4話 私が押しかけたのは、氷の国の王子様でした
「うーん。このあたりだと思うのだけれど、いないわね」
会場から出てしばらく経ち、ヴァネッサはついに男性を見逃してしまった。あちらこちらを捜し歩くも、人っ子一人見つからない。
「困ったわ。どこへ行っちゃったのかしら? 名前を知らないから、呼ぶこともできないし……」
もしかして、もう帰ってしまったのだろうか。ヴァネッサが今いる場所のすぐそこは王宮の出口だ。その可能性は十分にある。
「(仕方がないわ。出口を見てもいなかったら、部屋に戻――)あっ!」
ギリギリ間に合ったようで、出口の先では、お目当ての男性が馬車に乗ろうとしていた。慌てて男性に駆け寄る。
「あの!」
「!」
振り向いた男性の瞳には、星空が映っていた。ヴァネッサはごくりと唾をのみ、口を開く。
「私も一緒に、連れて行ってくださいませんか?」
「――断る」
ぴしゃりと言いのけられ、ヴァネッサはぐっと詰まった。
しかし、引くわけにはいかない。
「こ、後悔はさせませんわ。刺繡も歌もダメですけれど、家事はできると思うのです」
「なぜ君が家事をする必要が? 王女だろう?」
「今はそうですけれど、いつか、はっ!」
ヴァネッサの背後、廊下の奥から聞き覚えのある声がして口を閉じた。顔から血の気が引いていく。
「姉上~。どこにいらっしゃるんですか?」
「ひっ!?」
「待て」
逃げようと踵を返したヴァネッサの腕を、男性が掴んだ。
「彼は君の弟だろう。なぜ逃げる?」
「そうですけど、彼の側は危険なんです! だから離してくださいませ!」
「どういうことだ?」
「し、失礼しますわ!」
ヴァネッサは男性の腕を振りほどき、馬車の横をすり抜けようとした。しかし、またもや腕を掴まれてしまう。
「早く逃げないといけないのです! 私を連れて行ってくださらないのなら、せめて腕を離してくださいませ」
「どこに逃げると言うんだ」
「追手が来られないような、はるか遠くにです!」
「その足でか?」
男性の目が、ヴァネッサの足先へと向けられる。レースとフリルがたっぷりのドレスから覗くのは、真っ赤なピンヒール。
「そんな靴では走れ――」
「そうですわね!」
「待て!」
ヴァネッサは迷いなく靴を脱ぎ、道の端へと投げ捨てた。
「これで走りやすくなりましたわ!」
「そういうことを言いたかったんじゃない」
男性は信じられないと言った表情で、ため息をついた。
違うのか。そう問おうとするも、ケネスの声が近づいていることに気付き、口をつぐんで腕を再度振りほどこうとする。
しかし、ヴァネッサよりも先に、男性が腕を引いた。
「きゃっ!?」
投げ入れられたのは、馬車の中。混乱しつつも体を起こすと、目の前で扉が閉められた。
「何を」
「静かにしろ」
小さくそう呟いたかと思うと、男性が扉の前に立った。彼の大きな影がヴァネッサを覆い隠す。
外を覗こうとするも、何者かの足音が聞こえて、ヴァネッサは動きを止めた。
「姉上!」
(ケネス! 出口以外にも候補はあるのに、どうしてピンポイントでここに来るのよ!?)
口元を手で覆い、扉を背に、ずるずると身を縮こまらせる。
「あれ? ここにいたと思ったのに――おや、お久しぶりですね。お会いしたのは、先月の建国祭以来でしょうか」
「お久しぶりですケネス様。なぜここに?」
(ケネスを「殿下」ではなく「様」で呼んだ? そういえば、私のことを王女と知りながら敬語を使わなかった。まさか彼、貴族じゃないの?)
「そういうケネス様こそ、もうお帰りになられるのですか?」
「政務が待っているからな」
「流石ですね。同じ王子とはいえ、頭が上がりませんよ」
(王子!?!?)
あまりの衝撃に振り向きかけてしまった。扉に頭をぶつけてしまう。
「今何か、物音がしませんでしたか?」
(まずい!)
胸がドキドキと鳴りだす。
ヴァネッサは他国との交流に興味がなかった。故に、彼が他国の王子とは知らなかった。同じ王子同士、交流があってもおかしくない。
逃げ道はなく、このまま差し出されるかもしれない緊張感に、ヴァネッサは息を殺して先の言葉を待った。
「ああ、剣の先が、扉に当たってしまったようだ」
「なるほど。そうでしたか」
(もしかして、かばってくれた?)
「ところで、姉上をお見掛けしませんでしたか?」
「見ていないな」
「そうですか。……僕の見間違いかもしれませんね」
(な、なに!? 急に寒気が!)
背中にゾワリとしたものを感じ、ヴァネッサの体は震えた。
しかし、これ以上何かが起こることはなく、ケネスが立ち去る音が聞こえてきた。大きく息を吐き、膝を抱える。
「よかった……」
「すぐにここを出るぞ」
「えっ、うぶっ!?」
突然扉が開かれ、流れ込むように王子が中へ押し入ってきた。バサリとローブをかけられる。
「あのっ」
「まだ頭は下げていろ。門番に見つかる」
「は、はい!」
王子はローブを引っ張り、そのままヴァネッサにフードを被せた。指示通り、大人しく下を向いて、押し黙る。
馬車は動き出すも、門の前ですぐに止まってしまった。門番による検閲が入るのだろう。完全に忘れていた。
「どうし」
「静かに。いいな?」
「は、はい」
(静かにって、何か考えがあるの?)
不安げにヴァネッサがちらと見たその時、ちょうど門番が扉の前に現れた。
「おや殿下。お帰りになられるのですね」
「ああ。仕事が残っているんだ」
「お気をつけてお帰りくださいませ」
「ありがとう」
(まさかの顔パス!? これは問題だわ。まぁ、そのおかげで助かったけど)
「もういいぞ」
「そうですか?」
顔を上げ、外を見てみる。王城はもう見えなくなっていた。
ヴァネッサは安堵のため息をつき、椅子に腰かける。
「助けてくださり、ありがとうございます」
「別にいい。何か理由があったのだろう?」
「まぁ、そうですね」
ヴァネッサは言葉を濁した。彼にどこまで話していいのか、図りかねているからだ。
「数日くらいなら滞在してもいいが、このままでは外交問題になりかねない。どうするつもりだ?」
「ああ、それは……その前に、一つ確認をしてもよろしいでしょうか?」
「何だ?」
「貴方は王子、ということで合っていますか?」
王子の肩がピクリと動いた。
「まさか、俺が誰か知らないのか?」
「は、はい」
申し訳なさと、自身の無知に対する羞恥心を感じ、ヴァネッサはただ頷いた。
「ダリウス・ランシェ・グラスヴァルト。アヴァランシェは知っているな?」
「アヴァランシェ……あぁ! 氷の国ですよね?」
「そうだ。流石に国名は知っていたか」
「はい、一応は。でもまさか、まさか?」
(あれ?)
ヴァネッサは地理の授業で習った内容を思い出し、頭をひねった。ブレイズの隣に位置する、一年間ほぼすべての期間が雪と氷に閉ざされた、氷の国「アヴァランシェ」。
(確か両陛下は既に亡くなっていて、一人息子の王太子が代わりを務めていると聞いていたけ、ど……)
「まさか王太子……」
「そうだ」
ヴァネッサの額に冷や汗が滲む。国王として即位していないことから、王太子はまだ幼いと思っていたが、成人男性だったとは。
「そうとは知らず、申し訳ございませんでした!」
「本当に知らなかったんだな」
はい、と小さく呟き、ヴァネッサは項垂れた。
王族に元王族が使えるなんて、聞いたことがない。断られて当然だ。
「ん?」
「どうした」
(よく考えてみれば、私、彼に自分を雇うように言ったかしら?)
「自分も一緒に連れていけ」としか言っていない気がする。それこそ、彼に断られて当然だ。
(今から除名してもらいに行こうかしら?)
しかし、今から馬車を飛び出したとして、王城への道はわからない。どうしようかとヴァネッサは肩を落とした。
何も連絡を入れないで出て行けば、すぐさま騒ぎになる。彼に手紙を送ってもらうことも可能かもしれないが、上手い言い訳が浮かばない。
「とにかく、君が俺に声をかけた理由は明日、聞かせてもらおう」
ヴァネッサが何か言う前に、ダリウスが口を開いた。
「ですが、私が理由も告げずにいなくなれば、問題が起こります」
「何を今更。誰にも理由を告げずに来るつもりだったのだろう?」
「わかっていて、私を連れ出したのですか!?」
「座れ。怪我するぞ」
「はい」
「ふっ」
大人しくヴァネッサが座ると、ダリウスが笑みをこぼした。
「今……」
「すまない、気にするな。それよりこれを」
ダリウスは、近くにかけてあった毛皮のコートを差し出した。
「あと少しで王城に着く。寒いから必要になるだろう」
「もうアヴァランシェに着くんですか?」
「ああ、隣国だからな。というか、アヴァランシェならもう着いている」
「えっ? わぁ……!」
ふとヴァネッサが外に目をやると、モノクロの景色が広がっていた。遠くの町にそびえる煙突屋根の家々からは、白い湯気が立っている。
ブレイズでは見られない光景に、胸が高鳴った。降り積もっている雪がキラキラと輝いて見える。
「綺麗……! とっても綺麗ですわ!」
「そうか」
少し間を開けた後、ダリウスは静かに言った。
「凄いです! まるで絵の中に迷い込んだようで、あっ!」
「どうした」
何かあったのかと微かに身を乗り出したダリウスに、ヴァネッサは笑顔で振り向いた。
「窓が息で、白くなりましたわ!」
「息? なんだ、そんなことか」
「殿下にとってはそんなことでも、私にとっては心を揺さぶるものなのです!」
だって、ブレイズに雪は降らないから。こうして身震いをしてしまうような寒さを感じることも、ほぼない。
「少し大げさじゃないか?」
「あっ! あの白い生き物は何ですか?」
「オコジョだ」
「オコジョ……!」
窓の外を眺めながら、ヴァネッサは復唱した。白くてほわほわとしたボディ、ちょんとしたかわいいお顔。可愛い、可愛すぎる。
「あぁ、見えなくなっちゃいましたわ」
しょんぼりと下を向く。
「またすぐに見られるだろう。着いたぞ」
「えっ? 着いたって――」
ガタンと音を立てて、馬車が止まった。再び窓の外に目をやると、白い壁の建物の一部が見えた。
ヴァネッサはダリウスに振り向く。すると、馬車の扉が開かれた。
「決まっているだろう」
ダリウスが馬車から出たことによって、扉の先が見えた。多くの執事たちが列をなしている。
「アヴァランシェへようこそ、王女殿下」




