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5話 ブレイズ王国の民は激情型です

 夜空と同じ色に染まった壁を、蝋燭が照らす応接室にて。ヴァネッサの長いため息が溶けた。


「……またいらしたのね」


 眼下では、重鎮たちが床に膝をつき、頭を下に向けている。

 再度ため息をつこうとしたその時、ダリウスがヴァネッサの隣に立った。


「すまない。相談した通り門前払いをしようかと思ったんだが、君は出かけていたからな。うっかり出くわして危害を加えられる可能性を加味して応接室に案内させた」

「謝らないでくださいませ。私は殿下の――」

「ヴァネッサ様!」


――配下にあるのですから。

 その言葉を遮ったのは、かつてヴァネッサのことを無能だと陰で嘲笑っていた右大臣だった。

 照明を反射してピカピカ光っていた頭を上げる彼の表情は、懇願にほんの少しの悔しさを混ぜたようなもので。やはり心の奥では自身のことを軽蔑しているのかと、ヴァネッサはただ静かに分析した。次いで嫌々ながら口を開く。


「なんですか?」

「どうか戻ってきてくだされ!」

「頭を縦に振るまでわたくしどもはここから一歩も動きませんぞ!」


 ヴァネッサはただ頭を縦に振った。


「これでいいですか?」

「ヴァネッサ様!」


 今度は左大臣が顔を上げた。右大臣とは異なり、悔しさではなく怒りを滲ませている。


「殿下はいつも遊んでばかり、剣を振ってばかり、使用人たちを困らせてばかり、国費を浪費してばかりだったではありませんか! 少しくらい国の役に立たれてはいかがで――」

「左大臣殿!」

「本当のことではありませんか!」


 執事長が左大臣を宥めようとするも、彼の昂った気は休まらない。


「ダリウス殿下」


 前に出ようとしたダリウスの腕をヴァネッサはそっと掴んだ。間髪入れず、左大臣が勢いよく立ち上がり、地に伏す他の重鎮たちを睨め付ける。


「まず、ヴァネッサ様が本当に陛下の状況を変えられるとでもお思いで?」

「それは……」

「ですが、私の部下が確かに言ったのです。ケネス殿下の刑を軽くするよう陛下を説得したのはヴァネッサ殿下だと」


 執事長が躊躇う隣で、騎士団長が僅かに顔を上げて左大臣へ告げた。彼はまだヴァネッサのことを馬鹿にしていなかったように思う。少し鍛錬をつけてもらったことがあるからかもしれない。

 意志の強い騎士団長の目を見て、左大臣はやや言葉を詰まらせた。しかし、すぐさま小馬鹿にしたような笑みを漏らす。


「嘘という可能性は?」

「なに? 私の部下が嘘をついているとでも仰るつもりか」

「あ、ああ。そうですとも」

「ほお?」

「騎士団長殿」

「えぇい離してくだされ!」


 柄へと手を伸ばした騎士団長の腕を執事長が必死に抑え込んでいる。すると、騎士団長は彼のことを傍観してばかりだと非難した。売り言葉に買い言葉で、執事長は騎士団長のことを横暴だと指摘する。

 そのツンとした態度に苛立ったのだろうか。今度は右大臣が執事長のことを「執事のくせにお高く止まっている」と苦言を呈した。

 互いが互いを罵り合い、いがみ合い。見苦しくもブレイズの国民らしい四人の様子を眺め、ヴァネッサはふと、視線を床へと逸らした。


(国の役に……ね)


 目の前で元知人たちが痴態を晒しているにも関わらず、ヴァネッサの心情はかつてないほど冷ややかだった。そして、落ち着いていた。


(確かに、記憶を得る前の私は王族に相応しくない小娘だった)


 それは認めよう。左大臣の指摘は正しい。

 だが、自身の幼さを認めはしても、どうしても飲み込みきれない気持ちがあった。


(誰か一人でも、私のことを見てくれる――いいえ、憐れまず、忌避もせず、真剣に話を聞いてくれる人がいたら)


 そう思うことも、幼いのだろうか。

 ヴァネッサは頭に浮かびかけた過去の記憶を掻き消した。

 ふと、自身の手をダリウスが握っていることに気づく。


「殿下?」


 どことなく安心感を覚えながら、ヴァネッサは顔を上げた。相変わらず表情筋が硬くてわかりにくいが、心配するような、気遣うような優しい瞳と目が合う。


「無理せずこの場にいなくてもいい。彼らは俺が無事に帰そう」


 これは、ヴァネッサが部屋に入る前、スチュワートから聞かされていた彼の伝言と同じもので。

 心強さを感じたヴァネッサは一度、バレない程度に深呼吸をした。そして力強くも穏やかな微笑みをダリウスへと向ける。


「ありがとうございます。ですが、最後にきちんと断ってみることにします」

「……わかった」


 ダリウスはほんの少し唇を締め、頷いた。ヴァネッサも頷き返す。そして、今にも殴り合いに発展しそうな重鎮たちへと近づいた。

 背筋を伸ばし、すっと前を見やる。


「皆さまお静かに」


 凛としたヴァネッサの声に、重鎮たちの動きが止まった。泳ぎ出しそうな目でヴァネッサへと恐る恐る顔を向ける。


「ヴァ、ヴァネッサ様」

「私が断ったからとはいえ、招かれざる客であるにも関わらず応接室に居座り、挙げ句の果てには醜態を晒すとは何事ですか」


 初めて見たであろうヴァネッサの毅然とした態度に、互いの襟口や髪を引っ掴んでいた重鎮たちの手が離される。


「今一度説明いたしますが、私は殿下から仕事を任せられています」

「期限はない。これからずっといてもらう予定だ」


 ダリウスのサポートにヴァネッサは頷いて同意する。

 (力の暴走抑制役として)ずっと溶かしてあげる(そばにいる)と約束したのだ。さらに、今は温泉係の仕事ももらっている。


「また、私は王女の身分を剥奪された身です。これからは、この国で――」

「待ってください」


 手を上げて、ヴァネッサの言葉を遮ったのは執事長だった。彼の乱れた姿を見ることになるとは、思いもしなかったものである。グレーヘアーがぐちゃぐちゃだ。

 よく見れば他も似たようなもので、このままブレイズ王国に戻れば盗賊に襲われたと間違われそうである。


「なんですか?」


 ヴァネッサは笑いそうになるのを抑え、威厳を保ったまま尋ねる。


「身分は剥奪されていないかと思います」


 執事長の発言に、ヴァネッサは眉根をひそめたのだった。



★★★



 数刻後、ヴァネッサはダリウスの執務室にて頭を下げていた。


「申し訳ございません! 身分を剥奪されたか、確認をしていませんでしたわ」

「少し驚いただけで、大丈夫だ。謝ることはない」


 ダリウスに促され、ヴァネッサはおずおずと頭を上げた。


「早くに出立するのだろう? 鎮静作用のあるハーブティーを用意させたから、今日はこれを飲んでよく休め」

「ありがとうございます……」


 ダリウスがさっと手を上げる間に、スチュワートがカップとソーサーを二セット、机の上へと置いた。

 ラベンダーの豊かな甘い香りが湯気と共に立ち込める。


 ヴァネッサは明日、真偽を確かめるためにブレイズ王国を訪れることを決めた。王女が他国に働きに出ているなど、おかしいからだ。剥奪されていないのなら、今度こそ、書類が受理される様子をこの目で見届けなければならないだろう。


(陛下が嘘をついているようには見えなかったし、もし剥奪されていないのなら、既に婚約を結ばれて私を無理やり連れて行くと思うのだけれど……人の考えなんてわからないものね)


 ヴァネッサはカップをくいと仰ぎ、次いでソーサーへと戻した。ふと、ダリウスと視線が合う。

 どこか落ち着かない様子の彼に、ヴァネッサは首を傾げた。


「どうしましたか?」

「その……本当に剥奪されるつもりか?」

「はい。だから殿下は私を雇ってくださったのでしょう?」

「雇ってはいない」

「えっ」


 わかりやすく狼狽えるヴァネッサ。

 すると、ダリウスが真剣な眼差しを向けた。


「一つ、いや、二つ質問してもいいだろうか」

「は、はい」


 動揺が続くヴァネッサはぎこちない動きで頷く。


「君はどうして、俺を選んだ」


 ヴァネッサの体が固まった。


「命を狙われていたからですわ」

「それは最初に話してくれたな。愛がない環境に疲れたとも。二つ目の質問はそれだ。君に何があったのか教えてほしい」


 自ずと息が止まる。

 なんとなくわかっていた。彼は王城を出た理由を知りたいのではなく、他の貴族でも王族でもない、ダリウスという存在を選んだ理由を知りたいのだと。


(でも、言えるわけがない)


 死にかけた自身を助けてくれたから、なんて。そうなれば逆行したことも説明せねばならなくなる。

 また、ヴァネッサは過去の話もする気がなかった。


「私の過去について尋ねられたのは、今日、執事長や大臣、騎士団長の方々が話していたからですか?」

「それはきっかけだ。もともと気になってはいたんだ」

「もともと……」


 ヴァネッサはダリウスから目を逸らした。


「それは、私が殿下に使える存在の一人だから、ですよね?」

「いや、違う」


 はっきりと言い切られ、ヴァネッサの胸がドキリと嫌な音をたてた。理由はわからなかった。

 ただ、珍しくネガティブな気持ちに陥りそうになる。


「あの――」

「君のことだから知りたいと思う。それだけだ」

「えっ?」


 言葉の意味も意図も理解できなくて、ヴァネッサは思わずダリウスへと振り向いた。

 真剣だけれども威圧感のない彼の表情に、また胸が一人でに音を立てる。


「君の力になりたい」


 ほら、また。

 確かに自身を見つめるその目に、ヴァネッサは逃げ出したいような、泣き出したいような衝動に駆られた。

 はくはくと声も出さずに口を動かし――


「あっ!」


――突然立ち上がった。


「どうした?」

「わっ、忘れていましたわ! 私、殿下に湯脈探し旅の話をしたいと思っていましたの!」

「今か?」

「はい!」


 大音量の返事と共に、ヴァネッサは壁にかけてあった地図を拾い、机へバンと広げた。


「この教会の近くへ行きたいのです。先日お友達ができまして、案内してくれるそうですわ」

「そ、そうか。君が望むなら、そうしよう」


 ダリウスはやや困惑しながらも頷いた。


「ありがとうございますわ! ところでメンバーなんですけれど、ミアとスチュワートはもちろん、ライル様もご一緒してもいいですか?」

「何故彼が出てくる」


 捲し立てるようなヴァネッサとは対照的に、ダリウスは落ち着き払った低い声で尋ねた。いや、言い捨てたと表現した方がいいだろうか。

 ヴァネッサは、違和感と理由のわからない焦りを覚えて口籠もった。しかしやはりハイテンションが戻ってくる。


「お仕事仲間ですもの! それに、湯脈が見つかったら温泉を建設しますよね? 近いうち他国へ渡られるようなので、相談だけでもしておきたいのです!」

「そうか……仕事仲間……ちなみに、そのご友人は?」

「とっっってもかわいくて、可憐で、純朴な美少女ですわ!」


 待ってましたと言わんばかりに、ヴァネッサは鼻息荒くシェールの印象を告げた。

 しかし、ダリウスは興味を引かれなかったのか、安心そうな微笑を浮かべて息をついた。


「そうか」


 穏やかな口調でただそれだけ言って、カップへと口付ける。


「そ、それだけですの?」

「なにがだ?」

「こう……どんな美少女なんだ! って思いませんか?」

「思わないな。どのような友達かは気になるが」


(う、嘘でしょう!?)


 ヴァネッサは驚きのあまり目を見開いた。


(いや、待って。確か殿下はシェールに一目惚れに近い恋の落ち方をしていた気がするわ。なら、言葉だけでは惹かれなくてもおかしくはない)


 コクコクと頷いたヴァネッサへと、ダリウスが手を伸ばす。――が、ヴァネッサは唐突に地図を巻き直し、彼の手はスカッと空を掴んだ。


「では! 殿下が仰られた通り早く寝ますわ!」


 失礼いたします、と礼だけはお淑やかに行って、ヴァネッサは執務室から走り去った。


「た、旅の準備を……しておこう」


 そう背後から朧げながら聞こえてきた声は、ダリウスが困惑していることを表していた。

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