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10話 初めて過去と向き合いました

『男として産まれてきたらよかったのに』

『貴方はわたくしにとって最愛の息子よ、ヴァネッサ』


 ひゅっ、と喉を鳴らしてヴァネッサはベッドから飛び起きた。書類――正しくは明日から始まる旅のしおりがバサバサと音をたてて舞い落ちていく。これは夕食時にダリウスから受け取ったもので、内容を確認していたら寝落ちしてしまったらしい。

 乱れた呼吸を整えながら見た窓の向こうは真っ暗だが、そのさらに奥からは町の明かりがポツポツと灯っていた。その温かな景色がヴァネッサの胸を軽くする。


「あの夢を見たのは久しぶりね……色々と知ったからかしら」


 ヴァネッサはため息を吐き、前髪をくしゃりと掻き上げた。鏡に映る姿は疲れていて、そういえば部屋に戻った時の自分はこんな顔をしていたな、と思い出す。

 先ほど脳内で流れてきた言葉は、幼少期のヴァネッサが最も、いや、「姉上」の次に聞いてきたものだ。すべては母、マリーから。


 ヴァネッサが王女にしては運動能力が高く、剣術を身につけていた理由。それは、幼少期の多くを男子として過ごしてきたからだ。


 マリーは男爵家の娘であるにも関わらず国王と恋愛結婚をしたシンデレラガールである訳なのだが、物語のように「幸せに暮らしましたとさ」とはならなかった。

 彼女は様々な方面から非難の目を向けられ、圧力をかけられた。まずは王城で働く者たち。どんな地位の者であれ、「たかが男爵家の人間が王家に入るなど」と彼女を軽視していた。ブレイズ王国は隠し事が苦手な傾向があるが、王家に使えているだけあって物理的ではなく精神的に彼女を追い詰めていったのだろう。例え、本人達に彼女を壊すまでの気はなくとも。貴族も同様である。だが、これはシンデレラストーリーに憧れを抱く者もいそうなため、全員とは言えないだろう。最後は彼女の実家フラヴィオ家。マリーは第二妃な上に、第一妃には既に子供がいた。これがケネスの兄である。そのため、早く男児を産めと催促したのだ。……人生、何があるかはわからないのだから。

 こうして、精神を削られていく中で産まれたのがヴァネッサである。彼女の心が本格的に壊れ始めたのはそれからだ。


『男として産まれてきたらよかったのに』


 これが、物心ついた時には毎日のようにかけられる言葉となっていた。どのような事情があれど、ヴァネッサは子ども。憔悴しきった目で見つめてくる母の目に、落胆するような声色と言葉に耐えられなかった。

 しかし、この時はまだヴァネッサのことを娘として見ていた上に、時々可愛がってもいた気がする。前述した言葉を謝り、涙ながらに抱きしめることも。故に、ヴァネッサの心の歪みは情緒が不安定なだけに留まっていた。だけと言うのもおかしいが。


 心労のせいかマリーは体調を崩しがちになった。その時のヴァネッサの誕生日や季節から察するに、第一妃の妊娠が発覚した辺りかもしれない。そして寝込む日ができ始めてすぐのこと、廊下でマリーが倒れた。この日は乗馬の授業があった。開放感があり、自身を憐れんだり、卑しいと貶すような目もないこの授業が好きだったヴァネッサは、マリーを心配して乗馬服のまま部屋を訪れたのだが、そのせいだろう。男子と変わらぬ服を纏うヴァネッサを見て、マリーは嬉々とした表情で微笑んだ。


『わたくしにも息子がいたわ』


 と、そう言って。

 そこから、マリーはたびたび男子の服を着るようせがんだ。着ていなければ泣かれたり、怒られたりした。

 結果、マリーが寝込んでいない日は男子の服を着て、王子向けの授業を受けるようになったのだ。


『貴方はわたくしにとって最愛の息子よ、ヴァネッサ』


 これは呪いの言葉である。

 誰も助けようとしない、意を唱えようとしない。ただただ憐れみの目を向けるだけ。母は自分を見ているようで見ていない。父は姿を現さない。兄は自身を気にも止めず、時折会えば鼻で笑われる。その状況が、つらくて、苦しくて堪らなかった。泣き出したいのに、暴れ出したくて堪らなかった。

 男子の真似はしたくない、かわいい大切な娘だと愛情を注がれたい、……自分自身を見てほしい。そう望めば望むほど、現実とのギャップに苦しんだ。あの頃のヴァネッサはそんな自己分析などできていなく、ただ苦しみを横暴な態度に変換しているだけだったが。

 故に、キラキラとした笑顔で自身を慕ってくれるケネスは、ヴァネッサにとってかけがえのない存在だった。そのことに気づけないほどヴァネッサは周りも自分も見えていなかったが、なんとなくはわかっていたのかもしれない。言葉は高飛車で扱いは雑かったが、彼を気にかける行動を多少はしていた気がする。しかし、それだけでヴァネッサの心を救えるはずがない。


 苦しい日々が続いたある日、マリーは流行病にかかって亡くなってしまった。最後まで彼女はヴァネッサが男でないことを嘆いていた。

 これらのことは、国王から聞いた謝罪と、頭の片隅に追いやっていた記憶とを合わせたことでわかったことである。


 では、なぜ国王はマリーを支えきれなかったのか。これも国王の謝罪からなんとなくはわかった。

 国王は子供たちには厳格に接していたが、マリーとしてのヴァネッサから見た彼は、非常に優柔不断で流されやすかった。その理由はきっと、彼の国王に至るまでの経緯が関係しているのだろう。


 彼には優秀な兄が四人もいた。弟はいない。そのため、彼は兄のうち誰か一人が国王の座を継ぐと思っていたのだろう。恐らく、周りの人間だってそうだ。そうとわかっていても、コンプレックスは増していった。

 だが、予想は外れた。流行り病や不慮の事故で、時間差はあれ兄が全員亡くなったのだ。

 結果、彼は正当な能力を認められる形ではなく、順番で国王の座につくこととなった。

 兄弟関係に対するコンプレックスと、自信のなさを抱えていた彼は、家臣たちのアドバイスを全て受け入れていった。そうしないと非難さるのではないかと、不安に思っていたからだ。

 妻には公爵家の娘を。恋愛感情はなくとも、理性的なよき国母となるだろう。そう当時の重鎮たちから勧められるがままに即位後すぐに結婚。マリーと結婚しても、周りに押しに押されて共寝は消すことができなかった。ごくごく少ない頻度に減らしたようだが、確率が下がるだけでゼロにはならない。

 そんな彼には、マリーを庇い切ることができなかった。毎日慰めはしても、状況を改善する勇気が出なかったらしい。

 ちなみに、ヴァネッサに顔をなかなか見せなかったのは、彼自身が前代国王にあまり構ってもらえなかったかららしい。接しかたがわからないのだと。

 彼はマリーを通して何度も謝っていた。ベットの上でただただうわごとのように唱える姿は、流石に哀れに思えた。


「ほんと、勝手な話よね」


 少し鼻にかかった声でそう言って、ヴァネッサは床へと足を下ろした。落ちた旅のしおりを拾っていく。

 要するに、母は周りの重圧に耐えきれずに心を壊してヴァネッサを男子として扱うようになった。父はコンプレックスなどによって母を庇いきれず、子どもへの接しかたもわからなかった。結果、ヴァネッサは心身ともに歪むことになった。……という訳である。


(乙女ゲームの世界だと知ったおかげで多少は吹っ切れたけど、よくもまぁここまで精神が回復したものね)


 辛い記憶であることに変わりはないが。

 しかし、今のヴァネッサにはマリーと国王を恨む気持ちなどなかった。元よりない。


(何も感じないわけじゃないし、寂しさが消えるわけではないけれど……)


 だが、これが悪役王女となるために必要なことだったのなら、ゲーム製作者を恨みそうになるが、飲み込んで、前に進む他ないだろう。

 また、怒るのは疲れるのだ。今まで散々カレン相手にキーキー言ってきたのだから、心穏やかに過ごしたい。


(そう、ダリウス殿下の問題を解決してからね。もちろん温泉と一緒に)


 ヴァネッサは最後のページを拾い上げた。机の上でトントンと叩いて形を整える。その時、なんとなく表紙が目に入った。丁寧な字で『旅のしおり』と書かれている。目的地と到着場所、地図と基本的な土地情報しか書かれていないのに大袈裟だろう。そう内心突っ込むヴァネッサ。思わず「ふふ」と笑ってしまう。

 その時、ペットドアがガタンッと鳴った。次いでノック音が響く。


「起きているか」


 声の主はダリウスだった。何かに集中していては聞こえなさそうなほど小さな声だ。寝ているかもしれないと気遣ってくれたのかと、ヴァネッサは火竜を抱き上げながら笑みを溢した。


「はい、起きていますわ」


 そう朗らかに答えれば、扉が開かれた。ハーブの柔らかな香りがふわりと鼻先をくすぐる。


「よかった。帰ってきてから少し様子が――泣いていたのか?」

「えっ?」


 後ろにミアがいるにも関わらずティーセットを抱えていたダリウスは、顔を上げたかと思うと眉間に皺を寄せてしまった。

 彼の質問にヴァネッサは気の抜けた声を漏らしてしまう。泣いてなどいないはずだ。

 目元を拭ってみる。指は濡れていない。


「殿下、私は泣いては――」

「目が少し赤い」


 指先から目を離したヴァネッサのこめかみ辺りに、ダリウスがそっと触れた。自然と合った彼の瞳は心配そうで。何故だかわからないが、久方ぶりに泣き出しそうな感覚がヴァネッサを襲った。


「だ、大丈夫ですわ!」


 ヴァネッサは咄嗟にしおりを顔の前に掲げていた。その横からひょっこりとダリウスが顔を覗かせてくる。


「そうか?」

「えぇ! 持つ少し前までうたた寝していたので、そのためかもしれませんわね! それより、これはハーブティーですわよね、私、喉がカラカラなのです。いただきますわ!」

「あっ、まだ――」


 ヴァネッサはカップにハーブティーを注ぎ、口に流し込んだ。


「ゴフッ」


 そしてむせる。


「熱いから気をつけた方がいいと言う前に……次からは気を付けて渡そう。ミア」

「かしこまりました」


 ダリウスはヴァネッサの背中をさすりながらミアに何かを指示した。大丈夫だとヴァネッサは咳き込みながら頷く。


「もう……大丈夫ですわよ……ええ」

「どうぞ」


 突然、ヴァネッサの目の前に水の入ったグラスが差し出された。一分と経っていないはずなのに仕事が速すぎる。

 大人しく受け取り、口に含む。よく冷えているためか、喉元に残っていた熱さはすっかりなくなってしまった。


「君は本当にお転婆だな。目が離せない」

「そんなことを仰られていましたわね」


 そうジトリと見つめれば、ダリウスは苦笑した。釣られてヴァネッサも笑みを溢す。

 ふと、彼がテーブルの上へティーセットを置いた。


「ハーブティーは置いていくから、飲みたければ飲むといい。おやすみ」

「えっ? 何かお話があったのではないのですか?」

「君の様子を見に来ただけだ。気分が優れないなら、明日の旅行は延――」

「絶対に行きますわ!」


 声を大にして言ったヴァネッサ。その様子にダリウスは愉快そうにクスリと笑って、次いで愛おしそうに目を細めた。


「そうだな、俺も楽しみだ。でも無理はしないように」


 もう一度おやすみを言って、ダリウスは扉を閉めた。


(うーん。意味は履き違えられてしまったけど、本当の理由を言うつもりはないし、まぁいいでしょう)


 ヴァネッサは椅子へと座り、ハーブティーを飲むことにした。


「私がお入れいたします」

「あら、ありがとう」

「いえ。そういえば、睡眠にいいと効く香炉を入手したのですが、お使いになりますか?」

「貴女のものでしょう? 私は大丈夫よ」

「ヴァネッサ様のために用意しましたから。後で持ってきますね」

「次いでに饅頭も頼む」


 突如混ざってきた火竜の声に、ヴァネッサは自身の膝の上を見てみた。つまらなさそうな目でハーブティーを眺めている。


「ふふっ」

「何がおかしい」

「なんでもありませんわ」


 すっかり温泉饅頭に魅了されてしまったな、と微笑ましく思ったのだが、怒られそうなので言わないでおく。


「では、取りに行ってまいります」

「ありがとう」


 ヴァネッサはミアを見送るために手を振った。ふたたび開閉した扉が静かな音を立てる。

 腕を下ろし、ヴァネッサはそっとハーブティーへと口付けた。


「温かくて、優しい味」


 きっと、ダリウス(ヒーロー)シェール(ヒロイン)のことを好きになる。彼を助けるためには、そうでなくてはならない。

 彼はかつて自分の命を救ってくれた。その恩を返したいのだから、『教会ルート』だろうと解決してみせる。


(それが、悪役王女である私ができる唯一の恩返しだわ)


 この思いに、迷いはない。


(そうして、私は私で、自分だけを見て愛してくれる人を見つけるの)


 目標だって、彼を追いかけたあの日から変わっていないはずだ。


 ブレイズ王国の蜃気楼のように揺れるハーブティー。ヴァネッサはそれをぐっと飲み干した。

過去との決別はこれでほぼ終わり、次章からはラブコメさを取り戻します。

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