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1話 忙しなさは続くようです

 爽やかな太陽の光が差し込む王城の、これまた優美な紅茶の香りが漂う応接室にて、人が頭を床に打ちつける音が響いた。音の主はブレイズ王国の騎士団長、執事長、右大臣と左大臣。彼らの目の前で火竜を抱きしめ、首を振っているのはもちろんヴァネッサ。

 もう一度、部屋に鈍い音が響いた。


「お願いします、ヴァネッサ様!」

「行きません」

「どうかご慈悲を!」

「絶対に行きません!」

「お願いします!」

「お帰りくださいませ!」

「む、もういいのか?」


 ヴァネッサは頬を膨らませ、火竜を抱えたままソファから立ち上がり出口へと向かった。ミアが相変わらずの無表情で扉を開ける。


「私は仕事がありますので失礼いたします!」

「あ、ああーー!」


 扉の奥から聞こえてくる叫び声を背に、気にせずヴァネッサは廊下を歩く。すると、火竜がもぞもぞと腕の中で動いた。手を離してやると肩へと移動し、どこか愉快そうにくつくつと笑っている。


「あの人間たちは最近、毎日のように来るではないか」

「本当に迷惑ですわ」


 怒りを歩幅に表しながらズンズンと会議室へと向かう。


「だが、応接室には通すのだな」


 足を止め、火竜へ冷めた目を向ける。しかし彼はより笑みを深めるだけで、ヴァネッサは小さくため息をこぼしたのち歩みを速めた。


「ダリウス殿下の判断に従っているまでですわ」

「門前で追い返してもいいとこの前言っていたではないか」

「また盗み聞きをされたのですね」

「昼食が足りないのが悪い。昼寝から覚めてしまったのだ」


 それで、ダリウスの執務室までやってきて、たまたま先程の会話を耳にしたと。


「それで、まだ続けるつもりか?」


 陽光を反射して一瞬きらめいた火竜の瞳を恨めしそうに眺め、次いで、前へと戻す。

 ブレイズ王国の重鎮たちがヴァネッサの元へ尋ねてきた理由は、端的に言うと「戻ってこい」ということである。聞いたところによると、国王は現実と妄想の境界が曖昧になってしまい、ケネスは部屋にこもりっきり。政務が滞っているのである。

 ならば、他国へ留学している兄を呼び戻せばいい。もとより国王は彼にしか期待していなかったし、王位を継承するつもりでいたのだから。と、言ったのだが、どうやらこちらにも問題があるようで、とっくに留学期間は終えているにも関わらず、戻ってこないらしい。痺れを切らした彼らは兄に手紙を送ったようだが、返ってきたのは「手に入れたいものがあるためまだ帰らない」という、前文も末文もすべてすっぽかした短い文のみ。

 結果、ヴァネッサを呼んで国王とケネスをどうにかしてもらおうと考えたらしい。

 しかし、嫌な思い出しかないあの城にはもう戻りたくない。


「今日で最後にしますわ。殿下にあとで話します。二カ国の間に亀裂が入らないかは心配ですけれど、そこも含めて相談しますわ」


 ヴァネッサは拳を握り、火竜へと意志の強い表情を向けた。


「ほぉ〜」


 対する火竜はかつ半目でまの抜けた声を出してきた。


「信じていませんわね?」

「貴様はなにかと流されやすいからな。この前だってあやつに衣類を押し付けられていたではないか」

「殿下のことですか?」

「それ以外誰がいる」

「あれはプレゼントされたのです。押し付けられたのではありませんわ」

「困っている時点でプレゼントではないだろう」

「いっ意外と人間らしいご指摘!」


 驚いて目を見開くと、火竜はフンと鼻で笑った。

 しかし、押し付けられたのかは微妙なところ。彼は「必要だろうから」とドレスの入った箱をぞろぞろと使用人たちに持ってこさせたのだ。遠慮したものの、結局受け取ることにしたのはヴァネッサだ。

 ちなみに、部屋に箱の山が出来上がったものの、ミアの素早い指示と手捌きにより、散歩から帰ってきた時にはもうクローゼットの中へ入っていた。流石はミアである。仕事がはやい。


「まぁ、やり方はともかく、殿下は人情深い方なのですわ」


 ヴァネッサの言葉に火竜が眉をひそめる。


「人間、そんな単純なものではないだろう」


 呆れたと欠伸をする火竜。今度はヴァネッサが眉をひそめた。


「そういえば、そろそろ名前で呼んでいただけませんか? 区別がしにくいですもの」

「すぐに忘れるものなど、覚える意味がなかろう。人間なんぞ、我らが瞬きをする間に消えてしまうのだからな」

「そのような寂しいことは仰らないでくださいませ」

「だが事実だ」

「そうですけれど……」


 その事実自体が寂しいのである。故に、せめて生きている間だけでも仲良くしたいと思うのだ。

 ふと、火竜が鼻を鳴らした。


「まぁ、多少仲良くなったなら、百年くらいは忘れないかもしれないがな」

「ひ、火竜様〜!」

「やめろ! モフモフするんじゃない!」


 ヴァネッサは肩から火竜をずり下ろし、これでもかと胸元のモフモフに顔を埋めた。心なしかパンのような香ばしい匂いと、餡子の甘い匂いがする気がする。あと、ちょっと磯臭い。


「やめろと言っている!」

「あっ!」


 バサリと翼を動かしたかと思うと、火竜は腕の中から飛び出してしまった。赤いカーペットに黒い爪が穴を開ける。

 そのままペチペチと音を立てながら先程きた道を戻り始めた。


「どこに行かれますの?」

「厨房だ。腹が減った」

「私も後ほど向かいますわ」


 火竜は返事をしないまま階段を降りていってしまった。

 料理長はなんとか彼に慣れたようで、未だに真っ青な顔に笑顔を貼り付けてはいるが、料理は難なく運ばれていた。ほぼ毎日のように火竜にご飯をたかられてきたからか、今ではお菓子のストックを用意しているらしい。おいしいと言ってもらえることを嬉しく思っているとも言っていた。良くも悪くも火竜は正直なため、味の改善にも一役買っているという。

 使用人たちも慣れてきたようで、この前は火竜の鱗をなんでもない顔で拭っている様子を見かけた。なんならブラッシングと称して胸元のモフモフを撫でてもいた。羨ましい限りである。ヴァネッサだって寝る前にしか触らせてもらえないのに。


(まぁ、火竜様とみんなが仲良くなってくれてよかったわ)


 そのため、ヒロインはまだ現れていないが、比較的安定した生活を送っていっていると思う。

 というか、ヒロインがなかなか現れないため焦りを感じ始めている。

 ダリウスの登場は第二部からで、季節的に考えるともう出会っていてもおかしくないのだ。なのに、ヒロインらしき人物の噂も、ダリウスに女性の影もありやしない。何故だ。何が起こっているのだ。


「このまま平和に終わるのなら、それでもいいのだけれど、そうは思えないのよね」

「ヴァネッサ」


 考え込んでいたヴァネッサの腕をダリウスが引いた。ビタリと足が止まり、顔を上げる。


「扉に激突するところだった」

「えっ?」


 ダリウスから視線を前に戻すと、扉らしきものが目と鼻の先にくっついた。慌てて後ろへと下がる。


「ありがとうございますわ。少し考え事をしてしまったようです」

「休憩所のことか?」

「いえ、そうではなくて、ヒロ……」

「ヒロ?」


 ヴァネッサは口をつぐんだが、時遅し。ダリウスの眉間に皺が刻まれる。


「ヒロなんちゃらとかいうあの男の恋人か?」


(おしい!)


「いえ、なんでもありませんのよ。言い間違えました。休憩所が成功するか考えていたのですわ」

「そうだったのか」


 ダリウスは真剣な表情で頷いた。嘘をついてしまったため少し罪悪感が出てしまう。

 しかし、休憩所のことを気にしているのは本である。なにせ、明日から建設工事が始まるのだから。

 予算の調整、(ゲームデザインを真似た)新たな建築様式の提案と説得、ライルとの小物選び……決めることが多すぎて、ここまで来るのに一ヶ月はかかってしまっていた。浴場のデザインをできる限りミニゲームと同じにしていなかったら、さらに説得に時間がかかっただろう。


(いつか和風バージョンも再現したいわね。でも、この国の雰囲気とは合わないのよね。どうしましょう……)


「ヴァネッサ」

「は、はい!」


 ダリウスに優しく声をかけられ、ヴァネッサは顔を上げた。


「工事が始まって少ししたあたりでいいか?」

「はい!」

「よかった。あ、ちょうどスチュワートが紅茶を持ってきたな。先に部屋で待っていよう」

「そうですわね」


 ダリウスは会議室の扉を開けた。メイとライルが何やら一方的な言い争いを繰り広げている。

 さて、どうやって会議を始めようか、と中へ入ったその時、違和感に気づく。


(あれ? 私、さっき適当に返事をしなかった?)


 メイとライルの間に割って入る前に、ヴァネッサはダリウスの服の袖を引いた。どうしたのかと耳を貸してくれる。


「あの、殿下、先程のお話って……」

「近くの山に湯脈を探しに行く話か?」

「そう! それで――えっ、もう?」

「君は温泉が好きだろう?」


 ダリウスは真顔で首を傾げた。



★★★



 いっぽうその頃厨房にて、扉の下部に用意されたペットドアが開けられた。「きゃーかわいい」と黄色い声が湧く。


「菓子をよこせ。さもなくばその腕に巻きつくぞ」


 料理長は苦い微笑みを浮かべて頷いた。そして、瓶に入った棒付きドーナツを猫じゃらしのように火竜へと差し出したのだった。

第二部が始まりました!

やはり人の話を聞かないヴァネッサと一人で突っ走りがちなダリウスを、これからもよろしくお願いします。

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