32話 火竜がお菓子にかかりました
目の前で何かを咀嚼していた火竜の喉が、小さくコクンと上下した。
横に傾いていた火竜の顔がこちらへと向けられる。
「これは菓子か?」
「菓子!?」
「違うのか。甘くて柔らかい食感がしたのだが」
「甘くて、柔らかい食感……」
「他にはないのか」
火竜はヴァネッサへと顔を伸ばした。次いでクンクンと袋へと鼻を向ける。
ヴァネッサは慌てて袋の口を広げ、中を物色した。
「えぇと、甘いもの、甘いもの」
「ないのだな」
火竜は袋の端に爪を引っ掛け、その大きな瞳で小さな袋の中を見た。小さくため息を吐き、体を起こして息を――
ほんの一瞬、袋の中から甘い豆の匂いが香った。
「温泉饅頭!」
火竜の動きがピタリと止まった。彼にも届くよう、精一杯声を張り上げる。
「温泉饅頭、火竜様が食べたのはきっと、温泉饅頭ですわ!」
「オンセン……マ……なんだと?」
火竜が再び首を傾け、ヴァネッサへと顔を寄せた。身長差がかなりあるため、彼からしたら自身の声は虫の羽音のように聞こえるのだろう。
ヴァネッサは火竜の耳元へと駆け寄り、もう一度お菓子の名前を告げた。
「温泉饅頭。なんだそれは。我が眠る前にはなかったように思う」
「私が最近つくった、あ、料理長と共に開発したものですわ。温泉の湯気を利用して蒸して作っていますの。中に入っているのは餡子といって、本当は小豆で作るのですが、なかったのでキドニービーンズで代用しましたの! あっ! でもそうですわね、あんパンだった可能性も――」
「もうよい。続きは家で聞こう」
「火竜様にもお家がありますのね」
それとも、火山のことを家だとでも言うのだろうか。首を傾げて尋ねると、火竜はフンッと小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「何を言っておる。貴様の家に決まっておろう」
「えっ?!?!」
驚きの声を上げるヴァネッサの前で、火竜はブルリと身震いをした。
バキバキ、パキパキと、何かが折れるような音と共に、鱗が波打つ。小さく唸り声を上げた火竜の視線が、ヴァネッサの頭の上、肩、腰までみるみるうちに下がっていく。
目の前には、キツネほどの大きさにまで小さくなった火竜が、自身を見上げていた。
やや鋭くも、キュルンとした蜂蜜のような瞳、ヴァネッサの小指ほどしかない黒い爪、やや丸いボディがキラめく。
(か、かわいい……!)
そう悶えそうになる気持ちを抑えていると、火竜が口を開いた。
「その菓子を貢ぐというのなら、人々に危害を加えるのはやめてやろう」
やや渋いイケメンボイスがチラつきはするものの、声までかわいくなっていた。
次いで火竜はニンマリと笑い、ヴァネッサの頭上へと舞い上がった。ズシリと肩に重みがのしかかる。
「わかったら連れて行け。腹が空いてきた」
「お菓子を渡すのは構わないのですけれど、私は今王城に住んでいまして」
「地位を返上したと言っていなかったか?」
「私を助けてくださった人物が、他国の王子だったのです」
「数奇なものだな。
家がどこだろうと我は気にせぬ。早く馬を走らせろ」
そう言って、火竜は森の奥深くへと視線を移した。
ヴァネッサも後を追うと、ここまで連れてきてくれた馬が心配そうにこちらを見ていた。目が合い、駆け寄ってくる。
(あら? なんだか鼻息が荒いような――)
「グッ」
「あ」
馬が火竜に頭突きをした。
地面へと落ちていく火竜、伸ばされたヴァネッサの手、容赦なく火竜を踏み潰そうとする馬の足。
ピクリと眉を動かして、火竜が口を開いた。馬が怯む様子はない。
「ストップ!」
ヴァネッサは二匹の前へ飛び出した。背中がじんわりと温まる。
「連れて行きますから、約束どおり平和に暮らしてくださいな」
「いいだろう」
火竜の言葉に安堵のため息をこぼし、ヴァネッサは馬を撫でた。もしかして、逃げ惑う自身を見て、火竜のことを敵だと判断したのだろうか。だから守るために攻撃をしたのだろうか。
「心配かけさせたわね。お城までまたよろしくね」
そう声をかけると、馬は僅かに頷いた。ヴァネッサも頷き、火竜へと体を向ける。手を差し出して体を掴み、再び肩へと回した。
「では、行きましょうか」
そういえば、このまま王城で過ごすのならば、専用の馬が欲しいものだ。できればこの子がいい。名前を決めてもいいか、ダリウスに聞く必要がありそうだ。
とはいえ、まずは火竜を置いてもいいのか聞く必要があるのだが……。
(まぁ、どうにかなるでしょう)
許可が降りなかった場合、アヴァランシェまで炎に包まれることになるだろうから。
ヴァネッサは風を切りながら、視界の端でユラユラと揺れる尻尾をチラと見た。
★★★
「少し寒くなったな。氷の国か」
「ちょっ」
フードの中から火竜が頭を出した。町の人が驚かないように、森を抜ける前に被ったのだ。もう一度頭を押し込み、馬屋から王城へと向かう。
火竜の姿が目に入れば、混乱を招く。そのため、誰の目にも留まらずに執務室を訪れることにしたのだ。一人で部屋に置いてもいいのだが、それだといつかメイドに見つかってしまうだろう。
辺りを確認しながら、ヴァネッサはそっと扉を開けた。中には誰もいなかった。ため息を吐き、小さな声で話を続ける。
「私がいいと言うまで出てこないでくださいと、何度も言ったではないですか」
「狭いところは落ち着かん。温かくはあったがな」
「アヴァランシェはブレイズより冷えますから」
「ヴァネッサ様?」
「はい!」
背後から名前を呼ぼれ、ヴァネッサは咄嗟に火竜をより奥へと押し込んだ。潰れたカエルのような声が聞こえてきたが、平静を装って後ろを振り向く。
そこには、桶を抱えたミアが立っていた。ふわりと頬が赤らんだかと思うと、すぐさま白い肌へと戻る。
「無事にお帰りになられたのですね」
「ええ。貴女のお陰でね」
どこか身を案じるようなミアの声に、ヴァネッサは微笑んだ。
「ミアはお仕事中?」
「はい。お疲れになるでしょうから、温泉の準備をし――」
「温泉と言ったか?」
「!!!!」
突如湧いたキュートボイスに、ミアの眉間がピクリと動いた。ヴァネッサは咄嗟にフードの中へ手を入れ、これ以上喋らないよう、火竜の口を掴んだ。そして、ミアへと苦笑いを浮かべる。
ミアの刺さるような視線に耐えるも、近づかれ、思わず後ずさってしまう。
「何かを隠していらっしゃいますね?」
「何もないのよ」
「出してください」
「何も出ないわ」
首を振り、後ろへ後退していく。すると、背中が壁についた。ひんやりとした硬い感触が、手のひらから伝わってくる。
ミアには相談してもいいと思う。だが、どうにも、イタズラがバレそうになり、焦り、恐怖する子供のような心地がしてしまうのだ。
ふと、ミアが何かを思い出したかのように顔を上げた。
「温泉といえば、餡子アイスができたそうですよ」
「菓子か!」
「あーー!」
ガバリと音を立てて、フードが捲れた。ミアの目がほんの少し見開かれ、スンッと冷ややかな表情へと変わる。
「出てきましたね」
パタパタと揺れ動く尻尾の風を感じながら、ヴァネッサは無言で頷いた。




