最終話・中 それぞれの幸せを掴みましたね
城へと戻る馬車の中で、ヴァネッサは頭を抱えていた。
(本当にヒヤヒヤしたし、恥ずかしかったわ……!)
火竜のくしゃみをどうにか避けたはよかったものの、完全に二人の世界に入ってしまっていたことに気付き、周囲のなんとも言えない引き笑いに晒されて堪らなかったのである。引き笑いを浮かべながら式の進行を始めた神父様の顔を、しばらくまともに直視できなかったくらいだ。
ダリウスはというとまったく気にしている様子はなく、難なく式に臨んでいたように思う。今だって、自身の隣で集まってくれた民衆たちに手を振っている。それも真顔で。
(終わったことを引きずるわけにはいかないし、せっかく集まってくれたみんなを蔑ろにするのもいけないわよね)
ヴァネッサはため息をして気持ちを切り替え、しゃんと背筋を伸ばした。そして、はっと息を飲む。
色とりどりの花が舞い落ちる道の端で、先が見えないほど多くの人々がこちらへと手を振っていたからだ。目をキラキラと輝かせながら二人の名を呼んだり、お祝いの言葉をかけたりと、かつて王城から眺めたことのある凱旋式の時よりも遥かに熱気が伝わってくる。
この町の人々に、いや、この国の人々に受け入れて貰えたような気がして、ヴァネッサは目頭を熱くさせた。じわじわと湧いてきた実感に頬を綻ばせながら、高鳴る胸を抑えて手を振る。
これほど幸せな景色は、恥ずかしいからと言って見逃すにはもったいない。
(お父様も、お兄様も、ケネスも、メイたちも、ライルも、みんな来てくれた)
今は別の馬車で城へと向かっているはずだが、彼らのそれぞれの想いが込められた表情を見るのはなかなか面白かった。相変わらずケネスは不満があるようだったが。メイなんて顔を涙でぐしゃぐしゃにしていたというのに。そういえば、スチュワートも鼻を鳴らしていたか。
王城に着いてお色直しをすれば、今度は結婚祝いのパーティーが開かれる。その時に彼らと会話をするのが楽しみだ。ダリウスとも話し足りていないため、落ち着き次第バルコニーにでも出て募る話をするつもりである。
(一つだけ心残りなのは、カレン嬢とハリー様が来てくれるかどうかね)
二人には手紙を出している。しかし、冒険家としての仕事の都合上、式には参加することができないらしい。パーティーには余裕で間に合うらしいのだが、「気が向いたら行ってあげなくもありませんけど」と返されてしまったのだ。お決まりの照れ隠しだとは思うのだが、少し不安である。
(まぁ、これこそ考えても仕方ないのだから、今は人々と向き合いましょう)
自ずと笑みをこぼしながら、手を振り王城へと近付いていく。
カレンたちの帰路が先日の豪雨による土砂崩れによって塞がれてしまったことを知ったのは、自室に着いてすぐのことであった。
★★★
「土砂崩れが起こるなんて……本当に二人は無事なのかしら?」
「今のところ負傷者はいないと聞いております」
「そう……」
ミアの答えにヴァネッサは不安げな声で返した。
右から左へ、左から右へと移動するたびに、ドレスの裾がキラリと輝く。ガラス窓に映る、夜空のように深く煌めくブルーのドレスに身を包んだ自身の姿はため息が出るほど美しく、本来ならその出来に喜ぶはずなのに、まったくもって気分が上がらない。
今からダリウスと合流し、パーティーの主役として開幕を告げる予定なのに、こうも不安では身が入らなさそうだ。
気を引き締めるために頬を叩き、息を吐く。
その時、コツリと革靴がカーペットを踏む音が聞こえてきた。
「どうした?」
「殿下……」
お揃いのデザインのタキシードを着た彼は、ヴァネッサの様子がおかしいことに気付いているようで。空気をピリつかせながら隣へ立った。
「実は――」
ヴァネッサは彼の手を取り口を開いたが、開場のファンファーレによってかき消されてしまった。
「いえ、今はパーティーに集中します」
今はミアの言葉を、また、ヒロイン・ヒーローとしての運を信じるしかないだろう。
ヴァネッサは眩しいほどに差し込むシャンデリアの光に目を細め、頭を振って前に出た。
「えっ」
そして目を見張る。
こちらを羨望の眼差しで見やる来賓たち。その奥の方に、見覚えのあるピンクの髪をした女性が見えたからだ。その隣にはきちんと茶髪の男性が立っている。
今までとはやや嗜好の変わった赤色のカクテルドレスに、こちらを見つめるクールな黄色の瞳。同じく赤色がアクセントになっているスーツに身を包み、何故か涙を堪えて頷いている茶髪茶目の男。
十中八九、カレンとハリーである。
(えぇと……土砂崩れは?)
情報に手違いがあったのだろうか。
とはいえ、今気にする訳にはいかない。ヴァネッサは内心頭を捻りながら挨拶を終え、ダリウスと共に挨拶回りをすることにした。
★★★
(ふぅ、久しぶりの社交活動は疲れるわ)
半刻後、ようやく挨拶回りを終えたヴァネッサは疲れを押し殺して廊下を一人で歩いていた。手には、ダリウスから貰った水の入ったグラスが握られている。
(ハリー様と婚約した時は社交辞令並みの質問しかされなかったのに……殿下の魅力を甘く見過ぎていたようね)
何が決め手になったのか、愛の告白はどちらからしたのか、どこに惹かれたのか、どうやって彼のハートを射止めたのか……令嬢たちによる質問攻めにあい、ヴァネッサはすっかり疲れ果ててしまっていた。
のらりくらりと相手を攻撃しないよう会話するのも、もううんざりである。元より、ヴァネッサは他人を気遣うことに慣れていないのだ。
ダリウスがモテるということは、彼の類い稀な美貌と、縁談を断り続けたという話からなんとなく察していた。しかし、これほど多くの令嬢たちに好かれていたとは。
思えば、令嬢たちとの会話にいい思い出など一つとなかった。「類は友を呼ぶ」という言葉があるように、ギスギス、ドロドロしたお茶会ばかりだったせいである。長いこと社交界から離れていたため忘れていたようだ。
(それにしても……)
ヴァネッサは足を止め、背後へと意識を集中させた。
(さっきから誰かが後をつけてきているのよね。しかも、距離を詰めてきている)
廊下とはいえ、ダンスホールに直結しているため人を襲うには適していない。犯罪に慣れていない捨て駒という可能性はある。しかし、王族相手に痛手になりそうな者をけしかけてくる可能性は低い。
となれば、自身に声をかけることを躊躇っているただの知人、と予想するのが妥当だろう。
(仕方がないわ、声をかけてみましょう)
小さなため息をつき、振り返る。――その時、ハリーが眼前に躍り出た。
「おわっ」と呑気な声を出したあと、気まずそうな顔をこちらへと向けてくる。そして、一つ大きな咳払いをした。
「ヴァネッサ殿下」
「久しぶりね、どうしたの?」
ちょうどよかったと彼へ駆け寄る。刹那、ハリーが勢いよく頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした!」
「きゃっ!」
頭に浮かんだ、かつて見た血濡れの姿と重なり悲鳴が出てしまった。
四十五度に曲がっていた身体が微かに動き、久しぶりに覇気のある彼の瞳とかち合う。
「殿下がカレンを助けて下さった時、私は途中で気絶してしまいました。ですので、きちんと謝罪をさせて下さい」
血が飛び散ってもなお、何度も謝ってくれたのだからいいのに。そう言っても、頑固な彼のことなので謝罪の言葉を述べるのだろう。
ヴァネッサは彼へと向き直し、頷いた。
「殿下がカレンをいじめる原因をつくったのは自分なのに、そのことを棚に上げて、被害者でもある殿下を一方的に、下劣な方法で責め立ててしまいました。今は自分の浅はかな行動を後悔し、猛省しております。……本当に、申し訳ございませんでした」
ハリーはもう一度、深く頭を下げた。彼が本気だということは、緊張感の漂う静けさにも似た空気から察することができる。
ヴァネッサが顔を上げるように言ってもなお、彼は頭を下げ続けていた。仕方がないので、彼はこのままにして話しかける。
「もう済んだことだし、一度謝ってもらったのだからもういいわ。原因はともあれ、私にも非があったもの。だから、顔を上げてちょうだい。いつまでも頭を下げさせるほど、私は冷たい人間じゃないわ」
扇でハリーの額を小突けば、彼は眉を下げたままゆっくりと頭を上げた。
今まで散々カレンと共に王城にやって来ていながら、もう一度謝りに来るなんて。彼が真面目すぎる人だということを、ヴァネッサは今になって思い出していた。
「それに、お互いよかったじゃない」
「どういうことですか?」
「私はダリウス殿と、貴方はカレン嬢と。お互い、もっと愛し愛される相手と結ばれたんだから」
訝しげな目つきをするハリーに、ヴァネッサはふわりと微笑む。
小さく息を呑んだ彼は、グッと唇を引き締めた。ヴァネッサも真剣な眼差しを彼へと向ける。
「今度こそ、後悔しないようにね」
「はい。今度こそ、本質を見逃しません」
予想以上の返事が聞けたものである。
中身をすべて知ることは誰にだって不可能なもの。とはいえ、できる限り向き合い、触れることは可能である。ヴァネッサのことをきちんと見つめられていたなら異なった対処ができていたのではないかと、彼は思っているのかもしれない。
「その言葉が聞けてよかったわ。ところで……」
ヴァネッサの言葉に、ハリーが小首を傾げる。
ハリーとカレンが結ばれたという話を否定しなかったということは。ずっと気になっていたことを尋ねたくなってくる。
「カレン嬢の性格は、貴方が見ていたものとは違っていたわ。それでも好きなままでいる理由を聞いてもいいかしら?」
ニヤリと口の端を吊り上げて尋ねる。すると、ハリーの鼻先がポッと赤くなった。
「ああ、冷やかしでも嫌味でもなく知人としてただ疑問に思っただけだから、そこは勘違いしないでちょうだいね」
「冷やかしだなんて……もうそんなことは考えませんよ」
子どもの頃のやんちゃ話をバラされた青年のように恥ずかしげな表情をして、ハリーは頭を横に振った。次いで、戸惑いの色を滲ませた瞳を蕩けさせる。
そして、唇の端を緩めながら咳払いをした。
「お恥ずかしながら、私は同じ相手に二度恋をしたのです。キツさを感じる時は多々ありますが、それは彼女なりの照れ隠しだったり、強がりだったり、弱さの裏返しだったり……彼女のすべてが愛しくて、いじらしくて。むしろ、以前より惚れてしまっています」
「あらあら、お熱いことで」
ニンマリとからかうような笑顔を向けて、わざとらしい言葉をかければ、ハリーはぽりぽりと頭をかいた。
彼の照れる姿を見たのは初めてだ。幸せそうな、愛おしそうな微笑みもそう。にも関わらず彼の姿を見て心から祝福、というより、お節介をやきたくなってしまうということは、自分の中で未練が消えたということなのだろう。あったのかは微妙だが。
そう、何かと恋の行方が気になる二人なのである。バカ真面目で猪突猛進なハリーと、――先ほどからカーテンの裏に隠れている照れ隠しが乱暴なカレンの。
「いつまでそこに隠れているつもりかしら?」
「ひゃっ!」
ヴァネッサはツカツカとハリーの横を通り過ぎ、丸く膨らんだカーテンを剥ぎ取った。
可憐な声をあげたのは、他でもないカレン。彼女は顔を真っ赤にさせて、はくはくと口を動かしていた。眉を吊り上げている姿は怒っているようにも見えるが、どうせ照れているだけだろう。
「カレン、どうしダベッ」
予想は的中。カレンは近寄ってきたハリーの頬を引っ叩いた。
「どうしてヴァネッサ様の言葉を否定しないんですか!」
「相思相愛なのは本当だろう?」
「違いますけど!?」
慣れているのか、かわいいとでも思っているのか、ハリーは笑顔を向けている。カレンはその顔を睨みつけて、頬を膨らませた。そして、ヴァネッサへと視線を動かす。
「ヴァネッサ様も、どうして私がいることをバラすんですか!」
「気配の察知は慣れているの。こういう話は本人両方から聞いた方がいいでしょう? で、本当に違うの?」
「それは……」
ズイと前に出て尋ねれば、カレンは視線を床へと移した。その姿に懐かしくも種類の異なる加虐心が煽られる。ヴァネッサが目を細めて見つめたのは、可憐な赤い薔薇の刺繍。
「ドレスがお揃いのように見えるけれど」
「そうなんですよ! 嬉しいことに、前夜になって彼女がフゴッ」
イキイキと話しだしたハリーの口に、カレンの髪飾りが突っ込まれた。
「わたしのことはいいんです! さっさとお祝いの言葉をかけさせて下さい!」
「さっさとって……本当、照れ隠しがざ――モゴッ」
突如、ヴァネッサの口に一輪の薔薇がねじ込まれた。砂糖漬けにしているらしく、じんわりと甘い味が広がっていく。
「ご結婚、おめでとうございます」
「……ありがとう」
二人の行先は、これからゆっくり見守らせていただくとしよう。




