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29話 死亡フラグが目を覚ましたようです

 頬に長い影を落とす漆黒の睫毛の隙間から、硝子玉のような瞳が見下ろす。宝石のようにキラキラとしていて、月夜に揺らめく湖畔のような色彩を放っていて、周りの音なんか聞こえないくらいに引き込まれる、そんな瞳だった。


『君のことを、いじめてみたい』


「わーーーーッ!!!!」


 ヴァネッサはガバリと飛び起きた。ゴンゴンと頭を膝にぶつける。そしてグリグリと押し付け、脱力した。


「もうほんと、ほんと、なんで、あんなことを真顔で言ってのけるのよ!!」


 フンッともう一度息を吐きながら、頭をぶつける。

 恋だの恋じゃないだの、愛だの愛じゃないだの、続けられるのかわからないだの、自分でもわからないだの。恋愛初心者かと突っ込みたくなる。


「あぁ、彼は恋愛初心者だったわね」


 ヴァネッサはため息を吐き、膝を抱えた。

 他にも何か言っていたような気がするが、のぼせ上がった頭は覚えていないようで。叫び、逃げ出したくなるような感覚しか思い出せない。


「取り敢えずは、ここにいてもいいのよね?」

「はい、そうです」

「キャア?!」


 突然、扉の奥からミアの声が聞こえ、ヴァネッサはベッドの上で大きく跳ねた。ノックをし、ミアが入ってくる。


「失礼いたします。お体に異変はありませんか?」

「少し体が重いけれど、大丈夫よ」

「かしこまりました。今日のディナーは滋養効果のあるものを出すよう、料理長に相談しておきます」

「そこまでしなくてもいいのに……ありがとう」


 そういえば、今は何時だろうか。ヴァネッサは視線を動かした。時計の短針が指していたのは十一、長針が指していたのは九だった。


「ごめんなさい。私、なかなか起きなかったみたいね」

「いえ、私どもは起こしていませんよ。疲れているだろうからと、殿下がそっとしておくよう指示されましたから」

「そ、そう」


 彼の優しさに、どこかむず痒いものを感じてしまう。


「殿下のことがお嫌いですか?」

「え?! そんなことは――」


 朝支度(時間的には昼支度)の準備をしているミアへと思わず顔を向けたその時、誰かが扉をノックした。肩がびくりと跳ねる。


「どなたでしょうか」


 ミアが尋ねるも返事はない。二人して不審気に頭を傾ける。

 程なくして、カサカサと小さな音が聞こえて来た。


「ん?」


 目を凝らしてみると、扉の下から手紙のようなものが出ていた。ミアも気付いたようで、取りに歩いて行った。そして、扉の前で止まり、またすぐに戻ってくる。


「ダリウス殿下からです」

「同じお城に住んでいるのに?」

「はい」


 本当に何を考えているのだろう。

 ペーパーナイフで封を切り、中の手紙を取り出した。

 そこには、昨夜のこと(酷いことを言ったこと)への詫びと、もし昨夜のことで嫌いになったなら、顔を合わせなくてもいいとのことが書かれていた。


(別に、酷いなんて思わなかったわ)


 ヴァネッサは呆れ笑を浮かべ、ため息をついた。次いでミアへと向き合った。


「嫌いでないから、困るのです」


 その時、バサバサと書類が落ちる音が扉の奥から聞こえて来た。


「まさか、殿下は聞き耳をたてていらしたのかしら?」

「いえ、恐らくスチュワートさんかと。たまたま聞こえたのでしょう」

「スチュワートさんが、どうして今の発言に動揺するの?」

「……突然の供給にやられたのでしょう」


(急にオタクみたいなことを言い出した……多分、別の意味でしょうけど)


「ところで、嫌いではないということは、好きでもないということですか?」

「随分とストレートに聞いてくるわね?!」


 突っ込むもミアは相変わらず無表情で首を傾げてくる。

 ただ気になったから聞いてみただけなのだろう。悪気も冷やかす気もないことはわかっているため、正直に話してみるとしよう。


「好ましくは思っているけれど、それが恋愛感情だとは言い難いわ。それに、私は平民ですもの。彼と結婚なんてできやしないし、考えたこともなかったわ」


 そう言うと、ミアはふむと頷いた。


「アヴァランシェは鎖国的ですから、ダリウス殿下が誰とご結婚なさっても気にする国は少ないかと。また、何か非難されたとして、大した問題ではありません。お二人の気持ちが問題かと」

「私たちの気持ち、ねぇ……ミアたちはそれでもいいの? 私がその、もし、もしよ? もし殿下とけっこ――」

「はい、大丈夫です」

「即答?!」


 ミアは真顔のまま頷いた。


「今まで散々、殿下は女性に見向きもしませんでしたから。むしろ女性不審に陥りかけていました」

「な、何があったの?」

「殿下に理性的にも本能的にも惹かれる女性は多いのですが、その結果そこかしこで陰湿な戦いが繰り広げられていました。隠しきれないほどに」

「あぁ……うん、あるわよね。美形王族あるあるよね」


 ケネスの周りでも似たようなことが起こっていた気がする。まぁ、彼の場合はカレンという想い人がいたため、その矛先は九割彼女に注がれていたが。

 とはいえ、ヴァネッサも何度かは巻き込み事故を食らったことがある。ケネスについてしつこく質問されたり、シスコン疑惑が浮上して盗聴器(高額違法魔道具)を仕掛けられたりした。ぬいぐるみを抱きしめた途端に手首へ部品が刺さりかけた際は、恐怖を感じたものだ。


「また、使用人に八つ当たりしたり、過度に上から目線でものを言われる方も多くいらっしゃったんです」


 それはヴァネッサにも心当たりがある。非常に。


「た、大変だったわね」


 ミアの後半の表現に微かな怒りを感じつつ、ヴァネッサは一つ言葉をこぼしたあと、ただ頷いた。


「ですので、ヴァネッサ様がお越しになって、安心したのです。心温かに接してくださいますから」


(あぁ! 過去の自分がしたことが罪悪感を刺激してくるわ!!)


「そんな……私なんて、ほんと、ぜんぜんよ」


 胸の苦しみに内心もがきながら言葉を紡ぐ。ふと、ある疑問が頭をよぎった。


「ミアは殿下のことをどう思っているの? 殿下は貴女に対して不快な感情は抱いていないでしょう?」


 顔を洗う桶をヴァネッサへと手渡すミアの手が止まった。


「それこそ、ヴァネッサ様のおっしゃった『使用人に対する愛』と『君主に対する愛』だと思います」

「そうなのね。なるほど……えっ、聞いていたの?」


 ミアはニコリと微笑み、頷いた。次いでタオルを渡してくる。


「まさか……他の使用人たちも?」

「近くにいた者たちは恐らく」


 ヴァネッサは恥ずかしさを流すように、そっと顔を洗った。心なしかいつもより冷たく感じる。


(次からはちゃんと周りを見てから発言しましょう)


 顔を洗い終わり、ヴァネッサは服を着替えた。ミアは片付けを終えて部屋の外へ出ていく。


「では、昼食の用意ができ次第お呼びいたします」

「えぇ、ありがとう」


 ミアが扉を閉める手を止めた。


「念のため言っておきますが、殿下は私の好みではありません」

「じゃあ、どんな人がタイプなの?」


 ミアはほんの少し悩む素振りを見せた。


「筋骨隆々とした、日熊を素手で倒せて、頼りがいのあるロマンスグレーでしょうか」


 ヴァネッサが手に取っていた「温泉フード企画帳」が、床の上に大きな音を立てて落ちたのだった。



★★★



 昼食タイムが始まってはや五分、ヴァネッサはソワソワと落ち着かない心地がしていた。

 無言でダリウスが嬉しそうに食事をとっているからだ。

 まず、食堂に顔を出したら、これでもかと言うくらい驚かれた。椅子がガタリと音を鳴らすほど彼は取り乱していた。

 そして「嫌いにはなっていないし、気にせず接してくれて構わない」との旨を伝えると、やはり真顔ではあるがホワホワとした空気を一瞬にして纏い出したのだ。空気は見えるはずがないのだが、どうにもメルヘンなお花が飛んでいるような気がしてならない。


(なんなら、尻尾も見えるような……)


 チラリとダリウスを見てみる。


「どうした? お代わりか?」


 まだお皿にのっているのにお代わりは早すぎるだろう。


「いえ、お代わりはまた後ほど頂きますわ」

「そうか。人生まだまだ先は長いしな」


 そこまでお代わりを先延ばしにするつもりはない。遅くとも五分後にはお代わりしているはずだ。


(ここまで抜けていたかしら?)


 思い出そうとしたその時、使用人の一人が食堂へ入って来た。ダリウスへと何かを耳打ちする。

 すると、ダリウスからホワホワとしたメルヘンオーラが消えた。


「何か問題が起こりましたか?」


 使用人が去ったため、尋ねてみる。


「……君とはもう関係のないことかもしれないが、伝えておこう」

「?」

「火竜が目を覚ましたらしい。まだ火山の中に――ヴァネッサ、どうした?」


 カトラリーが床に落ち、耳をつんざくような音が食堂に響いた。


「顔が真っ青ですよ」

「まさか、弟君のことを思い出したのか?」

「い、いえ、違います。そうではなくて……すみません! 様子を見てまいります!」

「ヴァネッサ!」


 ヴァネッサは立ち上がり、食堂を飛び出した。


(どうして、どうして今思い出すのよ!)


 スカートの裾を抱き上げ、階段を駆け降り、馬屋へと向かう。

 ケネスから逃げ、結婚を免れ、精神を守る。それだけで、死亡フラグからは逃げられたと思っていたのに。


(火竜の覚醒も死亡フラグの一つじゃないの!)


 それも、自身の心にトラウマを残したイベントを引き起こして。

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