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37話 弟だろうと手加減しません

 威嚇するような、空気を揺らす炎の音と、炎をいなす、風を切る音が辺りへ響く。

 ヴァネッサとケネスはお互い距離を図るばかりで、攻め込むことも、守ることもできないでいた。

 炎を遠く飛ばすことはできない。そのため、火で攻撃をするなら、彼はヴァネッサに近づく必要があった。しかし、自身の武器は剣。迂闊に近づけば、居合に入ることは明瞭だ。

 ヴァネッサはというと、負けるつもりもなければ、攻めるつもりはなかった。彼を地に臥させること、それは単なる手段でしかない。

 目的は、力を取り戻すこと。もしくは、彼から逃げること。


(できれば父上も助けたいけれど……)


 チラリと棺へ視線を送る。黒い炎に包まれた父は、死人のように動かない。


(わからないわね)


 自分を愛してくれなかったとて、無駄に虐めることもしなかった。ほんの少しの情が心の奥でくすぶる。

 その時、ボウ、と炎が揺らめく音がした。


「ツッ!」


 咄嗟に足を折ったヴァネッサの頭上で、髪が焼ける音がした。

 風に吹かれて靡いた髪の先が、黒く変色している。


(あ、危なかった!)


 自身がすかさず繰り出した斬撃を、ケネスは避け、炎の煙幕をさっと払った。


「流石は姉上。勘が鋭いですね」

「貴方こそ、動きが速くなったわね」


 二人して微笑みを称え合う。

 微かに、ケネスの指が動いた。火の玉がいくつも飛んでくる。


(一、ニ、三、少し間を開けて四、五、よし)


 一つ一つを見切り、避けて行く。その時、避けた視界の端から火の玉が飛び出してきた。


(ブラインド!?)


「くっ」


 ヴァネッサは身を捩り、スレスレのところで回避する。刹那、土手っ腹に重い拳が入れ込まれた。


「避ける向きが同じですよ」


 ケネスはクスリと笑みをこぼした。音を立てて崩れ落ちたヴァネッサの元へ、炎を纏って歩いてくる。


「姉上は昔から単純――ぶっ」


 手を差し出した瞬間、ヴァネッサは手に力を込めた。旋回した勢いを乗せてケネスの顔を蹴り飛ばす。

 踏ん張らせたケネスの足は、数メートル先でようやく止まった。彼はよろけながら顔に手を当てている。


「その足は、ただ歩くだけのお飾りね」


 痛みに歪められていたケネスの目が、バチリと開いた。怒りをあらわにした瞳が、指の隙間から見える。

 ヴァネッサの背中がゾクリと震えた。


「失礼いたします!」


 その時、たった一つの扉から、衛兵が一人飛び出してきた。ケネスがギロリと衛兵を睨みつける。


「入ってくるなと言っただろう。姉上を殺す時間を邪魔するつもりか」


 ヴァネッサとしては、是非とも邪魔して欲しいものである。

 ケネスの威嚇に気づかないほどの何かが起こったようで、衛兵は平謝りをして、空へと指を向けた。


「殿下! 空から女の子が!」

「なんだって?」


 耳を疑うようなセリフに、二人して顔を顰める。空を見上げるも、何もない。


「何もないじゃないか。ねぇ、姉上?」

「えぇ、ないわね」

「本当なんです! 火竜に乗ってやってきてるんです!」

「あの消えたと噂の火竜が?」


 あり得ないとでも言うような口調で、ケネスは首を傾げた。ちなみに、今も戦闘は続行中である。

 このまま出口から出ようかと思ったその時、他の衛兵たちもバタバタと走り込んできた。全員、父に負けず劣らず顔が真っ青だ。


「美青年が竜に乗ってます!」

「女の子じゃないのか?」

「両方います!」

「ちっ……仕方がないですね」


 突然、ケネスが距離を詰めてきた。ヴァネッサは剣を構える。しかし、ほんの一瞬苦しげに顔を歪めた後、彼は今までとは段違いに濃い炎を手に宿らせた。

 不安定だけれども強い炎が、ジュワリと音を立てて剣の先を溶かして――

 ふと、氷の花が舞ったような気がした。


「キャッ!」


 突然水蒸気が発生し、深い霧のように、辺りに白い靄がかかる。

 そんな中で、誰かがヴァネッサを抱き寄せた。


「姉上!」


 炎の風が霧をかき消す。

 ケネスの息を飲む声が、遠くから聞こえてきた。


「……どうして、貴方がここにいるんですか」


 そう尋ねる彼の声は、ヴァネッサに向けられてきたものよりも低く、冷たかった。


「彼女を助けに」

「!」


 ピンッと弾かれたように顔を上げると、アイスブルーの瞳と目があった。涼しげな目元が柔く細められる。

 安堵したような彼の表情が、ヴァネッサの心を落ち着かせた。


「よかった」

「ど、どうして殿下が、ツッ!」


 また水蒸気が上がった。

 先程より近くなった中心部へと目を向けてみると、ケネスの手とダリウスの手が互いを牽制しあっていた。

 ふと、ケネスの様子がおかしいことに気づく。下を向いて、無言でいるのだ。


「そうか、そうだったんですね」

「ヒッ」


 顔を上げた彼の瞳は、かつてないほど闇深かった。


「来るぞ」

「えっ」


 ダリウスがピリついた空気を纏った刹那、炎の拳が振り落とされた。氷の膜が一瞬にして揮発していく。

 炎と氷がぶつかり合う。攻防一体とは、まさにこのことだった。


「いつから、いつからですか」


 自暴自棄に近い乱れた動きと呼吸で、ケネスは止まることなく攻撃を当ててくる。しかし、ヴァネッサから奪った力がまだ馴染めていないのか、力の強弱にほんの少し差があった。ダリウスはその隙をうまくついていく。

 それでも、ケネスが怯むことはなかった。何が彼を駆り立てるのか。わからずにダリウスと共に走っていると、ふと、彼が自身を抱き上げた。


「この方が速いし、近くで守れる」

「ですが、!」


 ダリウスの背中越しに、ケネスがギッと目を細める姿が見えた。衛兵の持っていた槍を奪って――


「失礼しますわ!」

「なっ」


 ダリウスの腰から剣を引き抜き、投擲された槍を切り落とした。すぐさま足首を捻って方向転換し、彼の元へと戻る。


「私も戦います」

「だが、弟……わかった」


 二人でコクリと頷き合った。その時、チュインッと鋭いものが風を切る音が耳を掠めた。


「姉上から離れろ!」


 再度二人で振り向き、体の向きをケネスへと向けた。

 高速回転しながら飛んでくる盾をヴァネッサが振り落とし、入れ込まれようとした炎拳をダリウスが消滅させる。


「!」


 憎しみに歪んだケネスの目には、涙がうっすらと浮かんでいた。


「その男が、その男が」

「えっ?」

「うわああああ!」


 ケネスから遠かったその時、衛兵の一人が叫び声を上げた。頭上を見る間も無く、空間内に影が差し、激しい風がヴァネッサたちを床に叩きつけようとしてくる。

 ズシリ、と音を立てて、重力が元に戻った。


「……な」


 パラパラと岩石の粉が舞い落ちる中で、赤く光る鱗が揺れた。


「なんだ、生きていたか」


 イケメンな低い声と、琥珀色の鋭い眼光が、その場に固まっているだけの人間へと、落とされる。


「ひ、火竜だあああ!」

「逃げろおおおおお!」


 ほんの少しの間を置いて、衛兵たちが逃げ出した。対するヴァネッサはダリウスと共に火竜へと駆け寄る。


「火竜様! どうしてここへいらっしゃったのですか?」

「ヴァネッサ様がいなくなったことに、真っ先に気づかれたのです」

「ミア!」


 火竜の首元から、ミアが軽い動きで降り立った。


「貴様の力がなくなってな。二人に頼まれて、似た気配を追いかけてきたのだ」


 我に感謝してくれてもいいのだぞ、と火竜はもふもふテカテカとした胸を張った。


「それで、我にどうしてほしい。この場にいる人間を焼き尽くせばいいのか?」


 周りから悲鳴が上がった。とんでもないことを言っているのに、ミアもダリウスも眉一つ動かさない。


「それはやり過ぎですわ。私は平和にと――あっ! お父様が死んじゃう!」


 ヴァネッサは慌ててミアとダリウスの手を引いた。火竜は首を伸ばして、見てくれる。

 黒い炎に包まれている父の姿を見て、流石のミアとダリウスも眉間をピクリと動かした。そして、ミアがそっと顔を覗き込む。


「眼球運動が見られます。まだ生きているかと」


 彼女の言葉に胸を撫で下ろした。


「どうにかして、父上を助けることはできませんか?」

「構わんぞ。どうせならオプションもつけてやろう」

「オプション?」


 なんだろうか。不思議に思いながら棺の側から離れると、火竜はヴァネッサを鼻で笑った。


「そのような紛い物の道具、我には必要ない」


 火竜がすっと指を動かしたかと思うと、ヴァネッサの全身から火の粉があがった。二人が名前を呼ぶ声が聞こえる。

 血液がマグマになったかのように、熱いものがドクドクと全身を駆け巡っていく。熱くて、熱くてたまらないのに、痛みなんてものはなく。むしろ、高揚感に似たものがふつふつと湧き上がってくる。

 ふと、炎の外へと目を向けると、ケネスは地面に四つん這いになっていた。苦しそうに胸を押さえている。


「うっ!?」


 突然、頭がドクリと揺れた。弾かれたような痛みに目がチカチカと光る。


(あ、頭が痛い!)


 しかし、痛みはほんの一瞬で。ぐわんぐわんと意識が揺れ動く中、炎がふっと消えた。


「ヴァネッサ!」


 力の抜けたヴァネッサは、ダリウスの腕へとなだれ込んだ。

 深く息を吸い込み、吐き出す。

 二、三度繰り返した時には、体はすっかり楽になっていた。


(疲れの原因は力が減ったからだったのね)


 支えてくれたダリウスに礼を言い、体を起こした。


「どうだ? 元あった以上の力を与えてやったぞ。あんな物とは違い、副作用も拒否反応もないだろう」

「確かに体にフィットしている感じがしますわ」


 試しに炎を出し入れしてみる。

 その時、ダリウスとミアが武器を構えた。

 後ろを振り向くと、ケネスが近くまで来ていた。


「あいつはもう力は使えないぞ。すべて引き抜いたからな」

「えっ」


 火竜の言葉を受けて、二人は警戒姿勢を解いた。

 歴代の王族を凌駕するほどの力を手に入れたヴァネッサと、力を失いただの人間となってしまったケネス。

 もう、ゲームのシナリオからは、大きく離れてしまっている。


「姉上」

「触らないで」


 パシンと乾いた音が響く。

 手を叩かれてよろけたケネスを少し見つめて、ヴァネッサは目を逸らした。


「帰るのか?」

「はい。もう脅威はなくなりましたから」

「そうか」


 ダリウスが手を差し出した。自身の手を伸ばす。

 しかし、すんでのところで引っ込めた。

 胸の奥に残った疑惑を無視できなかっからだ。


「いつから、私のことが嫌いだったの。どうして、私を殺そうとしたの」

「……」


(返事はなし、ね)


 落胆のため息を吐き、ヴァネッサは今度こそダリウスの手を取った。


「――すか」

「えっ?」


 ため息と違わない小さな声に、振り向く。

 ケネスは拳を震わせ、口を開いた。


「だって、姉上は俺のことを愛してくれないじゃないですか!!」

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