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最終話・下 冷えた心を持っていたのは私もでした

 食用バラを食べ終えたヴァネッサは、ようやく落ち着いたカレンとハリーと共にダンスホールへと戻っていた。今はフィンガーフードを摘みながら、二人の旅行話に耳を傾けている。

 色鮮やかな花々が咲き誇り、水源豊かな町並みと、パッション溢れる国民色が魅力的な南方の国。穏やかな時が流れ、数多くの水生生物に触れ合える、青い海に囲まれた諸島。淡いピンク色をした花――桜が舞い落ちる、四季ごとに異なった美しさを持つ東方の国。この国へ来てようやく読み始めた旅行記に負けず劣らずの情報量に、ヴァネッサの心は湧き立った。

 あとは、マンゴーとココナッツのジュースに、魚のフライ、アクアパッツァ、おにぎり、おにぎり、おにぎり。美味しそうな食べ物の話も豊作である。あぁ、おにぎりが食べたい。フィンガーフードに入れなかったことが悔やまれる。

 ヴァネッサの頭の中がおにぎりで支配されそうになったその時、ようやくあの話題が思い起こされた。


「そういえば、土砂崩れによって道が塞がれたと聞いたのだけれど、無事に来れたようでよかったわ」


 パッと笑顔で話しかける。すると、カレンが嫌そうに眉を顰めた。


「実は、どうしようか道の前で悩んでいたら、別のルートからダリウス殿下によって使わされた馬がやって来たんですよ」


 カレンの言葉がいまいちピンとこず、ヴァネッサは頭を傾げる。


「ミアさんから聞いたところ、くろまめという馬らしいです」

「あぁ! 確かに、あの子なら安全なルートで遠回りしても間に合うわね」

「さんざん振り回されて命の危機を感じましたけどね」


 トゲのあるカレンの言葉に、ヴァネッサは困り笑いを浮かべた。それだけくろまめが急いでくれたということなのだろう。


「乗り心地はともかく、くろまめを使わせた理由は何かしら?」


 もちろん、当日に祝ってもらえるのなら、そうして貰えた方が嬉しい。

 しかし、安全なルートを普通の馬車で行っても明日には王城に着いたはずだ。そのような状況でわざわざ早馬を出すなんてこと、普通はしない。「残念だけど、明日会えるからよしとしよう」がよくある考え方・対処法である。

 不思議に思ったヴァネッサを見て、カレンは盛大なため息をつき、ハリーは苦笑いを浮かべた。



★★★



 パーティー中、ダリウスはヴァネッサとは比にならないくらい大忙しだった。これを機に他国と貿易することを支持する者や、むしろブレイズに肩入れしないよう進言する者など、ヴァネッサが近寄る隙もないほど多くの人間が彼へと話しかけていたのだ。ありとあらゆる結婚話を断って来た彼が遂に結婚した上に、相手が隣国ということでしか接点のないブレイズ王国の王女なのだから、無理もないと言えばそうである。

 それにしても、あまりにも忙しすぎた。結局、ヴァネッサはパーティーがお開きになるまで彼に声をかけられなかったのである。そのままの流れでミアたちによって浴場に連行され、何故か身体を磨きに磨かれ、祝いの気持ちなのかフリフリですけすけの乙女心くすぐられる下着を着さされ。

 新たに用意された二人の寝室へ着いた頃には、すっかり夜が更けてしまっていた。寝巻きの裾をギュッと握り、ベッドの上で彼を待つ。話したいことがあるのに、気を抜けば眠気に負けそうなのだ。

 うとうとと目を瞑り、慌てて開いて頭を振る。それを何度か繰り返していると、扉がノックされた。扉を開けたミアがこちらへと目線をやり、次いで出て行く。


「ヴァネッサ」

「ダリウス殿下」


 同じく寝巻きに着替えた彼の姿を見て、安堵にも似た愛しさが込み上げてくる。

 はっと顔を上げて彼の名前を呼べば、ダリウスもヴァネッサの隣へと腰を下ろした。ふと、彼の手がヴァネッサの頬を撫でる。


「今日は疲れたんじゃないか」

「はい。でも、それは殿下もでしょう?」

「俺は大丈夫だ」


 安堵させるようにふわりと微笑んだダリウスを前に、ヴァネッサは自ずと唇を噛んだ。


「……殿下はいつもそうですわね」


 ピクリと眉を寄せ、不思議そうに見つめてくるダリウス。彼の手に自身の手を重ね、ヴァネッサは想いを乗せて彼を見つめた。


「聞きましたわ。カレン嬢とハリー様にくろまめを使わせて下さったのですね。おまけに、あんな手紙まで渡して」


――結婚祝いのパーティーくらい遅れずに来い。

 それが、彼が二人に、いや、ハリー対してかけた言葉だ。


「彼がいつも遅れてきていたと、君から聞いていたからな」


 一つ瞬きをして、彼が静かに言った。

 そのようなことを話したことがあったような、なかったような気がする。自分でさえも忘れていた記憶を彼が覚えているのだと思うと、ヴァネッサは自ずと嬉しさに頬を綻ばせた。


「本当にありがとうございます。……思えば、きちんとお礼を言ったことはありませんでしたね。好きだという言葉も含めて、殿下からはいつも与えられてばかりで」

「そんなことはない。最初に多くを与えられたのは俺だ」


 真剣な表情で首を振るダリウス。ヴァネッサは彼の唇に指先を当てて、諭すように微笑んだ。


「殿下の元へ行こうと決めたきっかけは、逆行する前の殿下と、逆行したあとの殿下に二度も助けられたことでした」


 未だに逆行前の自分を目の敵にしているのか、ダリウスの眉間に皺が寄った。そのいじらしい姿に思わずクスリと笑ってしまう。

 きっかけは、言葉の通りただのきっかけに過ぎないのに。


「どうして殿下を好きになったのかも、まともに話したことがありませんでしたわね」


 ダリウスから先に伝えてくれていたのだから。ヴァネッサはただ「私も」と言うだけでよかったのだ。本当に、彼と出会ってからを振り返ると、自分こそ言葉足らずだったことがわかってくる。

 ヴァネッサは唇に触れた指を離し、そっとダリウスの手を取った。


「ぶっきらぼうに見えて温かいところ、繊細なところ、人間としてかわいらしいところ……。共に過ごすうちに、殿下の豊かな感情に、内面に触れていきました。それだけではありません。殿下はずっと私の味方でいてくれた、助けてくれた、見守ってくれました」


 高鳴りだした鼓動がやけにうるさい。それでいて、泣き出しそうで堪らない。

 それでもヴァネッサは大きく息を吸い込み、言葉を続けていく。


「殿下と出会って、少しずつ惹かれていったのだと思います。恋に落ちた瞬間もわからないほどにゆっくりと。そして、気が付いたら愛になっていたのです」


 ダリウス殿下に会えてよかった。自分を助けてくれて、好きでいてくれてありがとう――。

 はにかんだヴァネッサの目から、一粒の涙が溢れる。その前に、ダリウスがヴァネッサを抱き締めた。


「……君は、俺の中身を知っても、いつも嫌いにならないでいてくれたな」

「中身を知ったからこそ、好きになったのですから」


 ヴァネッサの答えに、ダリウスは息をこぼした。呆れにも、安堵にも取れる小さな息遣いであった。


「どれほど君に否定されても、俺は優しい人間ではない。だが、少しは人間らしくなれたと思っている」


 彼の腕にいっそう力が込められた。


「恐らく、出会った時から君に惹かれ始めていたのだと思う。炎より熱く煌めいていて、今でも眩しい。それでも君がいいと言ってくれるのなら、これからも、俺に君を見守らせてくれないか?」

「もちろんですわ」


 ヴァネッサは顔を上げ、触れるだけのキスをした。


「私こそ、こんなお転婆娘でもいいのなら。これからもよろしくお願いいたします」


 恥ずかしさに堪えながら微笑むヴァネッサ。その唇に、今度はダリウスから触れた。



★★★



 結婚式の翌日、ヴァネッサはカレンとシェールを呼び寄せ、少し遅めのお茶会を開いていた。


「――で、そのあと抱き締めあったまま眠りについたと」


 二日酔いに悩まされている中来てくれたカレンが、ピクピクと眉を動かして言った。真っ赤になった顔を両手で覆っているヴァネッサは、小さくこくんと頷く。


「えぇ。その……とても幸せだったわ」

「いいですね〜」

「いや、いいですね〜じゃないでしょう!」


 耳まで真っ赤になったヴァネッサと、ほんわかとした空気を纏ってクッキーを片手に微笑むシェール。二人の目の前で、カレンが叫んだ。心底「はぁ?」と怒り、呆れているように見える。その様子を見て、ヴァネッサは照れながらもようやく両手を離し、頭を捻った。途端にカレンから盛大なため息が落とされる。

 そして、わざとらしく額に手をやった。


「初夜ですよね!?」

「えっ!? いっ、言われてみれば!」

「忘れていたの!?」


 口に手を当て目を見開くヴァネッサの前で、カレンもまた目を見張った。口調が崩れてしまうほど取り乱しているらしい。

 紅茶を飲んだシェールがカレンを宥める。


「まぁまぁ。ペースは人それぞれでいいと思いますよ」

「そ、そうよね。私だって温泉を増やすのに忙しいし、まだ先でもいいわよね」

「王族がその考えなのはどうかとおも、うわぁ……」


 ふと視線を逸らしたカレンが、かわいらしい顔をまたもや歪めた。ヴァネッサも視線を追ってみる。すると、廊下で家臣と話をしていたらしいダリウスと目があった。愛おしそうに微笑まれ、自ずと口角が上がっていく。

 そんなヴァネッサの前で、またもやカレンが大きな大きなため息をついた。


「シェールさんの言う通り、二人のペースは合っているみたいですけど」

「あら、わかるの?」

「元推しですから、表情を見たら満たされていることくらいわかります」


 すっかり忘れていたが、彼女も元々は彼が好きだったのだ。久しぶりに気まずさを感じて、ヴァネッサは苦笑いを浮かべて紅茶を飲んだ。こう言う時に飲むお茶は、いつもより苦く感じられて困る。


「……あんな顔、スチルでも見たことないです」


 カレンの呟きは、シェールには聞こえなかったようで。シェールは「見た目はかっこいいですもんね〜」と適当に頷きながらクッキーをホイホイと口に放り込んでいる。


(そうなのね、自分では気付いていなかったけれど、もしかしたら殿下は自分が思っているよりもずっと心を開いてくれているのかもしれないわね)


 心を開いたのは、他でもない自分で。そう思えば、どこかむず痒いような、照れくさいような気持ちが込み上げてくる。

 その時、花の香りを乗せた風がヴァネッサの髪を掬い上げた。


(思えば、この二人は、記憶の有無は異なるけれどゲームのヒロインなのよね)


 それなのに二人とも、性格も、選んだ道も、人間関係もすべてゲームとは異なっている。カレンに関しては当たり前だが、ヴァネッサがもしダリウスの元へ行かなかったらゲーム通りに演じたままだったのだ。二人とこうしてお茶会をするような仲に発展するとは、自分でも驚きである。

 穏やかな日々も、楽しくて忙しい日々も、すべて自分が目を逸らして来た理想で。


(思い切って、外の世界へ踏み出してよかった)


 彼の元へ逃げてよかった。逃げて、戦って、追いかけて。またまた逃げて。今度は彼が自分を追ってきて、今は一緒にいる。

 最初は恨んだこの世界。それが今は、自分にとって幸せに満ちた世界になっている。

 こうして毎日を純粋に楽しめているのは、自分が動いたからだけではない。もちろん動かないと始まらないのだが、その後の自分を支えてくれたかけがえのない人たちのおかげだ。


「……なるほどね」

「何がですか」


 ふっと笑みをこぼしたヴァネッサに、カレンが頬を膨らませて問いかける。

 ヴァネッサは微笑んだまま、小さく首を振った。


「気にしないで。もしかすると、心を溶かされたのは自分の方なのかもしれないと思っただけよ」

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