36話 タダでは起きません
炎の力を宿す証、王家の血を引く証である金髪と赤い瞳。多かれ少なかれ、半分同じ血が流れているケネスとヴァネッサは似ていた。目尻をピークにしてたっぷりのまつ毛が縁取る、やや釣り上がった大きな目と、小さく形のいい口、同じく小さくて通った鼻。線は細いが、華やかな顔つきをしていると言えよう。今でこそ青年らしい骨格へと成長してしまったが、もしかすると、幼少期で比較すれば、彼の兄よりも自身の方が似ていたかもしれない。だからだろうか。実際、彼と血が繋がっているとよく間違えられたものだ。
幼い彼とは仲がよかったことも、間違えられた理由の一つかもしれない。毎日のように自分の後ろをついてくる彼はかわいかったし、自身も弟としてかわいがっていた節がある。
一緒にお菓子を食べたり、庭園を散歩したり、絵本を読み聞かせたり、友達のようにも接していた気がする。
まぁ、着せ替え人形にしたり、驚かせた拍子にうっかり池へ落としてしまったり、夜にこっそり部屋へ忍び込んで、オバケの真似をして怖がらせたりもしたが。(ちなみに、その後ケネスは一ヶ月ほど明かりなしでは眠れなくなった。この時は流石に反省をしたものである)。
とはいえ、これらの行動に悪意はなく、むしろ彼を守ることさえあった。どこかから入り込んでケネスを襲っていた野良犬を撃退したり、町で迷子になった彼を見つけ出したり、貴族の人においたをされかけていたところを助けたりした。
(そう。決して仲は悪くなかったはず)
いったい、いつから変わってしまったのだろうか。
「はっ!」
長い走馬灯のような記憶を辿っていた最中、何かが意識を引っ張り戻した。
(あら? かまされていたタオルがないわ)
ということは、自身に叫ばれても構わない環境にいるということだろう。
体は相変わらず寒く重いが、地面から熱が伝わってくる。
(つまり、ここはブレイズの王宮じゃない)
薬の調合は専門家に依頼したのだろう、朦朧としていた意識と感覚が、一定の速度で元へ戻っていっている。
鼻腔に入り込んだのは、卵が腐ったような臭い。目の前に広がるのは――
「岩石?」
ヴァネッサは悪い予感に背筋を強張らせながらも、上体を起こした。
赤黒く光る岩石に包まれた謎の空間。上を見上げれば、いつの間に朝になったのだろうか、対照的な青い空が見えていた。
「お目覚めになりましたか、姉上」
「ケネス……」
コツコツと足音を鳴らし、影からケネスが現れた。
怪しげに目元を細めた彼の姿に、全身の毛が粟立ちだす。
「そんなに私がいなくて寂しかったのかしら?」
(あーもう! それだと挑発してるみたいじゃない!)
焦りが変な形で出てしまったようだ。記憶を取り戻す前のような態度を取るなんて、まだ悪役としての感覚が抜けきっていないらしい。
「姉上には、そう見えるのですか?」
「い、いえ、あの……!」
顔を上げて見えた彼の表情は意外なもので。
眉根を寄せ、こちらを見ようともせず俯くその姿は、怒っているようにも、落ち込んでいるようにも見えた。
(どっち!? どっちなの!?)
出方を伺うため、手を空中に彷徨わせたまま押し黙る。
「……そんなわけないか」
「!」
そう、深く息と共に吐き出したケネスは、冷たい瞳でヴァネッサを見据えた。
突然発せられた殺気に、体が凍りついていく。
「私を傷つけるつもりなのね」
震えを堪えて威嚇するような声を出せば、こちらへ歩んでいたケネスの足が止まった。
「ハリー様との婚約破棄が終わったら、没落寸前の貴族の家へ嫁がせようと思っていたのよね」
これは、ほんの少しの、姉としての心残りだった。
「いつから気付いていたんですか」
再び影が差した彼の表情は見えない。
彼の返答もまた、自身の心へ影を落とした。
「最近よ」
「だから、僕の前から姿を消したんですか」
「そうよ。私はただ平和に過ごしたいのよ」
「なら、どうして、すぐに逃げなかったんですか」
「王女の地位も、婚約者の位置も、妄言じみた予想だけで消せるものじゃないわ。それに」
暗い状況の中でも、いつか変わるのではないかという、淡い希望を抱いてしまっていたから。
そう口にしようとした喉に、熱い空気が流れ込んできた。
何者かに心臓を鷲掴みにされたような衝撃がヴァネッサを襲う。
「おとう……さま?」
視界の端へと目を向けると、そこには、炭のように黒い棺の上に、見覚えのある金髪の男が横たわっていた。その体を赤黒い炎が茨のように覆っている。
「お父様!」
呪いが解けたように、ヴァネッサは彼の元へ駆け寄った。
しかし、強く腕を引かれ、硬い地べたへと組み敷かれてしまう。
「いけませんよ、姉上。僕から逃げるなんて」
ギリ、と掴まれた手首が音をあげた。
痛みに耐えながらも彼を睨む。
「離しなさい。でないと……えっ?」
彼を退かせるために、ヴァネッサは火を出そうとした。しかし、出なかった。それどころか――
ふと、ケネスがクスリと笑みをこぼした。
見上げた彼の顔は、愉悦で満ちていて。
「気付いていなかったんですね」
「私に何をしたの」
「力を移し替える儀式です。少しずつ移していって、姉上にはもう、炎の力は微塵も残されていませんよ」
ゾワリとした悪寒が体をほとばしった。
頭が鈍器で殴られたように揺れる。
そうだ。ケネスルートには、もう一つ他のルートと決定的な違いがある。弱かった彼の炎の力がある日、兄をも超えるものになるのだ。
彼がカレンに終始隠していたその方法を、ヴァネッサとなった今、知ることになるとは。
「なら、父上は……!」
棺の上へと顔を向ける。
その姿は、かつてゲームで書かれていたヴァネッサの結婚相手が死んだ際、文章として出てきた特徴を網羅していた。
落ち窪んだ目に、シワシワに干からびた、くすんだ色の肌、割れているのに血が滲む様子のない唇、ところどころ縮れた髪、紫斑とは異なる、落ちることのない黒い斑点。
ゲームでは、国王は存命だった。それはつまり、生贄には別の人間が選ばれたということ。
「彼を……生贄に使ったのね」
「そうです」
ケネスは国王のことを思い浮かべたのだろうが、違う。
このゲームの深部に触れ、その闇深さに体が震えだす。
(そんな、いくらひどい結婚相手だったからって……あ)
ふと、ある疑問が頭に浮かんだ。ゲームのヴァネッサが気を狂わせた理由を、自身は勝手に「四十も離れた男と結婚させられたこと」と、「力をなくしたこと」だと思っていた。
本当にそうなのだろうか。
ゲームで語られた結婚相手の情報は、年老いていること、没落寸前であること、数年後には死んでしまうことのみ。人柄には触れられていなかった。ましてや、ヴァネッサとの関係なんて、何一つ描かれていなかった。
面食いのヴァネッサは、彼のことを恋愛的な意味で好きになることはなかっただろう。
(だけど、彼が人間的に優れた人柄をしていたとしたら?)
もし、孤独と恨みに打ちひしがれるヴァネッサに、優しく手を差し伸べていたら。
ひどい結婚相手なんかではなく、祖父と孫のような、よいパートナーだったとしたら。
単なる可能性だとわかっていても、胸が締め付けられた。
しかし、どうして彼を選んだのか、儀式をする必要があったのか、ゲームの中の答えを知ることはできない。
歯痒さに拳を握りしめたその時、ケネスの虚ろな瞳とかち合った。
「兄上にしか興味のない父なんて、いなくても構わない。姉上もそう思いませんか?」
「だとしても、こんなこと許されないわ」
「構いません」
ケネスは次いで、何かを思い出したかのような顔を浮かべた。
「姉上は昔僕に言ってくださいましたよね、『あなたを守ってあげる』と」
彼の手が首へと伸びる。
「最後にこうして言葉を交わせてよかったです」
ヴァネッサの体はもう、震えてなどいなかった。
「おやすみなさい、姉上」
闇の乙女ゲームの悪役に生まれ、一度殺されかけたのに、迷いがあった。
今になってやっと、彼とぶつかり合う覚悟を、決めた。
「ケネス」
ヴァネッサは精一杯の優しい声で、愛おしむような瞳で微笑んだ。
微かな動揺を見せたケネスの頬へそっと手を伸ばし――
「ふんっ!」
「うっ!」
容赦せず頭突きを喰らわせた。
できた隙を逃さず、続けて体を押しのける。
「……はっ」
起き上がり、一瞬にして遠ざかった彼の顔は、嘲笑じみた笑みを浮かべていた。
今はヴァネッサよりも、剣の切先の方が彼に近い。
寂しくなった腰元を眺めたあと、ケネスは再び距離を詰めてきた。
「無駄な抵抗はやめたらどうですか? ただの人間と力持ちの人間、両者の力の差は考えなくともわかりますよね」
「貴方こそ、私の剣の腕を忘れたのかしら?」
ほんの少し、ケネスが後ずさった。
「後悔しますよ」
「どうかしら?」
二人の鋭い視線が交わる。
刹那、開戦を告げる水蒸気音が響き渡った。




