教えてくれた。……言葉を交わして、君のことを知りたいんだ。問題点や改善欲しいところ、したいことでもなんでも伝えてくれ。もちろん、察することができるよう努力はする」
アイスブルーの瞳を揺らしながら、それでも真っ直ぐに気持ちを伝えるダリウス。その姿にヴァネッサは胸を掴まれたような心地がし――
「ん?」
少しの違和感を感じ、ヴァネッサは首を捻った。
「夫婦生活と言いました?」
「ああ」
美しい真顔で頷くダリウス。よろよろと額に手をつくヴァネッサ。
「指輪はきちんと用意し――」
「待ってください」
ヴァネッサはダリウスの前に手を突き出した。夫婦生活と指輪。聞き覚えも聞き慣れもしていないワードが頭の中でやけに響く。
「じゃあシェールさんが『ヴァネッサ様はダリウス殿下とご結婚されるんですよね?』と言ったのは」
「俺の相談に乗ってもらった時のことだな」
「やっと二人で話すようになったと思ったらそんな、そんな!」
「どういうことだ?」
手の前で大人しく待っているであろうダリウスから、訝しむような低い声が聞こえてきた。
「私は殿下とけ、…….け、」
「け?」
「結婚する予定はありません!」
「なに? 君はあの時――」
「ゲーム通りシェールさんと結ばれなければ失恋のショックで死んでしまうからです! なのに――はっ」
ヴァネッサはさっと両手で口を覆った。
まずい。勢いに任せて言ってしまったため確かではないが、「ゲーム」と口に出してしまった気がする。シェールと結ばれなければ死ぬということはバッチリ言ってしまった。
ダラダラと冷や汗が流れてる感覚がする。口を塞ぐと同時に下げた頭が真っ白になりそうだ。
「ヴァネッサ、どういう――」
「あっ」
自身へと伸ばされたダリウスの手から、ヴァネッサは反射的に離れてしまった。
一瞬だけ傷ついたような表情を見せたダリウスに心が痛む。そっと彼の手が引いたその時、馬車が音を立てて止まった。
「ダリウス殿下、ヴァネッサ様、お帰りなさいま……失礼いたしました」
「いや、いい」
スチュワートによって再び閉じられかけた扉を、ダリウスが掴んだ。そのまま外へと出ていく。
(どうしよう、殿下を傷つけてしま――)
「君のいう遊戯がなにかはわからないが、これだけは覚えていてほしい」
ヴァネッサに手を貸すよう伝えたダリウスが、背中を向けたまま足を止めた。
「俺が結ばれたいと願うのは、君だけだ」
静かな夜に聞こえてきた静かな声。だからだだろうか、辺りに風が吹いているはずなのに今はなんの音も聞こえない。
それが、ただただ寂しかった。




