22話 窓から逃げ出したい気分です
朝日が差し込む薄暗い部屋に、獣のような唸り声が響く。ブランケットにくるまったまま、ヴァネッサは寝返りを打った。ほんのり空気が焦げ臭い。
「ね、眠れなかった」
赤面からの顔面発火、さらには全身から火が出ることを繰り返し続け、ようやく気が納まったのは午前四時のことだった。なんど川へ飛び込みに行こうと思ったことか。(風邪を引くからとミアに止められたが)。その後、水を運んできてくれていたミアに礼を言って返し、ベッドに着いたはいいものの、思考は落ち着かないままだった。一人しりとりをして気を紛らわせるだけで精いっぱいだった。
しりとりが必要なくなってもなお、目がさえて仕方がなかった。
恋とはどんなものなのだろう。胸がドキドキして落ち着かなくて、夢見心地で、辺りがキラキラして見えて、相手のことで頭がいっぱいになるのだろうか。
もし恋仲になったのなら、何をするのだろうか。ゲームで見たように、手をつないだり、デートをしたり、食べさせあいっこをしたりするのだろうか。さらには、もっと近く、深く、触れ合うのだろうか。
(もし殿下が本当に私のことを好きで、恋仲になったら、二人で何をするのかな。エスコートの時とは違う、指と指を絡ませあうような――)
頭に浮かんだ光景に、またもやヴァネッサの顔から火が出た。
「キャーー!!」
ベッドから飛び起き、念のためにと近くに置いてあった水瓶を手に取った。そのまま乱れたベッドへと振り下ろす。
(こんなことになるなんて予想してなかったわ! それに、こんな調子じゃいつかお城を燃やしてしまうわ! それに……)
「どんな顔をして、殿下に会えばいいの?」
ヴァネッサは床にしゃがみ込み、頭を抱えた。
(うう! もうこの場から逃げ出してしまいたい! でもお世話になったのに、急にお城を出るのもはばかられるわ!)
だが、このままダリウスに会えば確実に逃げ出してしまうだろう。なんなら、一瞬にして王城を火の海にしてしまうかもしれない。今だって、チラチラと炎が体のあちこちから出ているというのに。優美だったネグリジェは、サバイバルゲームに突如巻き込まれたかのような有様である。手も足もお腹も丸見えだ。逆によくセパレート型に分かれたなと思う。
(そうよ、こんな姿じゃだめよね。とりあえず着替えないといけないわよね)
ヴァネッサは一人で頷き、クローゼットの扉に手をかけた。コルセットさえうまく着ることが出来たなら、どうってことない。普段はミアが手伝ってくれるのだが、いざという時のために一人でも着られるよう、子供時代に訓練されたことがあるのだから。
そう、元王族だったころに。
(そっか。もう私は王族じゃないのよね。ただの平民なのよね)
そんな自分が、王族である彼を好きになってもいいのだろうか。いや、結ばれることは可能なのだろうか。王族の時でさえ問題児として冷遇されていたというのに。
(だめだめ! 疲れすぎているからかしら、ちょっぴりネガティブになりやすいみたい)
ヴァネッサは頭をブンブンと横に振った。
(それに、あんな美形と夫婦になるなんて、私に耐えきれるはずがないじゃない! 私が逃げて、彼が飽きて終わるだけよ!)
「って、またネガティブになってるじゃないの!」
ヴァネッサは扉に頭を勢い良くぶつけた。鈍い痛みのおかげか、ほんの少し冷静になった気がする。
(こんな姿、ミアでさえ見られたら恥ずかしいわ。はやく着替――)
ピシリ、とヴァネッサは凍り付いた。
クローゼットの中で、昨夜の上着がかけられていたからだ。
「あーーーー!!!!!」
「ヴァネッサ様!?」
扉を閉め(破壊し)窓へと走るヴァネッサを、部屋の中へ入って来たばかりのミアが引き止める。
「落ち着いてくださいませ。どこへ行かれるのですか」
「山へ! 滝行をしに行くのです!」
ヴァネッサはミアの腕の中でジタバタと暴れる。しかし、華奢なメイド服の奥に屈強な肉体でも隠されているのか、ビクともしない。
「滝行とは何ですか?」
「煩悩を捨て! いらぬ雑念を捨て! 無になるのです!」
「ボンノウ?」
「はい!」
「とりあえず落ち着いてくださいませ」
「うっ!?」
ミアが腕に力を込めたらしく、ヴァネッサのお腹がギュッと圧迫された。空腹に強い外部刺激が加わるのはいけないらしい。吐き気がしてヴァネッサはその場に崩れ落ちた。
「手荒な真似をしてしまい、申し訳ございません。少しは冷静になられましたか?」
「え、ええ……すごく」
腹部を抑えたまま頷く。だが、止めてもらえてよかったように思う。あのまま窓から飛び出していたなら、骨折をしていたに違いない。下手すれば内臓が飛び出していただろう。
「(冷静になるって、大事ね……)そういえば、少し来るのが早かったわね。何かあったの?」
「実は」
ミアは言葉を止め、入口へと向かった。扉の裏へと回ってしまい、姿が見えなくなる。
次に姿を現すと、彼女は大きな箱を抱えていた。後ろに他のメイドたちが続く。数人は新しい水瓶とちりとり、ホウキを持っている。そしてそのまま粉々になったクローゼットへと向かい、片づけを始めた。
「鏡台の前へおかけください。いえ、その前に湯浴みをいたしましょうか」
ヴァネッサは鏡を見てみた。全身すすだらけである。真っ黒具合は、実験に失敗したマッドサイエンティストと引けを取らない。
「そうね。このままだと、せっかく着替えても汚してしまうわ」
また、リラックスに最適な温泉につかることで、より心を落ち着かせることができるかもしれない。さらに朝食をダリウスと共にとることを避けられるかもしれない。
「こちらを羽織られたら行きましょうか」
「ありがとう」
ミアが差し出してきたのは、厚手のローブだった。確かに、外へ出るには露出が過ぎる。ローブを受け取り、紐をくくってもらう。
「そういえば、あの箱には何が入っているの?」
ヴァネッサは机の上に置かれている、ミアたちが持ってきた箱を指さした。他のメイドたちが化粧品を机の上に置いているのも気になる。
「本日から大衆浴場がオープンします。そのため、昼からオープニングセレモニーを行う予定です」
言われてみれば、酒場でメイが言っていたような気がしなくもない。
「昨日できたばかりなのに、早いわね」
「その方がヴァネッサ様がお喜びになるだろうと、殿下がメイ様たちに相談したようです。安全確認は済ませていますので、ご安心を」
「殿下が?」
「はい」
ローブを着終わったヴァネッサは、そっと下唇を噛んだ。自身を喜ばせるために、誰かに何かをしてもらったのは初めてだ。
「その、セレモニーに参加するために、何か特別なドレスを着るのね?」
「はい。民衆の前で行うカジュアルなものですが、国が関わっていますので。ドレスはあらかじめメイドたちで選んでおきましたが、よかったでしょうか?」
「ええ。私はここに置いてもらっている身だし、選びに行く時間もなかったもの」
主に、山を駆け下りる練習と、温泉を満喫することで忙しかった。
「殿下と白色で合わせておきましたので、そう言っていただけて安心いたしました」
「えっ?」
ミアの言葉にヴァネッサは耳を疑った。夜会や正式な式典、社交場ではないので、婚約・結婚をしている男女がするものとは違うだろうが、わざわざ合わせる必要もないだろう。
「その、どうして合わせたの?」
(はっ! もしかして、二人とも白色が似合うから? それとも、温泉の湯気をイメージして?)
「殿下と並んでいただくため、色を合わせた方がまとまりがあるかと思いまして」
違ったようだ。
「ちょっと滝行に――」
「いけません」
「あ~!」
ローブの紐をミアに引かれ、帯回しよろしくクルクルと回る。ボスンッと音をたて、ヴァネッサはベッドの上に寝転んだ。せっかくメイドたちが整えてくれたというのに。そのままミアによってブランケットで身体を巻かれる。ブランケットの人間巻き寿司の完成だ。
「では、浴場までお運びいたしますね」
ミアはヴァネッサを担ぎ、爽やかな営業スマイルを浮かべた。
本当に、そのしなやかな細腕のどこにそんな力があるのだろうか。




