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34話 無理をし過ぎたのかもしれません

 深い水底から浮かび上がるように、ヴァネッサはゆっくりと目を開けた。何度も瞬きをしてみるが、一向に意識が覚醒する気配はない。ふわふわする、というよりもどんよりとした感じだ。

 もぞもぞとブランケットの中から体を起こし、伸びをした。伸ばされた手をボスンッとベッドへ落とす。


「う〜ん。まだ体が重いわ」


 前髪をぐしゃりと上げ、小さく唸る。

 すると、やや湿ったゴツゴツとしたものが手の甲に触れた。


「きゃっ!」


 慌てて自身の手へと視線を落としてみる。


「スピー」


 ヴァネッサの手に、火竜が顔をのせていた。大きな大きな鼻提灯を膨らませて。


(ああ、そういえば、連れて帰ってきたんだったわね)


 安堵のため息をつくと、鼻提灯がパチンと弾けた。火竜が小さく「フガッ」と声を上げる。そして、火竜は第二の鼻提灯を生み出し始めた。

 このまま頭を置かれていては準備ができない。かわいそうではあるが、手を抜かせてもらおう。もちろんできる限り小さな動作にとどめるつもりだ。


「ごめんなさい……ふぅ」


 小さく呟きながら手を引いた。よほど熟睡しているようで、火竜は顔一つ歪めずに寝息を立てている。

 ベッドから足を出し、顔を洗っているとミアが扉を叩いてやってきた。


「おはようございます」

「えぇ、おはよう」


 振り向いて柔らかいタオルを受け取る。顔を出すとミアが手に抱えている物が目に入った。大きなカゴの中にふかふかそうなクッションが敷かれている。


「それは何かしら?」

「火竜様のベッドです。昨夜すぐに壊されましたから、こちらも長くは保たないかもしれませんが、メイ様に注文したものが完成するまでの気休めになればと思いまして」

「あぁ、だから私のベッドの中にいたのね」


 ヴァネッサはチラリとベッドへと視線を移した。あれほど恐ろしく威厳に満ちていたはずなのに、背中を丸めて眠る無防備さにクスリと笑みが溢れた。


「さ、時間もないことだし着替えましょうか」


 クローゼットの扉を開け、ビリジオンのワンピースを取り出したミアを見て、ヴァネッサはコクリと頷いた。



★★★



 ふわりと風にたなびくヒマワリ色のリボン、動くたびに揺れるスカート、コツコツとレンガを踏み音を鳴らすレース付きのパンプス。

 刺繍の手袋の裾につけられた、小ぶりのエメラルドが控えめに光る。


「今日も晴れたようでなによりだわ」

「そうですね。日傘を用意して正解でした」

「メロンのような色でとっても素敵だわ」

「もしかして、お腹が空いていらっしゃいます?」

「少しね」


 気恥ずかしさを感じて頬を掻いた。

 昼食を済ませた後、早々にヴァネッサはミアと共に町へ繰り出していた。

 ちなみに、火竜は部屋で大人しくしているよう言ってある。キツネ感覚で首に巻けば確実に辺りを騒然とさせてしまうからだ。ブレイズ王国は温暖なので、巻いたことはないが。


「何か食べてから向かわれますか?」

「いいえ、大丈夫よ。着いたらこれがあるもの」

「わかりました」


 ヴァネッサは腕にかけていたバスケットを掲げ、ニンマリと微笑んだ。ミアが小さな息を吐きながらも頷く。

 目的地まではあと少し。早歩きで行ったとして五分もかからないだろう。

 ミアへ火竜のベッドがどのようなものになるのかを聞いていると、あっという間に湖のほとりへ到着した。

 湖ではなく、そばに建つ家の扉をノックする。扉を開けたのはライルで、冷めた目つきでこちらを見下ろしていた。


「来たんだ?」

「ダメでした?」

「ダメだったら居留守を繕うから」


 はぁ、とため息をつき、ライルは部屋の中へと戻ってしまった。入らないのか、とこちらをチラリと見てくる。

 ヴァネッサはミアと目を合わせ、中に入った。


「わ! すごい……!」


 大きなテーブルの上に何十ものお皿がのっていた。形も用途も柄も色も、様々で目が落ち着かない。


「割らないようにね」

「もちろんですわ! あっ!」


 白い紙の塊が見え、ヴァネッサはうっかりスカートの裾でお皿を叩かないよう気をつけながら近寄った。


「これはなに? デザイン画?」

「まぁ、そう」

「見てもいいでしょうか?」

「いいけど」


 ライルの言葉を聞き、ヴァネッサはすぐさま紙を開いた。一枚一枚丁寧に見つめ、捲っていく。

 彼には休憩所で使うお皿や持ち帰り用の箱のデザインをお願いしに来ていた。まさかここまで用意してくれるとは思っていなかったため、いい意味で少し驚いてしまう。


「どれも素敵で選び難いですわ……」


 そう呟くと、ミアもどれどれと寄ってきた。見終わったものを渡す。


「確かに、どれもデザイン性は高いですね」

「そう、そこ。量産向きじゃない」

「あぁ……」


 ヴァネッサは頭を捻った。高級レストランや、それこそ王城でなら素晴らしく使いようがあるだろうが、休憩所には向かないだろう。割れてしまうことを考えなければならない。


「あんたはどんなのが欲しいの?」

「えっ? そうね……公衆浴場の隣に建てるのだから、浴場と合うデザインがいいですわ。扱う料理に合わせてタイプは……本当はその都度増やしていきたいのですけれど、難しいのでしょう?」


 確認のために尋ねると、ライルは腕に沿わせていた指を微かに縮めた。


「近いうちにこの国を出る予定だからね」

「なら、やっぱりどんぶりもデザインしてほしいわね……」

「どんぶり?」


 ヴァネッサの呟きをライルは拾ったようだ。


「はい。えぇと、これくらいの高さがあるお皿で」


 両手を使って形を表してみる。

 すると、ライルがスケッチブックと鉛筆を差し出した。


「これに書いてみて」

「わかりましたわ」


 受け取って早速描いてみる。

 目の前にはゲームで見たどんぶり……に見えなくもないものができあがった。

 ライルは眉間に皺を寄せ、じっとスケッチブックを見つめている。


「お、大きなスープ皿だと思っていただければ!」

「……わかった。やってみる」


 彼の言葉にヴァネッサはホッと胸を撫で下ろした。

 どんぶりが再現できたなら、是非とも漆器も再現して頂きたいものだ。盃ととっくりもほしい。なんせ、和風版の温泉も再現する予定なのだから。

 ヴァネッサはライルと詳細を話すことにした。


 話が終わる頃には夕方になる前になっていた。そろそろ帰らねば心配をかけさせてしまうだろう。


「では、よろしくお願いいたしますわ」

「うん」

「あっ!」

「なに?」


 扉へと手をかけたその時、あることを思い出した。

 うるさいと指で耳を塞ぐ素振りをしたライルへと、バスケットを差し出した(突き出した)。


「本当はみんなで食べようと思っていたのですけれど、忘れていましたわ。よければ食べてくださいな」

「またアップルパイ?」

「いいえ」


 誇らしげに胸を張るヴァネッサを、ライルは怪訝な表情で見た。


「なんと、タルトタタンをつくれたのです!」

「ヴァネッサ様は今までアップルパイ以外はつくれませんでした」


 それが何だという表情をしていたライルは、ミアの補足を受けて頷いた。その顔はどこか察した風で。


「タルトタタンね」


 そう言って、彼はバスケットのフタを開けた。すると、彼の目が見開かれた。


「えっ」

「何か変なところで――えっ」


 中身を除いたヴァネッサの体がピシリと固まった。

 そこには、食べかすをそこかしこにつけた状態で丸まり、眠っている火竜だけが残されていた。


「どっ」

「あっ」

「フガッ」


(どうしてここにいるのよ!?)


 ライルの手から奪おうと、バスケットの淵へ手をかけた。大きく揺れたことで火竜が目を覚ます。


(み、見られてしまったわよね)


 だらだらと冷や汗が溢れて出そうになる気持ちを抑え、チラリとライルを見やった。


(あれ?)


 彼の表情は意外にも、火竜を怖がっていないようで。むしろキラキラとした瞳で見つめている。


「火竜なんて初めて見た……すごい、鱗が初めてみる形状だ……光沢も色も幻想的で綺麗……」

「ふふん。見る目があるな人間」

「へぇ。喋れるんだ……動くと首のヒダがまた違った感じになるんだね……うん、面白い」


 ライルはふわりとした笑顔を浮かべた。次いで体を上げた。


「ねぇ、絵を描いてもいい?」

「それは構いませんけれど、怖くないのですか? 一応は火竜ですから」

「大丈夫だから逃げ出さなかったんでしょ?」

「冷静ですわね」

「そう? で、描かせてくれるよね?」

「うーん。心配する要素はありますが」


 ヴァネッサは大きく口を開けて「くぁあ」と欠伸をする火竜を見下ろした。ふと、目が合う。


「無礼を働かないのなら、我は構わんぞ」

「だ、そうですわ」

「よかった。じゃあ、また近いうちに……大丈夫?」

「えっ?」


 突然、ライルがぐっと距離を詰めてきた。


「疲れているように見えるけど」

「あぁ、少し寝不足なだけですわ」

「服がいつもより厚着だよね」

「少し寒くって」


 あとはちょっと、ほんのちょっと頭が朦朧とするだけだ。それも寝不足のせいだろう。


「帰ったら早く寝ますわ」

「そうした方がいいんじゃない」

「うふふ、ライル様に心配していただけるなんて、思っても――」


 突如、目の前の景色が反転した。

 ぼんやりと白く染まっていく視界、動かない体。

 何が起こったのか理解できないまま、目の前が黒く塗りつぶされた。



★★★



「う、うう」


 寒い。寒くてたまらない。体はひどく重いのに、震えが止まらない。そのくせ頭は煮えたぎるように熱い。


(ここは……?)


 目を開けると、薄暗い部屋の中にいた。ところどころ明るいのは、外の光が入り込んでいるのだろうか。


「起きたか」

「その声は……火竜様?」

「ああ」


 自身の体の横で何かが動いたような気がした。

 その時、部屋の中にノック音が響いた。返事もできずにいくと、遠くからガチャリと扉が開く音が聞こえてきた。


「失礼いたします」

「失礼する」


 少しハッキリとしてきた目で確認できたのは、神妙な面持ちのミアとダリウスだった。

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