3話 悪役王女と続編ヒロイン
視点が変わります
「やめてください!」
「できねぇなぁ。オレたちにも仕事があるんでよ」
「大人しく来てもらうぜ」
栗毛の少女のか細い腕を、薄汚い服に身を包んだ男性たちが掴む。苦痛に顔を歪める彼女の目に、涙がじわりと滲んだ。
「誰か! 誰か――」
真珠のような涙が落ちるその前に、男たちの手が叩き弾かれた。
「ぐわっ!」
「だ、誰だオマエ!」
「私?」
男たちの前に立ち塞がった少女は、長い絹のような金髪をバサリと靡かせた。
次いで、赤い唇を挑戦的に釣り上げる。
「ヴァネッサ・レイ・アルフレイム」
よく通る声が発した名に、男たちと少女の顔色が変わった。
「アルフレイム……ヴァネッサ……って! 王女じゃねぇか!」
「ど、どうしてここに!?」
焦りを露わにした男たち。
しかし、一人がすぐさま意地の悪い笑みを浮かべた。そしてヴァネッサへと手を伸ばす。
「仕事の邪魔になるんだ。大人しくしてもらうぜ!」
「だめ!」
少女がヴァネッサの肩へと手を出す。
しかし、赤い瞳が男の上体を捉えたかと思うと、次の瞬間には男は地に背中から倒れてしまっていた。そのまま流れるような動きでもう一人の横腹にピンヒールが落とし込まれる。
「ぐあっ!?」
「いってぇ……なにしやが、」
男の喉がヒュッと鳴った。
いつの間に引き抜いたのだろう、ヴァネッサが、男が腰に携えていた短剣の切先を持ち主の彼らへと向けていたのだから。
「失礼いたします」
「あっ、おい!」
闇に紛れて男たちの後ろに回ったミアが、彼らの体を縄で縛っていく。ご丁寧に猿ぐつわまではめさせている。
ふと、ヴァネッサが少女へと振り返った。まだ白い顔をした彼女へ、先ほどとは違う、安堵させるような微笑みを向ける。
「大丈夫?」
「は、はい……ありがとう、ございます」
「腕を見せてちょうだい」
「あっ」
少女が隠すように握っていた手首を、ヴァネッサがそっと引いた。
「あざはできていないけれど……痛かったでしょう?」
「少し。でも、すぐに助けてくださったので、大丈夫でした。本当にありがとうございます!」
「いいのよ、助けられてよかったわ」
穏やかな声だ。少女はそっと顔を上げる。そして、はっと息を呑んだ。
なんて美しい人なのだろう。
強い意志を感じる赤い瞳はルビーのようで、その周りを長い金糸のまつ毛が豪勢に縁取っている。緩くウェーブを描く髪は、まるで夜に差し込む一筋の朝日を、世界中回って集めたようだ。
王族らしい高圧的な表情も、女神のように慈悲に満ち溢れた表情も、どちらも彼女が見せたもので。このような人間が存在するのかと、少女は再び息を吸った。
その時、ヴァネッサの美しい目元が下がった。一瞬にして子犬のような顔つきになってしまう。
「わ、私、怖かった……かしら?」
「へっ!?」
彼女から発せられた声は、少女を助けるために前に出てきたとは思えないほど小さくて、オロオロとしていた。
どこか不安の色を滲ませながら口元に手を寄せるヴァネッサの投げかけに、少女は大きく首を横に振って否定する。
「まさか! むしろ、助けていただけてホッとしました」
「そ、そう。ならよかったわ」
安心したのかヴァネッサの口元が緩められる。
「はい。見つめていたのはあなたのお姿があまりにも美しくて」
「えっ、あ、う、美しい!?」
再び狼狽えながら、両頬を掴むヴァネッサ。少女は何かおかしなことを言っただろうかと首を傾げた。
「あ、貴女にそんなことを言ってもらえるとは思っていなかったわ……その、ありがとう」
ヴァネッサは顔を真っ赤にさせ、モジモジとしながら呟いた。そして、何かを思い出したように顔を上げる。
「ねぇ。シェ、貴女のお名前は?」
「シェールです」
「シェール! かわいらしい名前ね。ぴったりだわ」
ヴァネッサはどこかぎこちない笑顔で頷いた。次いで、ズイッとシェールへと近づき、手を握った。どこか目がギラギラしている。
「あのね、貴女がよければなんだけれど……」
ふと、ヴァネッサのギラついた目が落とされる。
次にシェールへ向けられた時には、懇願するようなものに変わっていた。
「私と、お友達になってくださらない?」
「お友達……ですか」
予想していなかったお願い、いや、提案に、シェールはポカンと口を開けた。この反応を拒否と捉えたのか、ヴァネッサの手が引っ込められる。
「や、やっぱり嫌よね、怖いわよね」
「い、いえ。そんなことはな――」
「では、なってくださるの?」
ルンとした声で再び手を取られ、シェールは気圧されるまま頷いた。
「ほ、ほんとに!?」
「は、はい」
「やったわ〜!」
何故かミアへとガッツポーズを決めるヴァネッサ。あまりのアクティブさに、シェールは王族なのかという疑いをかけ始めそうになる。
「ねぇ、このままお茶会……は、もう遅いわよね」
「えっと、そうですね、わたしも教会に戻らないと」
「教会に務めているのね。って、あら」
ヴァネッサが軽く目を見開いた。その視線が向いているのはシェールの足元。
「えっ、なにこれ?」
シェールが足元を見てみると、スカートが何かに濡れて、薄茶色に変色してしまっていた。
「この前雨が降っていたから、腕を掴まれた時に汚してしまったのかもしれないわね」
「あぁ……なるほど」
果たして水で落ちるだろうか。
買い換えるのだけは避けたいと苦い顔を浮かべていたシェール。彼女の傷んでいない方の腕を、ヴァネッサがそっと引っ張った。
「ちょうどよかったわ。教会へ帰る前に落としてしまいましょう」
「ちょうどよかった?」
「あっ」
たら、と冷や汗を浮かばせるヴァネッサ。目がこれでもかというほど泳いでしまっている。
そして、ピンと顔を上げた。
「モニター! モニターを探していたのよ!」
「もに、モニター?」
「えぇと……こう、感想を教えてくれる人をね、探していたのよ」
いまいち容量を得ないヴァネッサの言葉に、シェールの眉間に皺が寄る。その姿を見て、ヴァネッサはうっと言葉を詰まらせた。
ふと、シェールの頬を温かいものが撫でていったような心地がした。
「大衆浴場を殿下たちと一緒に建てたのよ。近々休憩所も立つ予定で、実際に使ってみた感想を教えてくれないかしら? 参考にしたいのよ」
「服は私が乾かしておきます」
サッと出てきたミアにヴァネッサは「流石ミア!」とでも言いたげな表情を浮かべた。
「(温泉ってなんだろう?)長くならないなら、大丈夫です」
湯気が立ちやまない浴場を見つめ、シェールはぽそりと答えた。その横から大音量で喜ぶ声が聞こえてくる。
「友達と温泉って憧れだったのよね!」
そっちが本心か。
素直すぎて出会って早々心配になりながらも、シェールは再び腕を引かれた先へと足を早めた。
「裸の付き合いって仲を深めるっていうわよね!」
「は、裸!?」
シェールの足が入り口間際で止まる。ヴァネッサはなにもおかしくなさそうな顔で首を傾けた。次いで、「あぁ!」と手のひらを拳でポンと叩いた。
「大丈夫よ、最初はみんな恥ずかしいものだから」
「は、恥ずかしい?」
「ええ。でも大丈夫。貴女もきっとハマるから」
「は、ハマる……?」
「貴女のためにあるものも用意するわ」
「あるもの!?」
「例のアレはまだ残っていたわよね?」
ガシリとシェールの肩を掴んだヴァネッサは、ミアへと目配せをした。ミアはチベットスナギツネ並みの真顔で、一度だけ頷いた。
「大丈夫、大丈夫よ」
ふふふふ、と不気味な微笑みを向けられ、シェールは友達になると頷いたことを後悔したのだった。
★★★
浴場に入って約二十分。シェールは温泉の中で陥落していた。
タンッと牛乳瓶が床に置かれる。
「ぷはぁ〜っ。おいしいです……!」
喉を潤す甘くて冷たい牛乳。あっという間に二瓶が空いてしまっていた。
これ以上はお腹を壊すだろうからと取り上げられた瓶が頭に浮かぶ。そんな時、シェールの腕に小波が当たった。
「ね、ハマるって言ったでしょう?」
隣に来たのはヴァネッサで、木箱を片手にふわりと花のような微笑みを浮かべて言った。
「はい……体を癒す温かい温泉に、喉を潤おす冷たい牛乳……ハマってしまいそうです」
「やっぱり温泉には美味しい食事が付き物よね。今回は特別に許可を得たんだけど、いつかこうやって飲食可能の温泉も建てるつもりよ」
「いいですね〜」
シェールの心はほわほわに溶けてしまいそうになっていた。肩まで浸かり、息をつく。
ふと、ヴァネッサが木箱を棚に置いた。タオルに隠されていてもわかる美しい体のラインに、シェールはそっと目を逸らした。
「これもいいと思うわよ」
カポンッと音がしたかと思うと、シェールの目の前に小皿にのったフルーツが差し出された。
「爪楊枝は開発中ですし、他は食べかすが飛びかねないので……手に取って食べられるこれをひとまずは」
よく冷えているのか、フルーツの皮を小さな水滴がびっしりと覆っている。
「ひとまず」という言葉が気になったが、シェールは食べてみることにした。
「わっ」
プリッとしたブドウは、見た目を裏切らずみずみずしい。口に含んで噛めば、甘酸っぱい果汁がじゅわりと滲み出る。
心地よい空間に心もお腹も満たされていく。
「教会のみんなも連れてきたいな……」
そう呟いたシェールは、なんとなく顔を上げてみた。
「!」
どうやらヴァネッサもこちらへ顔を向けてらしく、大きな赤い瞳が見開かれていた。




