7話 依存させる勇気も離す勇気もありませんでした
時計の針がカチカチと響く暗室で、ヴァネッサはただジッとケネスを見つめていた。
長くて五分、短くて一分。閉じ込められてからさほど経ってないはずなのに、一時間は経っている気がしてならない。
窓から飛び降りることや部屋の扉を破壊することも視野に入れたが、それは流石に問題になると秒で諦めた。とはいえ、ヴァネッサは今まで人の気持ちなど考えたことがない上に、読心術や(本音を皮肉に変換する)会話法の授業から逃げてきた身。ゲームの記憶を思い出したことで冷静さと多少の精神的成長を得たとはいえ、本質は変わっていない。励まし方がわからない。また、ケネスは初めて励ますには荷が重すぎる相手だ。
(下手してヒロインの二の舞になるわけにはいかないのよ……!)
ヴァネッサはグルグルと思考を高速回転させ続けていた。そのせいか頭が痛くなってきた気がする。しかし、一向に名案は浮かばない。
(どう足掻いても殺される未来が見える)
一つ目は、ケネスに大丈夫かと声をかけること。幻影だと勘違いされ、錯乱したケネスに殺されるだろう(バッドエンド六参考)。
二つ目は、取り敢えず暗い部屋を明るくするためカーテンを開けること。一つ目と同様に殺されるだろう。まだ起こっていないのかもしれないが、それで一度使用人が重傷を負っている、または負うはずだ(バッドエンド共通の出来事&バッドエンド六参考)。
三つ目は、延々と待ってみること。朝になっても何もできずに終わるだろう。それどころかいつまで経っても消えないヒロイン(居眠り中)にケネスは近づき、幻でもいいからと半分は血が繋がっているヴァネッサにはできないだろうことをしてくる。壊れた共依存の始まりである(ハッピーエンド? という名のメリーバッドエンド参考)。
(最後は流石にないと思うわ。でも、朝が来て騎士団長たちが助けてくれたとしても安心できないのよね)
これらすべてでヒロインは焼死している。力を無くした今のケネスには不可能だろうが、人を殺す方法などいくらでもある。絞殺と扼殺、殴殺は不可能だろう。弱ったケネスを今なら振り解くことができるはずだ。しかし、他がある。
例えば、ケネスが抱えているヴァネッサの靴。ピンヒールなので刺殺が可能である。次に、そこかしこに置かれている、下線とメモだらけであろう分厚い本たち。鈍器として活用可能である。斬殺は剣まで距離があるため微妙。銃殺は……彼は銃を信頼していないところがあるため、大丈夫だろう。多分。
(そう考えると、意外と大丈夫かも――いやいや! そんなことはないわ! 殺害方法は少なくとも、そこかしこに凶器となり得るものがあるのよ)
ヴァネッサは謎の安心感を振り解き、次いで音が漏れないようため息をついた。
(ゲームの世界なのに、ゲームとは違って"正しい行動"が存在しない。……本当、どうすればいいのよ)
ケネスルートの知識は友人(予想)から聞いた話から得たものだろう。もしくは、なんらかの方法で意見交換を行ったか。なんせ前世の自身はこのルートの重みと難易度に耐えきれず、このルートを攻略しなかったから。
そんな自身に、希少なハッピーエンド的メンタルケアが行えるのだろうか。
ケネスに殺されるつもりも、依存させるつもりもない。このままブレイズ王国に留まるつもりもない。
しかし、曲がりなりにも彼が幼少期のヴァネッサを支えてくれたのは事実。どれだけ彼のことが怖くとも、殺された記憶と傷が消えずとも、捨てきれない思いがある。
(あぁもう!)
ヴァネッサは拳を握り、カツカツとカーテンへと掴み寄った。一瞬にして鬱蒼とした部屋中へ光が差す。
そして、ケネス顔が上げるよりもはやく、彼の手を取り引き上げた。
「いつまで私を幻覚扱いするつもり?」
「あ、あねうえ」
ケネスの虚な瞳がヴァネッサを移して揺らめいた。しかしすぐさま突き放されてしまい、キッとさほど力のこもっていない目へと変わる。
「幻覚なんて……もう」
「――ケネス」
頭を抱えようと上げられたケネスの腕をヴァネッサは掴んだ。焼けることのない炎がブワリと両者の腕を包み込む。
「力がなくともわかるでしょう? これは、私の炎だって。……何度も炎遊びをしたわよね」
炎を操り、どこか内容が不穏なままごとをしたり、暗号を空中で刻んだり、冬は冷えた手を温めあったり。
詳細な内容を告げずとも、手をビクつかせたケネスは顔を上げた。
「ほんもの?」
「そうよ」
微笑むことなく頷く。すると、ケネスはホッとするでも謝るでもなく、目に涙を浮かべて手を振り解いた。
「どうして、どうしてですか。僕はあねうえを殺そうとしたのに」
「陛下もケネスも気を病んで仕方がないからと、重鎮たちに連れてこられたのよ」
「そ、そうですか……」
ヴァネッサの嘘偽りない言葉に、ケネスは落胆したのか肩を下ろした。その姿に息をつき、彼には二度と向けるつもりのなかった微笑みを浮かべる。本当に微かに。
「私はこの国を完全に出るわ。でも、貴方が深く沈み込んでいるままにはしたくない。愛していたと過去形で言ったけれど、事実は変わらないから」
「過去……」
「そうよ」
ヴァネッサはケネスの頬を掴み、無理矢理にでも目を合わせた。
希望の皮を被った依存へと導く言葉をかけるつもりは毛頭ない。だが、これ以上突き落とすつもりもない。
「だから、未来をつくりましょう?」
「あねうえもいない、王位継承権もないのに、ですか?」
「そうよ。依存とは違う、貴方が少しでも安心できるような環境や人間関係を築くのよ」
「そんなこと……」
ケネスはふるふると頭を振った。ヴァネッサはピッと人差し指を立てる。
「こうしましょう。貴方にある仕事を頼むから、それに集中してちょうだい」
「……そうすれば、姉上はもう一度、僕を愛してくれますか?」
「わからないわ」
「それはない」と言いたいところではあるが、この件を了承してもらいたいため言葉を濁らせておく。
しょんぼりと眉を下げたままのケネスの手を、ヴァネッサは真剣な眼差しで握った。
「でも、貴方に必要なことだと思うの」
彼は成功体験が少ない。むしろ兄と比較されてばかりで、見た目以外で褒められたことがないのだ。このまま王城から引き離してもいいのだが、今は匿う場所がない。
しかし数年、いや、数ヶ月後は違うかもしれない。ダリウスと国王による許可は必要だが、ヴァネッサと関わりの薄い遠くの温泉地で過ごさせるのだ。依存的な部分を加味すればヴァネッサとの繋がりを断ち切った方がいいのだろうが、それでは新たな依存先を見つけるか、気を病んで消えてしまいそうで不安なのである。これなら程よく距離は離せる上に、こっそりと様子を伺うことができるだろう。
(適切な対処とは言えないのかもしれないわ。でも、今の私に考えつく最良の方法はこれしかない)
頭の中に浮かぶのは、随分昔のことのように思える冷めたケネスの瞳と、非業の死を遂げるヒロインの姿、自身にとって最悪のバッドエンドであるあとを追うケネスの姿。
(結局、死亡フラグの元凶だった彼とは手を切れないままね)
ヴァネッサはほんの一瞬、呆れから広角を上げた。
取り敢えずはやってみるしかない。
「このまま王城で変わらない日々を過ごすか、私の提案に乗るか。どっちが――」
「姉上!」
突如ケネスがヴァネッサへ抱きついた。予想していなかった動きに胸がヒヤリと痛む。
「ケネス、離し――」
「僕、嬉しいです……!まだ姉上に気をかけていただけるなんて……!」
(え、えぇーー!?)
空いた口が塞がらないヴァネッサ。
確かに、彼の言葉は間違っていないように思う。気を取り直したようで何よりでもある。しかし、どうにも依存への道が開かれたような気がしてならない。
(い、いや。きっと大丈夫よ。仕事が始まったら仲間もできるはずだし)
ヴァネッサはその仕事を"可能にする"ためにも、ケネスをベリッと引き剥がす。その時、吹き飛ぶ勢いで扉が開かれた。
(げっ)
入ってきたのは、予想通りと言うべきか騎士団長と執事長だった。その後ろで見えるツルピカ頭は左大臣と右大臣だろう。
前者は二人とも涙を流している。
「ありがとうございますヴァネッサ様!!」
「私、美しき兄弟愛に感動いたしました!!」
「どこがよ!? 私を無理やり入れたくせによく言うわ!」
掴みかかりそうになるヴァネッサ。しかしすぐさま我に帰る。
(あ、危なかった。また暴君、いえ、暴れん姫になるところだったわ)
記憶を通し、自身を俯瞰して見たことで精神年齢が引き上げられたとはいえ、ヴァネッサはブレイズ王国の民。やはり沸点が低かった。
気持ちを落ち着かせるために息をつき、ヴァネッサは二人の横を通り過ぎた。後ろからパタパタとケネスが駆けてくる音が聞こえてくる。
「どこに行かれるんですかヴァネッサ様!」
「僕も行きます」
感極まった騎士団長の大声に鼓膜がビリビリと震動した。痛む耳を押さえながら振り返る。
「(すっっっごく嫌だけれど)陛下にお話ができたので、相談をしに行くのです」
「相談ですか?」
ケネスがヴァネッサの隣へついた。しかし両腕を掴み、執事長の前へと移動させる。
「貴方はまず、お風呂に入りなさい。見た目がスッキリすると意外と心も軽くなるものよ」
「あっ」
頭にやったケネスの手に、彼の跳ねた毛が触れた。みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「ご、ごめんなさい」
上着を無理やり頭にかけてしまったケネスに思わずクスリと笑みが漏れる。
「貴方に関する提案と私の身分剥奪に対する話が終わったら、また話しましょう?」
「身分……剥奪……」
「あら、どうしたの? この世の終わりみたいな顔をしているわ」
真っ赤なトマトが真っ白な大根に。それほど急激に変化した彼の顔へ、一歩だけ近づいた。彼の肩がビクリと揺れる。
(うーん。悪い予感がするわね)
「ケネス。怒らないから言ってみなさい」
「……その」
「うん?」
ケネスは彷徨わせていた目をギュッと閉じた。
「僕が……燃やしました」
ヴァネッサは嘘をつかなかった。
執事長が素っ頓狂な声をあげただけである。
ケネスは殺害率ナンバーワン。
ダリウスは死亡率ナンバーワンです。ヴァネッサの気苦労が絶えない。
ヴァネッサはヤンデレに対処できないタイプです。




