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25話 殿下の言動が読めません

 アルカイックスマイルを常に絶やすことなく民衆へと向け、カメラが向けばエジプト壁画になりきり、違和感のある視線を察知すれば影のようにダリウス、またはメイの背後に溶け込み約一時間。

 たゆまぬ努力により、ヴァネッサの心配は杞憂に終わりそうだ。最後まで気を抜かず、ダリウスに手を引かれて壇上から降りる。すると、ダリウスがヴァネッサへと振り向いた。


「今日は疲れただろう。城に帰ったら、ゆっくりするといい。あとで疲労回復にいいハーブティーを用意しよう」

「ありがとうございます。殿下も今日はお休みになってくださいな。目にくまができていますわ」

「それは君もだろう。化粧をしていてもわかる」

「えっ! やつれて見えますか?」

「いや、綺麗だと思う」

「!?」


 いきなり綺麗だと言われ、ヴァネッサは動揺で足を踏み外してしまった。すかさずダリウスが抱き留める。

 昨夜と同じ香りが、より強くヴァネッサを包んだ。


(まずいわ! また火がーー)


「ダリウス殿下~! ヴァネッサ様~!」

「な、なんでしょう!?」

「うっ」


 メイの声がダリウスの背後から聞こえ、ヴァネッサは勢いよく体を起こした。彼のおかげでどうにか火は出さずに澄んだ。

 一人で残りの段を降りる。少しして隣にダリウスが並んだ。


「お疲れさまでした! 殿下のお姿もお言葉も、堂々としていてすてきでした!」

「ありがとう。メイ殿も完成までよくやってくれたな。これからもよろしく頼む」

「はい、ぜひ!」


 メイとダリウスは初対面の時と同じように、握手を交わした。次いで、ヴァネッサと握手をする。


「ヴァネッサ様もお疲れ様です。神々しい、女神のようだ、たおやかだとか、絶賛でしたね!」

「あの謎の温泉美少女はだれだと、さっそく話題になっていましたよ」


 ミアが大きな鏡を抱え、物陰から出てきた。


「恥ずかしいけれど、集客に繋がるなら嬉しいわ」


 大衆浴場も休憩所も、この国の人々にとってよい憩いの場となってほしい。冷えた体を温め、効能の恩恵を受け、時には会話を楽しんだり、食欲を満たしたり、様々な形で利用し、癒されてほしいと思う。

 乙女ゲームの記憶を思い出したのだから、自分を救うだけでなく、他者のためにも役立てたいのだ。その方がきっと楽しく、満足のいく人生を送ることができると思う。

 緊張が解け、ヴァネッサは微笑んだ。

 メイが満足のいかない表情で「うぅん」と声を漏らした。


「でも、このお美しい姿を絵でしか知らしめることができないってのは、ちともったいない気がしますけどねぇ。どんな巨匠が描いたって、やっぱり実物には負けますよ」

「何を言っているんだ」


 ダリウスは冷静な態度で言った。ヴァネッサもメイも首を傾げた。


「彼女はいつも美しいし、かわいらしい。今日に限ったことではないだろう」

「おっと」


 ヴァネッサの顔から火が出た。


「しっ、失礼いたしますわ!!」

「ヴァネッサ!?」


 ダリウスの心配するような、驚いているような声が聞こえてきたが、足を止めることはしなかった。


(どうして殿下は何の恥ずかしげもなく、そういったことを話せるのかしら!? サラッと言うものだから、恥ずかしさが増すのよ!)


「もう!」


 ヴァネッサが駆けて行ったのは湖。ほとりでライルが絵を描いており、自身の姿を見てかすかに肩をびくつかせた。


「頭が火だるまじゃん」

「そうなのよ! だから失礼するわね!」

「ちょっと!?」


 ヴァネッサは湖に頭を突っ込んだ。ジュッと音をたてて火が煙へと変わる。次の瞬間には、ごぼごぼと気泡が上がる音が耳に流れ込んできた。


「ぷはっ。よし、落ち着いたわ」

「よしじゃないでしょ」


 湖から顔を上げると、ライルがハンカチを差し出してきた。


「ありがとうございます。でも、火があるので大丈夫ですわ」

「その火にさっきまで包まれてなかった?」

「そうですけど、顔だけなら使いようがあるんです」


 訝しげな目を向けてくるライル。説明するよりも見せた方が早いだろう。


「こうですわ」

「えっ」


 ヴァネッサは炎を両手にとどめ、顔に向けた。すぐに離し、炎を消す。


「ほら、水滴がすべて蒸発し……引いています?」


 顔を上げると、ライルは目を見開きながら眉間に皺をよせていた。


「流石に刺激が強かったでしょうか」

「……うん、そうだね。気が触れたのかと思った。元から常軌を逸した行動をしているけどさ」

「じょ、常軌を」

「うん」


 ライルは真顔で頷いた。少し呆れているように見える。

 ショックを受けていると、ライルがため息をついた。


「まぁ、強い力を持っているなら、そうなってもおかしくないのかもね。ほら、お城に帰る前に化粧を直してあげるから、そこ座って」

「はい」


 ヴァネッサはライルの隣へ座った。

 目をつむると、パフパフと甘い香りのする粉がはたかれた。嗅いだことのないエスニックな香りに、せき込みそうになってしまう。


「これもインスピレーションのために?」

「まぁ、そんな感じ。旅した国のものもあるよ。口閉じて」


 返事代わりに口を閉じると、先ほどとは違い、少し粘着性のあるものが唇に塗られた。


「今度は強めにしてみた」

「わぁ~!」


 画材ケースから出された鏡を受け取ると、そこには赤い口紅が艶めいていた。アイシャドウも濃いグリーンのグラデーションに変わっている。


「これもいいですわね!」

「まぁ瞳の色とは合わないけどね」

「でも素敵ですわ」

「そう……あ。お迎えが来たみたいだよ」


 ライルはそう言うと、ヴァネッサの手に何かを握らせた。中を開いてみると、髪飾りとお揃いなのか、エメラルドのイヤリングが揺れた。


「アクセサリーも宝石も、あって困らないでしょ」

「これもインスピレーションのために選んだのですか?」

「うん。だからあげる」

「(こんなに綺麗なものを……)ありがとうございますわ」


 ヴァネッサはイヤリングが壊れてしまわないよう、自身のハンカチで包んだ。


「またお礼を渡しますわ。あっ、あんパンも持っていきますね」

「なにそれ。アップルパイじゃなくて?」

「ではアップルパイもお付けいたしますわ」

「その二つだけでいいよ」

「わかりましたわ!」


 ライルへ手を振り、ヴァネッサはミアの元へと向かった。

 唯一の得意料理であるアップルパイを気に入っていただけて何よりだ。



★★★



 白い湯気が暗がりへと溶けていく。

 ヴァネッサは近くに置かれた氷の入った桶から、牛乳の入ったグラスを取り出した。商品化のために近々牛乳瓶を開発する予定である。


「はぁ。やっぱり、温泉上がりの一杯は最高ね」


 うっとりとした表情でグラスを傾ける。

 今日は満足いくまで温泉につかったため、いつもより体がほてっている。この状態で受ける夜風がまた、気持ちいいのだ。


(うふふ。今日はコーヒー牛乳も持ってきたのよね)


 ヴァネッサはコーヒー牛乳のグラスを取り出した。しかし、ノック音が聞こえ、再び桶の中へと戻した。


「どなたですか?」

「俺だ」

「殿下!?」


 どうしたのかと扉を開けると、そこにはダリウスが立っていた。ティーポットとカップ、ソーサーののったトレイを持っている。


「ハーブティーを用意すると言っただろう」

「まさか殿下直々にご用意してくださるとは思いませんでしたわ。中へお入りになりますか?」

「いや、これを渡したら帰る。休ませるために持ってきたのだからな」


 ダリウスはそう言ってトレイをヴァネッサへと渡した。ローズマリーのみずみずしい香りがふわりと香った。


「ありがとうございますわ」


 笑顔で告げると、ダリウスもまた微笑み返した。

 ふと、彼は我に返ったような顔をした。


「その、よければなんだが、明日や明後日は空いているだろうか?」

「はい。大丈夫ですよ」

「よかった。では、町へ出かけないか?」

「何か仕事でもあるのですか? あっ! もしかして、新しい湯脈でも見つかりましたか?」


 それならば喜んでついていくのだが、どうやら違ったようだ。ダリウスは苦い顔をして首を横に振った。


「君の好きそうな店をいくつか見つけてな。連れて行きたいんだ」

「そうでしたの」

「ああ。ちなみに、君が以前訪れていたシャーベット店が、新作を出したそうだ。味は確かレモンだったか」

「レモンシャーベットですか!」


 ヴァネッサの気持ちが急上昇した。そんなの、絶対に美味しいではないか。


「一緒に来てくれるか?」

「もちろんですわ!」


 意気揚々と答えると、ダリウスはふっと笑った。


「楽しみにしている。おやすみ」

「ええ、おやすみなさいませ」


 ダリウスを見送り、ヴァネッサは扉を閉めた。部屋の中には、ハーブティーと、かすかに甘いクッキーの香りが漂っていた。

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