6話 脅迫じゃなくて、交渉です
寝室にて、書類を読みながら国王はため息をついた。眼鏡をはずし、目と目の間を指先でつまむ。
「もう年か……。ケネスは未熟、本来なら支える立場にいるヴァネッサは問題児。我が王家の未来は、ほぼ絶望的だな。どうしたものか」
「なら私に名案がありますわ!」
「なっ!? その声はヴァネッサか!? 急に舞踏会から姿を消しおって! どこにいる!?」
国王はベッドから立ち上がり、辺りを見渡した。せっかく娘が(一時的に)帰って来たのだ。護身用の短剣など、懐から出す必要はないだろう。
「私はここですわ」
ヴァネッサは至って普通に、寝室の扉を開けた。当たり前のことなのに、何故か陛下は肩をビクリと上げた。
先ほどから扉を数センチだけ開け、話しかけるタイミングを伺っていたのだ。
「お前が帰ってきたなど、執事からは一言も聞いていないぞ。どうやって入った?」
「あら、簡単なことですわ」
訝しげな眼を向ける国王に、ヴァネッサは笑顔で答える。
「窓のふちを熱でちょいと溶かせば、廊下を渡らずとも、一瞬で陛下のお部屋まで行けましたの!」
「窓だと? まさか、壁を登ってきたというのか!?――ムググっ」
ヴァネッサは迷いなく国王の口を塞いだ。口元に人差し指を持っていき、見つめる。
「大きな声を出さないで下さいませ。使用人たちに気付かれてしまいます」
いや、使用人はまだいい。この部屋に残らせ、ヴァネッサの用が済んだ後に帰らせればいいのだから。
問題はケネスだ。なんとなくだが、自身の姿が目に入った瞬間に、切り殺そうとしてくる気がする。殺さずとも、捕獲され、利用しやすい形にボディーメイキングされそうだ。
観念したのか、睨む目を閉じた国王を開放する。
「私にこのようなことをして、いったい何のつもりだ? 不敬で他国へ流してもいいのだぞ」
「陛下の気持ちもわかりますわ」
「何がわかるというのだ。今になってやっと、私のことを『陛下』と呼んだのに」
「私が王族に相応しくない、ということをですわ。だから、私から提案をしに来たのです」
何をやらかす気だと警戒しているのか、国王は眉を寄せてヴァネッサを見た。
「私の身分を剥奪していただきたいのです。王族から平民へ、今日」
「なに!?」
また声を上げた国王に手を伸ばす。今度は避けられてしまったが、学んだのか陛下は声のトーンを下げた。
「本気で言っているのか?」
「陛下も仰っていたではありませんか。私のことを問題児だと、絶望的だと。舞踏会は王家に泥を塗るようなことになってしまいましたし、その罰として当然かと」
納得がいかないらしく、国王は無言で何かを考えている。
今までさんざん自身のことを無能だと罵ってきたにもかかわらず、いざ出ていくとなると、何かこみ上げてくるものがあるのだろうか。それか、利用しきってから捨てようと、策を考えているか。だが、ヴァネッサとて利用されるのはもう、こりごりだ。
「考え直さないか? お前ならきっと、いい相手が見つかるよ」
そんなこと、微塵も思っていないくせに。超年上との結婚を許可する癖に。
本当に自身の家族は、揃いも揃って嘘つきで、上っ面ばかりで、ヴァネッサのことを単なる駒としてしか見ていないのだ。そう、改めて実感する。
ほんの少し目頭が熱くなるも、瞬きをして誤魔化した。
「私には無理ですわ。カレン様を虐めたことは明白ですもの」
「相手は男爵家の娘だ。信じないものもいるだろう」
「私、カレンさんのドレスをビリビリに破きましたの。教科書なんて、教室のど真ん中で燃やしましたし、勢い余って髪の毛を燃やしそうにもなりました」
国王がサッと頭に手をやった。最近薄くなってきた頭皮が少し、気になるらしい。
「それに、非人道的な悪口雑言も浴びせました。学園の生徒たちは私のことを『史上最悪の悪女』と陰で呼んでいましたわ。このあだ名は既に海を渡っているとか……。もう私、同じ国にカレン様がいると思っただけで、すべてを燃やし尽くしたくなるのです」
「そ、そんなに令嬢のことが嫌いなのか?」
誇張である。流石にそこまでは彼女のことを嫌っていなかったし、あだ名もつけられていないはずだ。
だが、利用する価値すらないと思ってもらわねば困る。
「はい。ですので、この邪魔者娘を平民にして、じゆ――追放してくださいませ」
国王は口をあんぐりと明け、固まった。しかしすぐに我に戻り、視線を床に移した。
「その……一年ほど待ってくれないか?」
「(その間に結婚させる算段ね)明日でお願いしますわ」
「半年」
「明日」
「三か月」
「明日」
「不敬だ。衛兵を呼んで、牢屋に入れてもいいのだぞ?」
「その時は城ごと燃やし尽くします」
「国王に逆らう気か?」
「無能な娘を除名するだけでしょう?」
両者の間に、静かな火花が散る。不敬だと非難されることは予想済み。それくらいのリスク、自由を得られるのならば、何度だって冒してやる。
ヴァネッサがこれほど長く、国王の瞳を見つめたのは初めてだった。彼がずっと怖かったからだ。
国王がヴァネッサに優しくしたことは、一度もなかった。ただ怖い存在でしかなかったのだ。それでも、心のどこかで「いつか優しくしてくれるんじゃないか、愛してくれるんじゃないか」と期待していた。
だが、もう期待は捨てた。代わりに持ったのは、嫌われる覚悟と、捨てられる覚悟。
一度覚悟をきめてしまえば、もう、怖くなんてなかった。
「陛下。お願いいたします」
真剣な表情で、ゆっくりとヴァネッサはお辞儀をした。
すると、折れたらしく、国王が深くため息をついた。
「一か月ほど待ってくれ。いろいろと準備が必要だからな」
「ありがとうございます」
丁寧なお辞儀をしたヴァネッサに、未だかつてないほどの喜びがこみ上げてくる。
その時、誰かが寝室の扉をノックした。二人の意識が扉へと向けられ、緊迫した空気が一気に広がった。
「陛下」
(またケネス!?)
ヴァネッサ探知機能でも搭載されているのだろうか。いくらなんでもタイミングが良すぎるだろう。
「少しお話したいことがあり、参上いたしました。扉を開けても?」
ヴァネッサは国王の短剣を掴み、炎で溶かした。床にぼたぼたと溶けた鉄が落ちていく。
(わかっているわよね?)
そう視線で伝えると、国王の喉が上下した。ヴァネッサは急いで逃げ道を探す。
「あ、ああ。ケネスか。少し待ってく、ヴァッ!?」
「陛下?」
ケネスの怪しむような声が、扉越しに届く。ヴァネッサは国王を一睨みした。それも、窓に足をかけた状態で。
国王は無言で頭を横に振っている。その顔は真っ青で、初めて見る彼の焦る姿に、ヴァネッサはフッと鼻で笑った。
――よろしく
そう手短に口を動かし、ヴァネッサは窓から飛び降りた。
「(両腕か両足のどちらかは犠牲になるかもしれないけれど、命はたす)んん!?」
飛び降りてすぐ、誰かがヴァネッサをキャッチした。ひんやりとした風が頬を撫でる。
「君はなんて、お転婆なんだ」
ヴァネッサを見つめ、ダリウスはため息をついた。
いつもより星の多い夜空に、彼の黒髪が揺れる。その毛先には、透明な雪の結晶がのっていた。




