15話 甘い彼が第二のキューピッドになるようです
「まだ起きてたんだ?」
扉を叩いたのはライルだった。質問の割には驚いていなく、むしろ呆れたような表情で首を傾けている。
「そろそろ寝ようかと思っていたところですわ。どうしたんですか?」
「はい、これ」
ライルがワインボトルと同じ大きさの瓶をヴァネッサにズイと手渡した。なんだろうと思いながらラベルを確認してみる。
表記名を見たヴァネッサの瞳が輝いた。
「サクランボジュースですか……!」
「この地域では有名らしいよ。一人で飲むには多いんだよね」
そう言いながらライルがグラスを二つ取り出した。瓶を握っていない方の手で隠し持っていたらしい。ヴァネッサは時計へと目をやる。何時も寝る時間よりは早い。少しくらい飲んでもいいだろう。
ライルを部屋へ入れ、二人して椅子へと腰掛けた。「何かお供になるものを」と思い、棚を漁ろうとするもここは自室ではない。そのことに気付いて手を止める。町ではライルに話しかけることに必死だったことで、どんな物が売っているのか見て楽しむ余裕はなかった。お土産はゼロ。本当は砂糖少なめのサクサククッキーや、しっとりとしたオーソドックスなプレーンマフィンと合わせたところなのだが、今日は断念してサクランボジュースそのままの味をじっくり楽しむとしよう。
ヴァネッサが棚から離れ、椅子に座り直したその時ポンッと軽快な音が響いた。発砲音に似たその音に肩を上げたのも束の間。なみなみとグラスに注がれていく黄色がかった薄桃色の液体を眺めるヴァネッサの目は、気泡が立ち上がるシャンパングラスのように煌めいた。
ふと、最後の一滴が落ちる前に小さな笑い声気が聞こえてきた。
「どうしましたか?」
「いつもそんな目をしているなと思って」
「どんな目ですか?」
首を傾けるヴァネッサに、ライルは目を細めて口角をフッと上げた。
「食い意地が張った目」
「そっ!……そんなことは、あるかもしれませんけれど」
ヴァネッサの返事を受けて、ライルは意地の悪い笑みを深めた。次いで、なんでもないような顔へと変え、洗練された手つきでグラスの足を持つ。
「音頭はあんたがどうぞ」
「お、音頭ですか」
「二人だけど、何も言わずに飲むのもなんか違和感あるでしょ」
確かに、と頷くヴァネッサ。何を言おうかとグラスへと視線を移す。濃厚そうなジュースが小さな揺れに合わせて動いた。サラッとしてそうで、トロッともしていそうで。そして甘そうだ。
「……美味しそうなサクランボジュースに乾杯」
「ふっ、なにそれ。乾杯」
チン、と軽やかな音を鳴らしてグラスがぶつかった。ヴァネッサは待ってましたと言わんばかりにジュースを口に……流し込まずに、ゆっくりと口に含んだ。
(せっかく分けてくれたんだもの。味わいたいわ)
味覚へ意識を集中させる。
サクランボ特有のまろやかでほのかな甘みと、後を引かないスッキリとした酸味。滑らかな舌触りの中で微かに感じられるのは、きめ細やかな繊維。
気付けば飲み干してしまっていた。それほど軽くて飲みやすかったのだ。
「はやすぎでしょ」
「ご、ごめんなさい」
「まぁいいけど」
ライルはまた小生意気な表情で笑った。しかし、眼差しはどこか優しげである。
「その感じだとジャラブも好きそう」
「なんですかそれは?」
「あれ、飲んだことないんだ? デーツ、イナゴ豆、ブドウ糖蜜、ローズウォーターを使った飲み物だよ。すごく甘い」
「すごく甘い……美味しそう……初めて聞く飲み物ですわ。イナゴ豆もそうです。どこの地域で採れるものですか?」
「それくらいは自分で調べ――そんな顔しなくてもいいでしょ」
ライルの顔にヴァネッサは首を傾げながら鏡を見た。いたって普通の派手な悪女顔である。
「飲めないのか〜って間抜けそうな顔してた。王女様の威厳なんて感じられないくらいにね」
「ま、間抜け」
ペチペチと自身の顔に手をやるヴァネッサ。すると、ライルがおもむろに立ち上がった。
「お部屋にお戻りに?」
「うん。でもまた来るから」
ライルはまた、クスリと笑った。
★★★
「あっ甘い! けど美味しいです!」
「でしょ?」
ヴァネッサは頷いて、グラスに入れられたジャラブをあおった。赤黒く澄んだ液体からは、どこか甘い異国情緒溢れる香りが漂っている。
「旅先で買った物ですか?」
「それを元に自分で作った感じ」
「ライル様は手先が器用なんですね。絵も描けるし、こうしてジャラブもつくれる」
あと優しい。わざわざ部屋から持ってきてくれるのだから。
「別に。慣れてるだけだよ」
「またまた〜」
もう一杯、とライルが持ってきたジャラブの瓶に手を伸ばす。
「それで、どうして一日中挙動不審だったわけ?」
「えっ」
ライルによる鋭い指摘に、ヴァネッサは傾けていたグラスを落としかけた。慌てて掴み直す。どうにか溢れずに済んだ水面から視線を外し、恐る恐るライルへと向ける。
疑問に思ったから聴いただけ。そんなことは、彼のツンとした表情を見れば一発でわかった。
「その……」
口を開きかけて押し黙る。
(だめだわ。どこから説明すればいいのかわからない!)
目を泳がせるヴァネッサ。すると、ライルがつまらなさそうに頬をつきながら首を傾けた。
「もしかしてなんだけど、ダリウス殿下とシェールさんをくっつけようとしてる?」
ライルの言葉にヴァネッサはばっと顔を上げ、コクコクと頷く。
「勘が鋭いんですね」
「誰でもわかるよ」
「挙動不審だったから、ですか」
「うん、そう」
爽やかだけれどどこか黒い物が見える笑顔を向けられ、ヴァネッサはさっと目を逸らした。
「ねぇ」
意地悪さは感じられないただの声かけに、ヴァネッサは顔を上げる。恥ずかしさを隠すためにジャラブを飲みながら。
「殿下に好きとか言われなかった?」
「ゴフッ」
ジャラブが喉へ急降下。どうにか吹き出さないよう耐えるも、代わりにゴホゴホと咳き込んでしまう。
「きゅっ、急に何を言いだすのですか!」
「あれ、図星?」
「いや……図星では……」
ヴァネッサは口をまごつかせた。
『……君を、愛してみたいと思ったんだ。好きになっているのではないかと、思ったんだ』
思い起こされたのは、暴走しかけたダリウスを助け出した時に聞いた言葉。
単語だけで言えば告白されたと言えるだろう。しかし、彼は「好きだ」と断定した物言いはしていない。それに、今まで恋や愛を諦め、自分なりに定義することすらしてこなかった彼のことだ。彼の言った「愛してみたい」や「好き」が恋愛的な意味とは限らないだろう。
「……微妙な感じですわ」
「へぇ、はっきりと伝えられたわけじゃないんだ」
どこか含みを持たせた声色のライル。彼の言葉にヴァネッサはこくんと頷いた。
「でも、あんたは殿下とあの子をくっつけたいんでしょ?」
「一応は」
「そう」
突然ライルが身を乗り出した。
「じゃあ、俺が手伝ってあげる」
落ち着いた甘い香りがふわりとヴァネッサを包み込む。長い睫毛が一つ瞬きをすれば、夢へと誘う睡魔にも眩暈にも似た心地がした。
★★★
灯りの消えた部屋に小さなノック音が響く。いや、微かに聞こえられた。
「寝ているか?」
扉越しに届いた囁き声はダリウスのもの。先ほどベッドに入ったばかりのヴァネッサは、シェールとくっつけようとしている罪悪感によるものなのか、気まずさを感じて開きかけた目を閉じた。
「……おやすみ」
そう、より小さな声で呟いた彼の声はどこか寂しげで。ヴァネッサは足音が遠のいたと同時に寝返りを打った。
そして息をついだ。弓矢が隠された戸棚をじっと見つめながら。




