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20話 フェアや期間限定は魔法の言葉なのです

 商人Aはいつもの淀んだ闇色のローブとは異なり、シルクのように艶があるクリーム色のローブを目深に被っていた。ローブの隙間からは柔らかそうな腰巻きが覗いている。袖のないベストのような赤い衣服は金のラインが入っており、ヴァネッサに不思議な既視感を覚えさせた。大きめのリュックサックから飛び出した瓶にも。

 彼の風貌に違和感を覚えたと同時に、顔に深く落とされた影の隙間から、彼の薄い唇が三日月型に釣り上げられた。


「お久しぶりです、ヴァネッサ様。相変わらず元気なお方ですね」

「知り合いなの?」


 ヴァネッサの肩へ手を置き、頭を傾けてこちらを見やるライルの瞳は「こんなに怪しい人物と?」と言いたげだ。


「はい。実は、キドニービーンズはこの方が運営している『異国食品店』から購入しているんです。休憩所や将来建つであろう温泉施設で使う予定の"ちょっと特殊な食材"も、主にこの方から仕入れるつもりです」


 ね、と商人Aに同意を促す。ライルの反応は分からなくもないが、実際は怪しくもなんともないただの商人。今後も繋がる予定なのだから、誤解はされない方がいい。

 商人Aは顎付近に手を持っていき、クスリと笑みをこぼした。


(わたくし)が運営しているわけではないのですが、贔屓にはして頂いております」

「あら、そうなの?」

「はい。私はあくまで商人A、ですから。それより、媚薬はいかがですか?」


 商人Aはリュックサックから小さな小瓶を一つ取り出した。琥珀色に輝くガラス瓶だ。貿易品としてよく見かける香水瓶にも似ているような気がする。中に媚薬が入っているとわかっているからなのか、単にデザインが美しいからか、瓶がどこか魅惑的な雰囲気を漂わせているように感じられて仕方がない。

 瓶が持つ芸術性に感化されてか、ライルの手がピクリと動いた。――と、同時に、瓶の中の液体がねっとりと揺らめいた。商人Aが瓶を傾けたのだ。


「市場に出回っている粗悪品ではなく、きちんと然るべき手段を取って、然るべき方から受け取ったものです。そのため貴重なものでして、入手に苦労しましたよ」

「もしかして、これを手に入れるためにアヴァランシェから出ていたの?」

「はい、そうです。私の努力への対価として、贔屓にしてくださる誼として、お一ついかがですか? 今なら金額三枚、いや、一枚でお売りいたしますよ」

「うーん……」


 怪し気に光る小瓶を見つめ、ヴァネッサは首を捻った。基本的に商人Aは値下げをしない。「いつでもどこでも適正価格・定価でお売り致します」が口癖なくらいだ。そんな彼がここまでするのだから、確かな効力はあるのかもしれない。

 だが、本当に媚薬を使ってもいいのだろうか。それで二人は本当に幸せなのだろうか。

 しばし小瓶を眺めた後、ヴァネッサはスッと背を伸ばした。


「悪いけど――」

「じゃあ俺が貰おうかな」

「えっ!?」

「お買い上げありがとうございます」


 顔の横からライルの腕が伸びたかと思うと、商人Aの掌には既に金貨が三枚のせられていた。

 ヴァネッサは慌てて小瓶を懐にしまうライルの手を引いた。


「どうして貴方が買うんですか」

「あって困りはしないでしょ」

「強さもわからないのに?」

「じゃあ試してみる?」

「なっ」


 突然、ラインがヴァネッサの顎を掴み上げた。長い睫毛を持つ彼と、バチリと音が鳴りそうなほどに強く目が合う。


「……間抜け面」


 なにをするの、そう言って突き放そうとした瞬間、ライルがフッと笑みをこぼした。いつも通りの意地の悪い笑みを。

 次いで、彼はヴァネッサの顎から手を離し、媚薬を今度こそ懐に仕舞い込んでしまった。


「いっ、今のはなんですか!」


 弾かれたようにライルから離れ、恥ずかしさから怒ったような態度を取るヴァネッサ。対して、ライルは飄々とした態度でヴァネッサを一瞥した。


「ちょっとからかっただけ。ほんと、すぐ人の言葉を間に受けるよね」

「からかっただけって……優しいところもあるんだなと見直したばかりですのに」

「俺はいつでも優しいでしょ。いつ見直したわけ? 一応聞いてあげる」


 一応とは偉そげな、と呆れの意味を込めてヴァネッサはみじかくも大きなため息をついた。


「ジャラブをくれた時のことです。わざわざ取りに行ってくださったではありませんか」

「あぁ、あれね。気が向いたから取りに行っただけ。俺も久しぶりに飲みたかったし」


 ツンとした態度でライルはそう言った。

 そのまま「そうです、あなたのために取りに行きました」とかなんとか言っておけば、やはり優しいところがあるんじゃないかと思われるであろうに。意外と律儀なのかもしれない。

 ふと、ライルの瞳が何かを捉えた。


「それ、見覚えがあるんだけど」


 ライルが声をかけたのは、申し訳ないことに存在を忘れかけてしまっていた商人A。彼へと振り向くと、ニコリとまたもや笑顔を浮かべてリュックサックから瓶を引き抜いた。


「実は明日から異国フェアを開催するんです。商品の一つがこれ……先ほど話に上がっていたジャラブです」

「異国フェアなんていつもしているじゃない、と言いたいところだけれど……タイミングがいいわね」


 ちょうどジャラブに飢えていたところだ。

 ヴァネッサの目ざとい視線を感じてか、商人Aはにんまりとした笑顔を浮かべた。


「こちらの商品もこのフェア限りの期間限定商品となっております。自家製には劣るでしょうが、お一ついかがですか?」

「いただくわ」

「お買い上げありがとうございます」

「即答……本当、食べ物に目がないよね」

「この前飲んで美味しかったからですわ」

「ふぅん」


 そう声を漏らしたライルの横で、ヴァネッサは商人Aに代金を渡し、ジャラブがたっぷりと入った瓶を受け取った。瓶が茶色のためはっきりとは分からないが、ほんのり赤黒い液体がゆらゆらと波打っている。


「そういえばカルカデもあるんですよ。ご存知ですか?」

「いえ、知らないわ」

「そちらのお客様はご存知のようですね」


 商人Aに続いてライルへと顔を向けるヴァネッサ。しかし、彼は相変わらずツンとした棘を持つ甘い顔をしており、特別変化があったようには感じられない。

 じっとライルを見つめていると、彼は何故か小さく肩を下ろした。


「……ハイビスカスやブーゲンビリアの花を使った飲み物だよ。少し飲んだことがある」

「味はどうでしたか?」

「カルカデ自体は酸っぱいよ。だから砂糖みたいに甘いものを混ぜて飲んだ方がいいと思う。だよね?」


 ライルが商人Aへとチラと目線を送ると、彼はやや大袈裟に頷い。


「はい、仰る通りです。ちなみに、甘味入りと甘味なしの両方をお買い上げなさるとアレンジの幅が広がるかと思います」

「買うわ」


 ヴァネッサは迷わずポケットマネーの入ったポーチ(お財布のつもりである)を取り出した。横からなんらかの意図を含んだ視線を感じるが気にしない。


「お買い上げありがとうございます」


 結果、ヴァネッサは合計三本もの瓶を購入し、別荘へと持って帰ることとなった。紙袋に入れてもらいはしたが、かなり重い。


(割らないように気をつけて運ばないと――)


「貸して」

「あっ」


 商人Aに別れを告げたその時、ライルが紙袋をひょいと持ち上げた。


「自分で持てますわ」

「危なっかしくて見ていられないんだよね。町に戻る頃には落として割りそう」

「流石にそんなことは起こらないかと思うのですけれど」


 ダリウスだけでなく、ライルの目にも自分は幼児のように映っているのだろうか。問題児ではあったが、今はさほど問題は起こしていないはずである。また、家事さえしなければ器物破損もせずに過ごせているのだ。少なくとも破壊神ではない。

 自分は(精神的に)大人とは言えないかもしれないが、子供でもないと不満感を露わにしてみるも、すぐさま目を逸らされてしまった。湖の反射光を映し出す瞳のなんと美しいことか。


「それより、二人が降りるみたいだよ」

「えっ」


 急いで顔を彼の目から湖へと向けると、確かにダリウスとシェールが船から降りているところが見えた。


(まずいわ! このあと合流するのよね!? なにも進展していないし、ラブハプニングも起こせていないのに!)


 ただ石を投げ飛ばし、美味しそうなドリンクを買っただけである。

 さっさと二人の元に行った方がいいのか、計画を練ってから行った方がいいのか。軽い板挟み状態だ。


「ねぇ」


 最適な行動はどちらか。そう悩み、動けずにいたヴァネッサははっと意識を取り戻した。どうしたのかとライルへと戻すと、彼もまた、ゆっくりとこちらに振り返った。

 エメラルドのように深く鮮やかな瞳は、いつの間にか色変わりをしていた太陽のオレンジ色を落とし込んでいる。


「このまま合流してもいいんだけど……まだ二人でいさせて」

「へっ?」


 言葉の意味が掴めずそう声が出たのも束の間、ライルがヴァネッサの手を取った。

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