8話 後日談も活かしましょう
「失礼いたします」
母のように穏やかでなく、幼少期のように粗暴でもなく、凛とした落ち着きのある声でヴァネッサは国王の部屋へと足を踏み入れた。手には書類が抱えられている。数は少ないが、どれも重要なものばかりだ。
「何をお渡しになるおつもりですか?」
「身分剥奪に必要な書類と……もう一種類は秘密です。ケネスと話す際にお伝えしますわ」
「ですが」
執事長が言葉を紡ぐ前に、ヴァネッサは爽やかな微笑を湛えて扉を閉めた。ケネスの一件で塩つぶ程度の信用は得られたのか、後ろに控えていた騎士団長に不満をぶつけながらも去っていく。
ヴァネッサは国王が眠るベッドへと近づきながら、チラと書類を見た。次いで、茜色に染まりつつある青空へと目を向ける。書類作成に取り掛かって約二時間、といったところか。初めてにしては上出来だろう。
再び国王へと近づくと、弱々しい瞳がこちらを見つめていた。
「ああ、君か……どうして、ここに」
「陛下にサインしていただきたい書類がありますの」
「そうか。君が私に……」
国王はどこか嬉しげな笑みをこぼした。これはきっと、マリーを含む数少ない者にしか見せることのない表情なのだろう。
(さっさとサインしてもらって帰りましょう)
それだけならば、ヴァネッサはマリーの真似をせずとも可能だろう。現に、演技をせずとも彼はヴァネッサがマリーに見えているのだから。これだけならまだ耐えられる。
(とはいえ、やっぱり心の奥がゾワゾワするけれ――)
ふと、彼の目元が煌めいた。ヴァネッサはペンと書類を差し出す手を止める。
「陛下?」
思い出せない彼の名前ではなくただの地位を口にすると、国王のしわがれた頬に、涙が一筋の線を刻んだ。
「わかっているんだ。君は熱が見せた幻覚だと。……それでも私は、君が幽霊となって会いに来てくれたのだと思い込みたくてたまらない」
(二人して幻覚扱いするのね……思考回路が似ているのかしら)
返事をせずに椅子に座ると、国王はおぼつかない手つきで書類の端を掴んだ。手から溢れて落ちたペンをヴァネッサは拾い、彼に握らせる。
程なくしてヴァネッサは、震えた字が綴られたケネスに関する書類を受け取った。今日この城を訪れた本命といえる、身分剥奪の書類が退けた書類の下から露わになる。
その時、国王の手がピタリと止まった。
「いかがなさいましたか」
「……そうか。ヴァネッサは出て行きたいたいと……そうか、そうだったな。確かにそう言っていたな」
どこか寂しげな様子の国王の姿に、ヴァネッサは眉間に皺を寄せる。
しかし、それもほんの一瞬で。数分後には書類をまとめて扉へと手をかけていた。
「では、失礼いたします」
「……なぁ、マリー」
作り笑いを浮かべて会釈をするヴァネッサを、国王の哀愁に満ちた声が引き止めた。
★★★
「姉上!」
応接室へとやってきたヴァネッサを、ケネスが駆け寄り出迎える。
「ごめんなさい。待たせたわね」
「いえ。姉上のためならいつまでも待ちます」
嘘をつけ。捨てられたと嘆いて殺しにくるくせに(バッドエンドニ参考)。「捨てられるくらいなら、君を殺してここにずっと縛り付けるね。ずっと一緒にいると言ったんだから、嘘はつかないと約束したんだから、できるよね?」と死体に向かって完全に逝った目で言うなど怖すぎるだろう。
(……ずっと一緒に……)
椅子に座ったヴァネッサの頭に浮かぶのは、かつて自身が彼に言った言葉。額に滲むのは汗。隣を見ると、目を輝かせて言葉を待つケネス。
ヴァネッサは咄嗟に書類へと目をやった。
(だ、大丈夫よ! 嘘をつかない約束はしていないもの!……たぶん!)
心の中で頷き、ヴァネッサは「おほん」と咳払いをした。あらかじめ使用人たちを外に出していたからか、静かな部屋によく響く。
「さっそく貴方への仕事を教えるわね。これは燃やすか……いえ、頭の中で覚えて帰ってちょうだい。長くも、難しくもないはずだから」
「わかりました」
ケネスはふわりと微笑んだ。
ヴァネッサは辺りを再度確認し、口を開く。
「地方で療養生活を送ってもらいます」
「療養……?」
ケネスの瞳にふっと影がさす。次いでガシリとヴァネッサの手が握られた。
「僕が力をなくしたからですか? それとも、やっぱり僕と離れたいからですか? 邪魔だからですか? 嫌いだか――」
「ケネス」
「ツッ!」
名前を呼び、ヴァネッサはケネスの耳を半ば乱暴に引っ張った。
「よく聞きなさい」
低い声で囁けば、ケネスが肩をびくりと震わせた。
「貴方には、ある地域で悪事を働いている貴族たちを捕まえてほしいの。療養はカモフラージュよ」
「あく――」
「しっ。なんのために耳元で話しているのか、わからないはずないわよね?」
ケネスが頷いたことを確認し、彼の口を塞いだ手を離す。
ケネスルートには、最難関と呼ばれた王道ルートがある。その名の通り、王への道を歩むのだ。その後日談としてちらっと出てきたのが、今回ケネスに頼む仕事である。
まず、悪事を働いている貴族がいるとたまたまヒロインと共に知ったケネスは、平民に紛れてその地へと赴く。そして、タイミングを見計らったところで新たに得た現地の仲間と共に捕縛するのだ。
そして、市民の多くと一部の貴族から支持を得ることになる。このルートでは絶大な火竜の力も得ている上に王位継承権もあるため、ケネスの名声は兄へと近づき、ついに彼を凌駕する。
結果、高ステータスのヒロインと共にこの国を治めることとなるのだ。
(今のケネスは王になれない。でも、いい経験にはなるはずよ。うまく仲間ができるかどうか、解決できるかどうかはわからないけど、そこは影ながらにサポートすればいい)
ヴァネッサは地図を取り出し、ある地域をさした。
「ブラーデン……北方の田舎町ですよね」
「えぇそうよ。ここで仄暗い取引が頻繁に行われているみたいでね。
「つまり、情報を集めた上で捕まえたらいいんですね」
「ええ。でも、まずは普通に平民として過ごしてね」
「どういうことですか?」
ケネスが首を傾げる。
今の彼にはヒロインという名のストッパー役がいない。ヴァネッサがついて行くわけにもいかない。そのため、このままでは一人で突っ走りかねないのだ。
そこで、まずは自由に過ごさせて仲間を得ることができるか見守るのである。
「貴方にはただ、自由に、王族という地位を忘れて過ごしてもらうわ。調べたいことや、やっておきたいことがあるのよ。だから、私からの連絡が来るまで平和に過ごすこと。これが最初の頼みよ」
「頼み……」
「ええ。いいかしら?」
「わかりました」
どこか期待に満ちたような小声で、ケネスは頷いた。ふと、ケネスがはっと目を見開いた。
「母上は元より僕に無関心なので大丈夫だと思いますが、父上がお許しになるかどうか……」
「大丈夫よ」
ヴァネッサはケネスの前に例の書類を差し出した。
「これは……謹慎期間解除と、療養許可、別荘の仕様に費用援助まで……!」
信じられないと言った表情のケネスを見て、ヴァネッサはほんの少し照れ臭さを感じながらも、誇らしげに胸を張った。慣れない書類作業ではあったが、保管されていた他の書類を参考にして頑張ったのである。
「……いっそのこと、姉上が女王として君臨されたらいいのに」
「それは嫌よ。私はもうこの国から離れたいの」
ヴァネッサの返答にケネスはしょんぼりと眉を下げた。
その時、コンコンと小さなノック音のようなものが聞こえてきた。木造を叩くよりも高く、響きが短いこの音はガラスだろうか。
ヴァネッサとケネスは窓へと目を向けた。
「誰もいませんね」
「いないわね」
二人して頭を捻る。と、その時、ブワリと火柱が窓の外で上がって消えた。
慌てて窓へと駆け寄るヴァネッサ。
「あっ!」
火柱が消えた下を見れば、火竜が琥珀色のまんまるとした瞳でこちらを見上げていた。




