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2話 ヒーローは遅れて、なら、ヒロインはどうでしょう

 眩しい日差しの下、メイを筆頭とした職人たちが黙々と作業に打ち込んでいる。浴場に来た人々に、工事の音を聞きつけた人、辺りに響く釘が打ち付けられる音。

 決して不快に感じない音の中心にいるヴァネッサの肩を誰かが叩いた。


「試作品できたんだけど」


 振り向くと、長い睫毛に陽光をのせて、鮮やかな青緑色の瞳がヴァネッサを映した。


「あら、ライル様。いいところに来ましたわね。ちょうど休みを取ろうと思っていたのです」


 メイたちへと顔を向け、胸を上げた。


「皆さま! 私、少し抜けますわね!」

「うるさっ」

「あっ! ごめんなさい。いきなり大きな声を出したら驚きますよね」


 ライルの不快げな呟きに、ヴァネッサは今更ながら口元に寄せた手を引っ込めた。彼は小さく尖らせていた唇を緩め、ため息を溢した。


「別に驚いてはないけど。ほら、早く行こ」


 ライルはさも当たり前かのようにヴァネッサへと手を差し出した。対するヴァネッサも手を重ねた。まぁまぁ長い王族生活で身につけた反射である。


「では、私は木陰で見守っています」

「あら、せっかくだからミアも一緒に見ましょうよ。ね?」


 三歩後ろにやってきたミアへと微笑み、首を傾ける。ミアはほんの少し瞼を降ろし、次いで上げた。


「わかりました」


 ミアの返事にヴァネッサは頬を染めて笑みを深めた。


「うふふ。じゃあ行きましょ。判断する人は多いに越したことないもの」

「それ、俺に対するプレッシャー?」

「えっ! 違いますわ!」


 ライルにじとりと見つめられ、ブンブンと頭を振る。

 すると、ライルは眉を寄せてフンッと鼻で笑った。


「だろうね」


 顎を上げたライルに見下ろされる。瞳と同じピーコックグリーンの髪が風に揺れた。その絵画的美しさに目を奪われかけるも、ヴァネッサは負けじと唇を尖らせる。


「いじわるですわ」

「今さら気付いたの?」


 お間抜けさんだね、と今度は目元を細めてクスリと笑うライル。婚約者の浮気を言及できなくなるほど美形に弱いヴァネッサなのだ。何も言えなくなってしまう。

 どこか魅惑的な美オーラから目を庇うように、ヴァネッサは彼の手を引いた。


「みっ、湖で岩に座って見るのでしょう? 先ほどから二歩しか進めていませんのよ」


 目を瞑ったまま進むも、すぐさま彼が隣に着いた感覚が。


「へぇ」

「ひゃっ!」


 ふいに腕を引かれ、吐息と変わらない囁き声が耳元で燻った。


「意外と押しに弱いんだ?」


 艶やかな唇がスッと弧を描く。

 猫のように鋭くて、いたずらげな瞳。丸々とした緑色の中心が赤いのは、きっとヴァネッサのせいだろう。


「いつもは俺にアップルパイを押し付けたり、間近に迫ってキャンバスに夢中になるくせにさ」

「ま、間近だなんておも、」


 ヴァネッサが全力で伸ばしていた腕を、ライルが再び縮めさせた。


「この距離は間近じゃない?」


 まさか。

 肩と肩、髪と髪が触れ合う距離が遠いなんて、言えるはずがない。


「近いです」


 突然ミアがヴァネッサとライルを引き離した。

 サンダルウッドの甘やかな残り香が、風に吹かれて消えていく。


「見守るんじゃなかったの?」

「はい。見守っていますよ」


 何故か二人の間に火花が見える。


(目を擦って……うん、見えるはずがないわよね)


 念のためもう一度目を擦ってみる。開けた先で見えたのは、仲間達に筋肉を見せつけているメイだった。


(まぁ、これでモチベーションが上がるならいいでしょう)


 一人で頷き、ヴァネッサはライルとミアに声をかけて湖へと向かった。



★★★



 ピチョンと魚が跳ねる音に感嘆の息が混ざる。

 青い空に向けて掲げたのは、スープ皿より深くて丸みを帯びた、白い陶石のお皿だ。


「流石はライル様ですわ! これこそ、私が求めていたどんぶりです!」

「引き受けておいてなんだけど、変なデザインだね。悪くはないけど」


 岩に片足を上げて腰掛けていたライルは、頬杖をついた手を退けて、カゴの中へと入れた。

 中から出てきたのは色違いのどんぶりで、漆塗りの焦茶色が艶やかに光っている。


「なんでこんなもの思い浮かんだの? 東洋に似たようなものがあった気がするけど、貿易品で見かけたわけ?」

「似たようなものがありますの!?」


 ヴァネッサは素早くライルへと顔を向けた。

 二作目がある上に、ミニゲームで和風の温泉が出てくるのだ。三作目や四作目があっても、また、舞台が和になっていてもおかしくはない。


(おにぎり! おにぎりが食べられるかもしれ――)


「いや、ごめん。たぶん俺の勘違い」

「え、えぇぇ〜……」


 なんだ、ただの勘違いか。期待したのに。


 わかりやすく落ち込みを露わにしたヴァネッサに、ライルが訝しげな目を向けてくる。


「そんなに他国のことが気になるの?」

「他国というか……美味しいものというか」

「食欲魔人」

「そんな色欲魔人みたいに言わないでくださいませ」

「あんたは色気より食い気でしょ」

「うっ」


 的確な指摘に言葉を詰まらせる。


「こ、婚約者はいましたわ」


 ライルはつまらなさそうに片眉を上げた。


「恋愛感情は?」

「ありませんでした」


 ヴァネッサの素早い告白に、ライルはまた小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。

 ふと、思い出したように口を開ける。


「そういえば、湯脈を探しに旅行へ行くんだって? メイさんから聞いた」

「ええ」

「いつから行くの?」

「メイさんの指導力のお陰で明日には現場を任せてもよさそうなので、近いうちに少し離れるかと思います」

「ふーん」


 ライルはぶすりと唇を寄せ、また頬杖をついた。ひじき並みに長くて太い睫毛が湖へと伸びている。

 そして、どこか挑発的な眼差しでヴァネッサへと振り向いた。


「ねぇ、それ、俺も連れて行ってよ」

「えっ?」

「どうせ使用人は何人かいるんでしょ?」

「使用人と旅人は異なるかと」


 ミアがピシャリと言い退けた。今までこのようにキツい態度を取ったことはなかったのに、どうしたのだろうか。

 しかし、ライルは気にしないようで、ツンとした表現をミアへと向けた。


「仕事仲間としてだから」

「そうですか。ヴァネッサ様はいかがお思いですか?」

「私は……来てくれても構わないわ。もし湯脈が見つかったら、新たな浴場の内装を考えられるしね」

「そうそう。俺がこの国を去る前にね」


 ヴァネッサとライルの返答に、ミアは小さく眉間を動かしたものの「わかりました」と言って礼をした。すぐさま木陰へと引っ込んでしまう。

 その時、ヴァネッサは過去に彼が話していたことを思い出した。


「お皿が間に合うかわからないって前に仰っていませんでしたか? まだこの国にいて大丈夫なのですか?」

「んー」


 ライルはどんぶりをカゴへと戻した。ヴァネッサの手からも奪い、蓋を閉めてしまう。


「まぁ、俺は自由な旅人みたいなものだから大丈夫だよ。それより、ちゃんと殿下に伝えておいてよね」

「もちろんですわ」


 ヴァネッサは敬礼のポーズを取った。ライルもミアも、二人して頭の先が湖の方向を向いている。


「何そのポーズ」

「(ゲーム的には)了解という意味ですわ」

「ほんと、俺が見たこともないようなことばっかりしてくるよね」


 呆れ笑いを浮かべるその表情は、どこか優しげだった。



★★★



 差し入れに残ったあんパンを片手に、ヴァネッサとメイは噴水広場を横切っていた。作業音が止んだことで、辺りを走り回る子供たちの声が聞こえてくる。


「流石はメイたちね。明後日には基礎工事を始められるみたいよ」

「メイ様の家は代々町の建築業を担ってきましたから。規模が小さい上に細かい部屋割りがないため、もしかすると予定より早く完成するかもしれませんね」

「そうね。ふふ、楽しみだわ」


 ミニゲームの画面と、アイテム欄を思い出す。コーヒー牛乳、フルーツ牛乳、イチゴ牛乳に温泉饅頭。あんパンも欠かせない。あとは、材料が未だ見つからないうどんや蕎麦。夏にはかき氷、冬にはお汁粉も出したい。


(あぁ……! 温泉天国がすぐそこに!)


「ヴァネッサ様」


 ミアが声をかけたことで、ヴァネッサは足を止めた。目の前には木の枝が。


「ありがとう。ぶつかるところだったわ」

「お気をつけください」


 ヴァネッサは眉を下げてミアへと振り向く。

 その時、高く小さな短い声が聞こえてきた。


 声の主は、屈強な男性二人に腕を掴まれた少女。その容貌に、ヴァネッサの瞳がハッと開かれた。

 真っ直ぐに伸びたココアのような髪に、白い透き通るような肌、控えめだけどもぷくりとした桜色の唇。憐れなことに、聡明さを醸し出す鮮やかな緑の瞳は、恐怖に収縮してしまっている。

――間違いない。彼女がヒロインだ。


(って! 早く助けなきゃ!)


「行くわよミア!」

「警備兵を呼んだ方が……かしこまりました」


 駆け出したヴァネッサの背中を、諦めと慈しみが混ざったようなため息が後を追った。

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