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38話 あの時の私は愛していました

(私が、彼を、愛さない?)


 こちらをキッと睨む赤い瞳からは、涙がボロボロと溢れ出ている。その表情から読み取れるのは、怒りというよりも、悲しみ。辛くて苦しくて堪らない、そんな顔だ。

 ケネスの涙を見たのは、幼少期以来のことだった。


「愛してくれないって……どういうこと?」


 そんなことを自身に求めていただろうか。何故それが、自身を殺すことに繋がるのだろうか。わかりそうで、わからなかった。

 故に、恐る恐る疑問を口にするしかなかった。


「覚えていないんですね」


 ケネスは自嘲気味な表情で笑った。


「姉上が悪いんです。僕を裏切った姉上が」

「裏切る?」


 そのようなことをした覚えはなかった。このことが彼の神経を逆撫でたのか、より一層、彼は顔を歪めた。

 しかし、全てを投げ出しそうな虚な表情に変わってしまった。その姿が弱々しくて、馬鹿げたことに胸の奥が締め付けられた。


「一緒にいてあげると、言ってくださったのに」


 彼は声を震わせて、下を向いてしまった。

 小さく背を丸めた姿が、過去の彼と重なる。


(思い出した)


 ゲームが始まるより前の記憶を。

 それは、ヴァネッサとケネスが出会って約一年が経った日のことだった。



 腫れ物を扱うように接してくる使用人に、姿を現さない父、部屋にこもってばかりの母。叱られるだけで、つまらない授業。抜け出してフラフラと廊下を歩いても、誰も挨拶すらしなかった。

 自分のせいだとわかっていても、罪悪感に苛まれても、行動を変えることはできなかった。毎日が不快で、イライラして、さみしくて、落ち着かなくて。買い物と、絵本と、おいしいもの、オシャレ。その四つでしか、ヴァネッサの心を一時的に満たすことはできなかった。

 いや、あと一つだけ、一人だけいた。


(あ、いた!)


「ケネス!」

「わっ!」


 ころんとした後頭部が見え、ヴァネッサは迷わず抱きついた。ふわふわの金の髪が頬をくすぐる。


「あ、あねうえ」


 高い気弱な声が名を呼んだ。そのことに気分をよくして、隣へと座る。

 すると、こちらを見ていた彼の目に涙が浮かんでいることに気づいた。頬もズボンの膝も濡れている。


「泣いているの?」

「あっ」


 自身の言葉に、ケネスはただでさえも赤くなっていた顔をさらに真っ赤にして、下を向いてしまった。


「どうして?」

「それは……」


 ケネスは目を逸らし、押し黙ってしまった。

 毎日のように見る母の乱れた涙とは違い、彼の涙は綺麗だった。故に、理由を聞きたくなっただけなのに。

 彼とは庭で出会った。正確には、庭に用意された池で。

 つまらないからコイでも捕まえて使用人たちを驚かせようかと向かった時に、彼が池で溺れていたのだ。そのまま溺れる様子を観察していてもいいのだが、目があった自身は何故か彼を助けた。それがどうして助ける理由になるのかは疑問だが、わからなかった。

 側に立てかけてあった練習刀を使って、ヴァネッサはケネスを池から叩き出した。咳き込む彼の背中を叩いてやり、ついでに中に入った水草を引き抜き、濡れた服を絞ってやった。それでも、彼は膝を抱えて泣いていた。怖かったと泣きじゃくる様が面白くて、もっと泣かせてみたくなった。しかし、どうしようかと案を考えだした時に、彼から抱き締められて「ありがとう」と言われ、やめた。その時の理由を飽きたからだと思っていたが、恐らく違うだろう。久しぶりに聞いたその言葉に動揺したのだ。

 そこから彼は自身を訪ねてくるようになった。気分じゃないと断ると泣かれるため、めんどくさいと言って一緒にいてあげた。でも、めんどくさいというのは勘違いで、嬉しさと困惑を感じていたのだと思う。


 めんどくさい、という理由だけでは、一時間も彼の無言に付き合うことはないだろう。


「あねうえは、どかにいかないんですね」


 ようやく、ケネスが口を開いた。


「みんな、あにうえのことばっかりだ」


 虫の羽音かと突っ込みたくなるような音量で呟き、またえぐえぐと呼吸を乱し始めるケネス。そんな彼を、ヴァネッサは抱きしめた。

 湖の前で彼がしたことを真似ただけだった。そうすれば彼の涙を止めることができるかもしれないと思ったからだ。ざわざわと苦しみの声を上げ出した、自分の胸の内さえも。


「あねうえは、ぼくのことを、どうおもっていますか?」

「面白いやつ」


 何も考えずそのままを伝えたのだが、彼の望んだ答えではないらしい。彼は眉間にしわをよせ、唇を尖らせてしまった。


「ぼくはあねうえのことすきなのに〜!」


(え、えぇ〜?)


 声を上げて今まで以上に泣いてしまったケネスに、どうしたらいいのかわからず、ヴァネッサはその場で固まった。

 「すき」なんて言葉は、誰からも言われたことがなかった。本で一度か二度見ただけだった。

 だから、「すき」というものがなんなのか、わからなかった。ましてや彼の言う「すき」の定義なんて、読めるはずがなかった。

 故に、こう尋ねた。


「いっしょにいるのは、ちがうの?」

「……だれもいっしょにいてくれないので、わかりません」


 彼はグスグスと自身の腕の中で鼻をすすった。

 確かに自身は彼のことを「面白いやつ」と言った。それは変わらないが、名前をつけていないだけで、彼を泣くことを嫌だと感じてはいた。故に、彼の背中をポンと叩き、言ったのだ。


「なら、私が一緒にいてあげる」


 ――と。


 ヴァネッサの言葉を聞いて、ケネスは嬉しそうに「へへ」と笑った。耳元でぐすりと泣き止む音がする。


「あねうえは、ぼくのことをあいしていてくださいね」


 この言葉に「あれ? さっきは『すき』と言ってなかったっけ?」と疑問に思ったのだが、大した差はないだろうと踏んだヴァネッサは「いいよ」と答えた。



「……言った、わね、ええ」


 自身の顔に手をやり、頷いた。

 だが、あの時の自身は嘘は言っていない。今ならわかる。あの時から、彼のことを弟として大切な存在だと思っていたから。

 だが、今の記憶だけでは、彼を裏切ったシーンが含まれていない。そうして、彼に「好きではない」や「一緒にいれない」などと言った記憶もない。


「私の言葉に偽りはないし、取り消した記憶もないわ。貴方はどうして、私が裏切ったと……まさか」


 そういえば、彼との交流がある日を境に減った。いや、しかし、仕方がないだろう。

 自分でも信じられない予想に、言葉にするか迷ってしまう。彼とは普通に仲良くなっていたではないか。


「ハリー様と(政略的な)婚約をして、彼に時間を割くようになったから?」


 ケネスはコクンと頷いた。


(う、嘘でしょ!?!?)


 まさかの正解に開いた口が塞がらない。

 婚約が決まってしばらく経ったある日、ヴァネッサはケネスと遊ぶ約束を一度断った。突然ハリーが訪ねてきたからだ。思えば、その日から彼は涙を見せなくなった気がする。

 ふと、ケネスが悲しげな表情で視線を逸らした。


「父上は僕に興味すらない。母上は兄上しか見ていない。姉上もいつか離れてしまう。誰も僕を愛してくれない。なら、」


 彼はより一層、大きな涙の粒をこぼした。


「他の誰かに求めるしか、ないじゃないか」


 その声は本当に哀しげで。

 愛がほしい。それが、彼がヤンデレになる根底の理由だったなんて。彼は、父と母に愛されなかった胸の穴を、ヒロインで埋めようとしたのだ。

 しかし、ヴァネッサなら嫌でもわかる。代わりは代わりでしかないということが。

 彼と自身は、似ていたのだ。

 今は違うが。ヴァネッサにはダリウス、ミア、スチュワート、ライル、アヴァランシェに来て出あった人々がいる。

 彼には――


「ヴァネッサ」


 ダリウスの声が聞こえ、はっと意識を取り戻す。どうしたのかと目を向けた先を見て、慌てて棺へと駆け寄った。父の顔がこちらへと向いていたのだ。


「お父様!」


 まだ意識がはっきりとしていないのか、父は虚な瞳をヴァネッサへと向けた。


(よかった、よかったわ)


 例え自分を売り飛ばそうとしても、ずっと放置していたとしても、それでも、父のことは嫌いにはなれなかった。

 ふと、父の手が頬に伸ばされた。


「マリー」


 喜びに震えた胸が、一瞬にして冷え固まった。手が頬に触れることはなく、その場から立ち上がる。

 もう帰ろう。そう思った時、扉の先から騎士団が雪崩れ込んできた。国王直属の騎士団だろう。いくつか見覚えのある顔が混ざっている。

 ふとダリウスへと顔を向けると、火竜とミアがいなくなっていた。


「ミアに呼ばせに行ったんだ。火竜に乗ると早く着くな」

「そうでしたのね。ありがとうございますわ」


 思い出を振り返ることにいっぱいで、彼らが飛び立っていたことに気づいていなかったようだ。

 ダリウスはふっと目を細めると、自身へと手を差し出してきた。ヴァネッサも手を重ね、ようとしたが何故か引っ込められてしまった。


「すまない。君の意思を聞き忘れていた」

「私の意思ですか?」

「ああ。君が俺の元へ来てくれたのは、彼から逃げるためだったのだろう? なら、もう一緒にいる必要は、ない……か、と」


 ヴァネッサに取られた手を、ダリウスが見つめている。


(そんなに落ち込んだ顔をされたら、帰るなんて言えないわ)


 もともと、帰るつもりなんてないが。


「殿下がいいと言うのなら、ついて行ってもいいですか? 温泉事業には自信がありますのよ」


 ふふん、と胸を張って言えば、彼はふわりと微笑んだ。


「なら、帰ろう。アヴァランシェへ」

「はい、殿下。あぁ、でも、少し待っていてくださいな」


 ヴァネッサは連れて行かれるケネスの元へと歩いて行った。下を向いていた彼の目がこちらを向いて、揺れた。

 二人の前に、回復し始めた国王が担架に乗せられやってきた。またあの名前を呼ばれる前に、わざと周りに聞こえる声で話しかける。


「陛下は彼を追放するおつもりなのでしょう? もしくは、打ち首にするか」

「ああ。それがどうし――」

「お願いですから、謹慎と王位継承権の剥奪に留めてくださいませんか?」

「だが、」


 ヴァネッサは国王の手を取り、ギュッと握った。懇願するような瞳を向ける。


「お願いいたしますわ」


 国王は憐れむような、愛おしむような目をしたあと、頷いた。


「そうしよう」


 彼の言葉にニコリと微笑む。刹那、疲れに耐えられなかったのか、国王はガクリと意識を落とした。

 小さく息を吐き、ダリウスの元へ帰るべく踵を返す。


「姉上――」

「ケネス」


 顔は向けずに、立ち止まる。


「貴方の思う愛ではなかったかもしれないけれど、私はあなたのことを愛していたわ。弟として、家族として」


 あの時には気づけなかった自分の感情を、言葉として表現していれば彼を変えられたかもしれない気持ちを、今更ながらに伝える。それは、ゲームのヴァネッサではなく、彼の姉、ヴァネッサとしての言葉だった。

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