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3話 さっさと婚約破棄しましょう

 舞踏会が始まってすぐのこと、ヴァネッサは貴族の令嬢たちに囲まれながら、こっそり辺りを見渡していた。

 その目的はただ一つ。例の男性を見つけることだ。

 しかし、今のところ彼の姿はない。口紅の跡一つないシャンパングラスのふちを、そっとなぞる。


「殿下、いかがされました?」

「もしかして、何かお気に障ることでも御座いましたか?」

「おバカ! ロード様がいらっしゃらなかったのよ。気にされるに決まっているじゃない」

「あっ! も、申し訳ございません!」


 令嬢たちは不安げに、どこかビクビクとした様子をしている。

 それもそのはず。ヴァネッサは少しでも機嫌が悪くなると、周囲の人や物に当たり散らしていたのだから。本当に、我ながら王女に相応しくない人物だと思う。


 彼女たちを安心させるべく、ヴァネッサは穏やかに微笑んだ。


「で、殿下?」

「気にしていないから大丈夫よ。それより、ある人物を探しているのだけれど、誰か知らない?」

「どのような方ですか?」

「黒髪で青い瞳をした、彫刻のような――あら」


 来客を知らせるファンファーレが鳴り響き、ヴァネッサはより笑みを深めた。

 あっ、と令嬢の一人が小さく声を上げる。


(来たわね。待ちくたびれたわ)


「ハリー・ロード伯爵と、えっと……ミス・ヒローニアのご登場です」


 かわいそうに。名を挙げた者はヴァネッサが怖いのか、声を震わせている。


 会場の入り口から現れたのは、他でもないハリーだった。もともと濃い眉間のしわはより深くなっており、その表情からはやる気と殺る気が感じられる。

 ハリーとは対照的に、ヒロイン――カレン・ヒローニア男爵令嬢は、不安げに目を潤ませている。すがるように腕を組んでいるあたり、意外とちゃっかりしているようだ。


 気付けばケネスが自身の背後、正確には柱の後ろに立っていた。グラスに映る彼の視線は、やはり冷たい。


(絶対に逃がさない、といった感じね)


 だが、これは一度経験した修羅場。もう、彼の策略には、はまらない。


「お話があります」

「何かしら?」


 ヴァネッサはあえて知らない振りをして、先を急がせる。目を閉じて「ふー」と盛大に息を吐き、ハリーは再び目を開けた。カッという効果音が聞こえてきそうだ。

 早く例の男性を見つけたいヴァネッサの前に、書状が突き出された。


「ヴァネッサ様。私は今日、あなたとの婚約を解消させていただきます」

「謹んでご了承いたしますわ」

「そう言うと思いましたよ。でも無駄です。陛下からの了承は――え?」


 引っ込められた書状の代わりに、ハリーの顔が伸ばされる。そしてこめかみに手をあて、今度は大きく息を吸った。


「えーっと。聞き間違いですかね? うん。そうに違いありません」


 そんなはずが無いだろう。


 ざわざわと騒ぎ出す貴族たちの声を背景に、ヴァネッサは心の中で突っ込んだ。


「こほんっ。殿下。私との婚約を――」

「――喜んで!」

「よ、喜んで!?」


 人々の声にも勝る大音量で、ハリーは復唱した。ヴァネッサはこくこくと頷く。


「お、おかしい! あなたは今まで、私のことを……私のことを?」


 愛していると言ったではないか。とでも言おうとしたのだろう。残念だが、そんなことは言っていない。好きとは言ったかもしれないが。

 今さら気付くとは、彼は本当に、ヴァネッサが眼中になかったらしい。


「その書状を渡してくださいな。今すぐサインをしますから」

「待ってくれ!」

「えっ?」


 ハリーは書状を彼の胸元に引き寄せた。ヴァネッサとカレンの声が重なる。乱暴に掴まれ、書状はぐしゃぐしゃだ。


「確かにあなたは傲慢で、幼稚で、性格がひん曲がっていて、倫理観のかけらもないような人だったが」

「(ひどい言われようね)だったが?」

「私にたてつくことは、一度もなかったじゃないか!」


――何を言っているんだこいつ。


 それが、ヴァネッサの頭に、最初に浮かんだ言葉だった。心の奥から、虫が這いずるような心地がする。どこか下に見られている気がしたからだ。


(確かに私は今まで、彼にきつく当たらないでいた。だから、そんな思い上がりを?)


 ゲームのハリーは、こんなキャラクターだっただろうか。

 正義感が強く、質実剛健な理想家。ヴァネッサのことを悪女だとののしるシーンは出てきたが、自身の支配下にあるような言い方はしなかったはずだ。


 また、知らないだけだったのだろうか。


「落ち着いてください、ハリー様。口調が乱れていますよ」

「殿下!」


 振り向くと、ケネスがヴァネッサの背後に立っていた。足音が聞こえなかったが、いつの間にここまで近づいてきたのだろう。


「突然のことに、姉上はきっと驚かれているのです。そうですよね?」


 ヴァネッサの肩を持ち、ケネスは微笑んだ。ゲームだと知らなければ、「自分の姉が婚約破棄をされているのに、よく笑っていられるな」と叱責したことだろう。


「私は驚いていないわ」

「そういう割には、震えていらっしゃいますね」


(貴方が怖いからよ!)


 だがそんなことを言えるはずはなく、ヴァネッサはケネスから離れた。


「武者震いをしているのよ。これで浮気者と別れられる、とね」

「なっ!?」


 不敵に微笑めば、ハリーたちは見るからに動揺しだした。


「ごめんなさいヴァネッサ様! わたしがハリー様を好きになってしまったから……」

「謝るくらいなら、いっそのこと堂々となさったら?」


 言った後で、少しの後悔。

 彼女はただシナリオ通りに行動しただけ。彼女を責めるつもりはなかったが、いつものキツい口調になってしまったのだ。ただ、謝られてしまったら余計にみじめな気分になってしまうと、遠回しに伝えたかっただけなのに。


 ハリーはヴァネッサに指先を向けた。「してやったり」という彼の表情は、もはや悪役のように思えた。


「あなたのそういう態度が、問題なんだ! カレンに必要以上に――」


 ヴァネッサがカレンにしてきたことなど、自分がよくわかっている。長くなりそうだから無理とにでも話を終わらせようかと、ヴァネッサは会場の外へと顔を向けた。

 その時、例の男性の姿が目に入った。心底つまらなさそうな表情で、廊下へと出て行ってしまう。


「あっ!」

「聞いてます!?」


 思わず声を上げると、ハリーが叫んだ。今にも泣きだしそうである。


「婚約破棄するのだから、わざわざ聞く必要はないでしょう?」

「あっ!」


 早歩きでハリーの元へ行き、書状を奪った。彼の胸にささる羽ペンを抜き、自身の名を綴る。


「はい、どうぞ」

「ど、どうして」

「はぁ」


 ヴァネッサは書状を丁寧に折り、ハリーの懐へと入れた。


「しかるべき機関に提出してくださいね。では、私は用事があるので失礼しますわ」


 丁寧なお辞儀をし、ヴァネッサは駆け出した。

 はしたなくとも、無礼だろうとも、構うものか。早くしないと逃げられてしまう。


「ヴァネッサ様!」

「姉上!」

「近づくと燃やすわよ」


 振り向きざま睨めば、二人は悔しそうに唇を噛んだ。こういう時、悪役面は役に立つ。

 ヴァネッサは再び男性の消えた方を向き、満面の笑みで走り出した。


(待っていて! 私の未来の雇用主!!!!)

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