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11話 温泉建設を始めます

「町へ温泉を引きたいのか?」

「はい! その方が、国民の方々が体を清潔に保ちやすいかと思ったのです。でも、出来ない理由があるのでしょう?」

「ああ。説明するから、少し待っていてくれ」


 ダリウスが椅子から立ち上がり、棚の中をあさり始めた。彼の姿が見えなくなり、ヴァネッサは窓の外から見える山を見た。白い湯けむりが、ゆらゆらと上がっている。


 キャンディーを渡した翌日、ヴァネッサは再び執務室を訪れていた。

 ミアから聞いた話だが、アヴァランシェでは、数日間も湯あみをしない者が多いらしい。ほとんど汗をかかないのに、薪と水、お金を使ってまで入る気にならないのだろう。


(ブレイズは暑いから、みんな水浴びをしていたわね。この国で川に入ったら、凍え死んでしまいそうだわ)


 もはや遠い日のように思える、自国でのことを思い出す。

 そうこうしているうちに、お目当てのものが見つかったらしい。ダリウスが数枚の資料を持ち、棚から姿を現した。


「これを」

「『国民専用 公衆浴場建設案』……やはり、殿下も一度はお考えになったのですね」

「いや、考えたのは先代国王だ」


 ダリウスの顔が、ほんの少し悲し気に歪められた。この若さで父を亡くしたのだ。無理もないだろう。

 ふと、彼が顔を上げた。


「どうした? 眉間に皺が寄っているぞ」

「えっ? あ、なんでもありませんわ」


(変に捜索するのは駄目よね)


「お話の続きを聞かせてくださいな」

「ああ。端的に言うと、この案は『命がけの作業』になるだろうと予想された。だから中止になったんだ」

「命がけ、ですか?」


 重々しいワードに、息をのむ。


「そう怖がるな。王城に温泉を引いた時は、死者はでなかったからな」


 ダリウスは資料を指差しながら、丁寧に説明をしてくれた。


 アヴァランシェの山々は年中氷に覆われている。温泉源が見つかった山は、特に冷える山の一つだったらしい。

 結果、施設へ到着するまでに、先に出た温泉が凍ってしまう。その上を、熱い温泉が滑ってしまうようだ。そのせいで火傷を負った者が多発したらしい。大事には至らなかったが、次はどうなるかわからない。


「だから、君の提案は受け入れることが――なにか提案したげな瞳だな」

「殿下。要するに、凍らなければよいのでしょう?」

「ああ」


 頷くダリウスの手を、ヴァネッサは握った。


「なら、私にお任せください!」


 身を引いたダリウスが、言葉に詰まっている。


「私なら、凍らないよう地面を温めることが出来ますわ」

「待て。極寒の雪山に行く気か?」

「はい! 善は急げと言いますし、さっそく様子を見てまいります!」


 扉へと振り返り、ヴァネッサは駆けだした。しかし、ダリウスが腕を掴む。


「待て」

「どうしてお止めになるのですか?」


 少しの間じっと見つめられる。首をかしげると、ダリウスは目をつぶって、ため息をついた。


「……俺も行こう」


 ヴァネッサは首を横に振る。


「殿下のお力を借りるわけにはいきませんわ」

「本人が言っているのに、なぜそう思う?」

「だって、今までさんざんお世話になりましたもの」

「衣食住をある程度、提供しただけだ」

「それで充分です。いい加減、仕事らしいことを見つけたいと思っていたのです」


 本音を言うと、忙しそうにしている彼の邪魔をしたくないのだ。行ったとして、「解決できない」と判断する可能性もあるのだから。


「雪に慣れていない君に、あの山は危険だ。俺なしでの登山は認めない」

「うっ」


 強い口調でハッキリと告げられ、ヴァネッサは食い下がった。お世話になっている身なのだから、彼の言葉に逆らうことはしたくない。


「それに、共に行った方が計画を相談しやすいだろう? どのみち俺の許可が必要になるのだから。時間短縮にもなる」


 確かに。彼の言う通りな気がしてきて、ヴァネッサはこくりと頷いた。


「名案ですわね」

「納得して頂けたようで、なによりだ」


 ダリウスは腕を離し、再び棚をあさり始めた。


「何をお探しになっているのですか?」

「立案時のメンバーの所在の書かれた、住民台帳だ。君はスチュワートを呼んできてくれないか?」

「なんとお伝えすれば?」

「『明日、氷の山へと向かうから準備をしてほしい』と」

「明日ですか!?」


 あまりに早くないかと声を上げると、ダリウスが住民台帳を手に顔を出した。


「善は急げ、というのだろう?」


 確かに言ったが、いざ行くとなると緊張するもので、少しだけ胸がドキドキしてきた。

 息を整え、執務室から出る。すると、背後からダリウスの声が聞こえてきた。


「あと、明日にしないと、君が一人で行ってしまいそうだったから」

「し、失礼いたしますわ」


 否定できる気がしなくて、ヴァネッサは作り笑いを浮かべたのだった。


(ケネスといい、ダリウスといい。どうしてこうも、考えていることがばれるのかしら? 思考が顔に現れるなんてことは、本当にあるはずないのに)



★★★



 翌朝、ヴァネッサは鏡台の前でくるりと回った。厚手の毛皮のコートが空気を含み、ぶわりと膨らむ。まるまるとしたシルエットは、まるでクマのようだ。


(そういえば、先日食べたクマ肉シチュー、おいしかったわね)


 お腹が音を立て、ヴァネッサは頭を振った。


(さっき朝食を食べたばかりじゃない!)


 それほどまでに、アヴァランシェでの食事が体と味覚に合ったのだろう。


(……今日の昼食は何かしら?)


 ライ麦パンの目玉焼きのせ、鶏肉の香草煮込み、カボチャと豆のスープ。白身魚の白ワインソースがけもいい。

 最近食べた食事メニューを思い出していると、奥の部屋からミアが出てきた。その腕にはコートが数着かけられている。


「寒くはありませんか?」

「ええ、大丈夫よ。むしろ暑いくらい」

「それぐらいで丁度いいかと。もう一着どうぞ」

「えっ? もうけっこうよ。これ以上着たら、身動きがとれなくなってしまうわ」

「ヴァネッサ様はアヴァランシェの方ではありませんから、防寒はしっかりと行った方がよいかと思います。寒さに強い私たちでさえ、氷の山は寒く感じますから」


(出身によって体質も違うのね。勉強になったわ)


 ヴァネッサはミアの説明に頷き、アドバイス通りコートをさらに羽織った。


(そういえば、殿下に舞踏会で会った際も、他の貴族よりほんの少し薄着だったような気がするわ。暑さに弱いからだったのね)


 とはいえ、服装に大きな違いはみられなかった。両国とも極端に気温が低い、高い、というわけではないからだろう。ブレイズでも上着を着ようと思ったら着られるし、アヴァランシェでも夏ならば半袖を着用することができるだろう。


「帰ってこられましたら、すぐに温まることが出来るよう、湯あみの準備をしておきます」

「あら、ありがとう」


 ヴァネッサはすっかり、温泉の虜になっていた。湯あみ後はこっそり厨房に行き、冷えた牛乳をもらったり、ジェラートをもらったりしている。最初は、夕飯につかった余り物の牛乳を冷やしてもらっていたのだが、気付けば、ヴァネッサ専用に事前に冷やしてくれるようになっていた。料理長の計らいに感謝である。


(今日は何をもらえるかしら?)


「冷えた牛乳もご用意しましょうか?」

「ええ、よろ――知っていたの!?」


 受け取ろうとしていた手袋を、ヴァネッサは落としてしまった。ミアがしゃがみ込み、新しいものに取り換える。


「恐らく使用人のほとんどが知っているかと」

「そ、そうなの?」


 ミアがあまりにもサラッと言ったため、スルーするところだった。


(ばれていないと思っていたのは、私だけだったのね)


「料理長はおいしいコーヒー牛乳を試作中のようですよ。フルーツ牛乳も考えているんだとか」

「へぇ。面白い考えね」

「両方とも、ヴァネッサ様がお休みになっている際におっしゃられていたものですよ」

「そうなの? って、私が寝ている部屋に入ったの!?」


 寝顔を見られるなど、乙女としてあるまじき失態だ。


(絶対に変な顔をしていたに違いないわ! なんなら、いびきをかいていたかも)


「あの、ご心配には及びませんよ。部屋にいたのは私ですから。本をお読みになっている途中でお眠りになったので、毛布をお持ちしたんです。その時に『コーヒー牛乳とフルーツ牛乳もいいな~』とおっしゃられていたのですが、料理長に相談しない方がよかったのでしょうか?」

「そんなことないわ! 絶対に美味しいと思うもの。楽しみにしているわね」

「よかったです」


 ミアはふわりと笑った。いつも真顔なので、ヴァネッサは衝撃で固まってしまう。しかし、すぐに表情を戻してしまった。


「そろそろ下に降りられますか?」

「ええ、そうね」


 ミアと共に階段を降りる。すると、玄関先にダリウスの姿が見えた。もうすでに準備を終えていたらしい。使用人たちに何やら指示を出している。


「おはようございます、ダリウス殿下」

「君か。おはよう。今朝は眠れたか?」

「はい! 楽しみすぎて、いつもよりは時間がかかりましたが眠れましたわ」

「そうか。勝手に出かけなかったようでよかった」

「殿下ってたまに、いじわるなことを言いますわね。私は聞き分けのない子供ではありませんわ」

「聞き分けがないとは、思っていない」

「では、どう思っていますの?」

「そうだな……」


 ダリウスは顎に手を当て、ふむ、と思案した。すぐに顔を上げ、なんでもない表情でヴァネッサを見る。


「おてんば娘」


(真顔で言うものだから、悪意があるのかわからないじゃない)


 むっとした表情でダリウスを見つめると、後ろからスチュワートの声が聞こえたのだった。


(彼にも鼻で笑われるほど、落ち着きがないのかしら?)


 これからは元王女として、一人のレディとして、落ち着いた行動を心がけるとしよう。

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