最終話・上 さようならは言わないでおきます
インバットからライルを連れて帰ってきて、カレンやらケネスやらに「またむちゃをしたのか」と怒られ、シェールには「手紙の返事がなかなかないから心配した」と泣かれ、火竜には「やはり面白そうなことになっていたか」と笑われ。ほんの数日休んだヴァネッサたちは、日常に戻ることはせず、再び慌ただしい日々を送っていた。王妃教育を前倒しで終わらせておいて正解だったと思う。
とはいえ、久しぶりに見た王城は懐かしく、自然と旅の緊張が解れていったものだ。自分の中でこの城が居場所として認識されているのだろう。そう思えば、改めて感慨深いものが込み上げてきた。
気付けば帰国してもう数ヶ月。これから倍の時間を過ごすことになるであろう自室の中で、ヴァネッサは小さくあくびを噛み殺した。
まだ太陽の登りきっていない薄暗い視界を塞ぐように目を擦り、再度ベッドの中へ潜り込む。その時、勢いよく外に放り出された。
「起きてくださいヴァネッサ様」
「ぶっ!?」
「フガッ」
ぶつかったモフモフとしたものに包まれるヴァネッサ。その背後から、ミアがコツコツと足速に近付いてくる。
寝ぼけた頭のまま離れれば、いつもより少し大きい火竜が目の前で鼻ちょうちんを作り出していた。モフモフしていたのは彼のお腹だったのか。
何度も瞼を合わせているヴァネッサの腕をミアが引き、数多くの女中を連れて廊下を歩いていく。
「朝からどうしたの? 今日は……あっ」
そうだった、とヴァネッサは口を手で塞いだ。唇の端がみるみるうちに上がっていく。
「殿下と私の、結婚式……よね」
「そうでございます」
キャー! と顔を赤く染めて喜び出したヴァネッサの頭上に水がかけられる。照れによる火災防止のために、廊下の至る所に水瓶を持った女中が配置されているのだ。
瞬く間に乾いてしまった髪で顔を隠し、スキップよろしく軽やかな足取りで廊下を進んでいく。
「どうしましょうミア! 嬉しすぎて目に映るみんなに投げキッスをしたい気分だわ!」
「昨夜も聞きましたよ。落ち着いてください」
「でもけっ、結婚よ? しかもだっ、だだダリウス殿下と!」
「いつにも増して噛みますね」
「だって、緊張もドキドキも段違いなんだもの!」
振り向いてそう言えば、ミアは心底呆れた様子で、諭すような目をヴァネッサへと向けた。それがほんの少しヴァネッサを冷静にさせる。
とはいえ、有頂天になるのも無理はなく、唇の端をピクピクと震わせてしまっていた。
鎖国的なアヴァランシェのことなので、来賓は少ない。しかし、王族の結婚ということでやることは派手だ。先週からずっと城下町はお祭り騒ぎで、これからまだ一ヶ月は続く予定である。今夜からは花火も上がるらしい。
ふと、浴室の扉を開けたミアがヴァネッサへと振り向く。
「まずは湯浴みをしてください。そのあと香油を使って全身にマッサージを施します」
「いいわね。人生で最大の晴れ舞台だもの、一番美しい自分を殿下に見てもら……ミア?」
花火が上がる幻想を浮かべていた窓の外から視線を戻して、はっと息を飲む。
女中たちが、数多くの瓶やら櫛やら、動物の骨らしきものやら、様々な美容道具を両手に溢れさせて立っていたからだ。
「え、えぇと……その中から好みのものを選ぶのよね?」
答えの代わりにと微笑んだミア。彼女の顔を見て、ヴァネッサの背中はヒヤリと冷えたのだった。
★★★
「くしゅんっ」
花嫁控え室にて、大ぶりな身体にしてはかわいらしい火竜のくしゃみが鳴った。
ヴァネッサはスカートの裾を掴み上げ、飛び出た炎をひょいと避ける。次いで、ズルズルと鼻を啜っている火竜を呆れた様子で見上げた。ほんの気持ちばかりの怒りを、両手を腰に当てて表現する。
「寒い中雨に打たれるからですわ」
「火山にこもっている時は雨の静けさなど感じられなかったからな」
この火竜、数日前に起こった豪雨の際に外へ飛び出し、小さくなった身体で急流ならぬ激流滑りをしたのである。
ヴァネッサはスカートの裾をミアに戻してもらいながら、短くため息をついた。
「ウェディングドレスがだめになったらどうするつもりなのですか」
「あれもいい、これもいいと何着か用意していただろう……どれ」
「……なんですか」
火竜は蝶ネクタイを爪先で掻きながら、「ほお」と喉を鳴らした。ジロジロと品定めするような目に晒されて、ヴァネッサは思わず視線を逸らす。
「馬子にも衣装とはまさにこのことだな」
「服に着られているということですか?」
ヴァネッサが訝しげな表情でくるりとスカートをはためかせると、ドレスは陽光に照らされてキラキラと輝いた。
「珍しく弱気だな。そういうことではない」
ニンマリと真っ白な歯を覗かせて、火竜が窓枠へと足をかけた。
「もう教会に向かわれるのですか?」
「ああ。遅れては氷狼に小言を言われてしまうからな。我の言葉の続きは[[rb:彼奴 > あやつ]]に聞くがいい」
火竜はまたいじわるな笑みを浮かべて、小さくなった身体で城下へと舞い降りていった。
彼奴、とは誰のことなのだろうか。小さな疑問に首を傾げながらミアの元へと戻ると、ヴァネッサの頭上にダイアモンドとサファイアをふんだんにあしらったゴールドのティアラがのせられた。
「緊張されていますか?」
「ええ、珍しくね。こんな日が来るとは思っていなかったもの」
最終チェックを行っているミアに、ぎこちない笑みで返す。
今になってようやく実感が湧いてきたらしい。ヴァネッサは緊張で固まりだした手を握り、大丈夫だと言い聞かせながら息を吐きだした。
(ブレイズの王女として生まれ、適当な家柄の方の元へ厄介払いされる運命なのだと思っていたし、それすらできずに死ぬことを嘆いたこともあった)
故に、王女として相応しい力をつける気もなかった。数ヶ月前から始めた王妃教育だって、ここ数日でまだ見られるものになった程度。まだまだ未熟な自分に、知らないことだらけのこの国の王妃が務まるのかと不安には思う。
それでも、今度こそ逃げ出さずに頑張っていこうと思えるのは、大切な人たちに出会えたからだ。自分が大切にしたいと思い、また、思ってくれる相手に。
諦めなくてよかった、あの日に戻れてよかった、勇気を出してダリウスの元へ飛び込んでよかった。
短くも、過去よりずっと濃い記憶に想いを巡らせながらミアと部屋を後にする。
結婚式当日ということで、ダリウスとは昨夜から一度も会えていない。だからだろうか、余計に緊張してならないのだ。
「もう少しですよ」
ミアの声に耳がぴくりと反応した。
あと数歩いけば、教会の扉が目の前に現れる。他国の、それも交易のない国王にエスコートをさせるわけにはいかないので、バージンロードは一人で歩くこととなる。
あと少しで式が始まる。数歩、あと数歩で――
「ヴァネッサ」
ハリのある革靴の光が見えた気がして、ヴァネッサは足を止めた。聞こえてきたのは、ひどく優しい父の声。
恐る恐るといった面持ちで顔を上げれば、同じく緊張に顔を強張らせた国王の姿があった。杖をついて立っている彼の姿は全盛期と比べれば弱々しい。しかし、真っ直ぐにヴァネッサを見やる彼の眼差しは、決して視線を逸らせないものであった。
(そうか、国王は今、初めて私を見てくれたのだわ)
これほどまで真剣に、彼がヴァネッサを見つめたことなどあっただろうか。きっとないのだろう。
「ヴァネッサ」
ようやく最後の一歩を踏み出したヴァネッサに、国王がもう一度声をかけた。
声の震えを抑えたからだろう、「はい」とだけ答えたヴァネッサの声は小さい。
どうして、と問う前に、国王がヴァネッサへと一歩近づいた。
「せめて、この愚かな私に最後くらい父親らしいことをさせては貰えないだろうか」
「本当に、どうして今さら父親らしいことをしてくるのです」
つっけんどんな態度を取ってしまったのは、まだ傷が癒えていないからか、素直になる方法がわからないからか。
ようやく自分を見てくれた喜びと、式を待つ緊張と、ほんの少しのいじけた幼心。それらを飲み下すように苦笑いを浮かべたヴァネッサを見て、国王がゆっくりと頭を下げた。
「何を――」
「すまなかった」
いくら世間知らずだったヴァネッサとはいえ、国王が頭を下げるという行為がどれほどのものかを理解していた。しかし、頭を上げるように言う言葉を遮ったのは、他でもない国王。
謝らないで、とも言えず黙ってしまったヴァネッサの前で、彼は深く下ろした頭をゆっくりと上げた。
「今になって、お前をきちんと見てやらなかったことを後悔している。……もしかすれば、お前こそ後継者に相応しかったのではないかとすら思うよ」
国王は、細めた瞳に哀愁を感じさせながら自嘲するような微笑みを浮かべた。
自分を改めて、いや、悪役のベールを脱ぎ去ると決めた直後から、彼を脅し、助け、騙し……と、彼に取っては悪行九割、善行一割であったはずなのに、後継者という言葉が出てくるほど信頼されていたとは思いもしなかったものである。マーティンの中身が露呈し始めているせいかもしれないが、それだけではないだろう。
しかし、後悔したところでもう遅い。このことを彼もわかっているのだろう。故に、彼はこれほどまでに切なげな表情を浮かべているのだ。
「どうでしょうか」
ヴァネッサはつられたとばかりに苦笑した。
「私の性格を歪めた原因が環境にないとは言い切れません。ですが、悲しかったことも、愚かだったことも、嬉しかったことも、すべての上に今があるのです。……それこそ、過去の過ちのおかげで彼らと出会い、今の私に変われたのですから」
「そうか」
国王はほんの少し息をためて、次いで、諦めたように応えた。それでも少し微笑んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
「国王陛下、いいえ、お父様」
ヴァネッサは小さく頭を振り、国王へと一歩近づいた。
「エスコートを、お願いしてもいいですか?」
「もちろんだ」
気恥ずかしさと遠慮を滲ませながら、無言で彼の腕を引く。はっと上げられた嬉しげな彼の顔を見ることができないのは、子どもらしい照れ隠しということにしてもらおう。
ヴァネッサにとって、彼は尊敬できる国王であったかもしれないが、決していい父親ではなかった。特別悪いとも言えないだけで、孤独を感じさせた原因の一人である。
どれほど大暴れしても処罰されなかったのは、母の面影が残る自身を側に置きたかったから。そのことに捨てられていない安堵と、自身を見てもらえない悲しさ、悔しさ、やるせなさを覚えたものだ。
それでも、こうしてエスコートされてみると感慨深いものがあるらしい。
(本当の意味で、過去のことを飲み込めたかもしれないわね)
自分だけでなく、相手も納得できたのではないだろうか。
微かな響めきが残るバージンロードを晴れやかな気持ちで歩いて行く。
(どうしましょう……恥ずかしさのあまり殿下を見ることができないわ)
国王の腕に回した手に自然と力がこもる。
「緊張しているのかい?」
「そ、それなりに」
「そうかい」
国王はクスリと笑って、そして足を止めた。エスコートの終了だ。
ほんの少し離れ難さを感じたことに驚きながら、ヴァネッサは腕から手を離した。その手に国王がそっと触れる。
「大丈夫だ」
どうしたのかと顔を上げて見えたのは、潤んだ瞳を細めて微笑む父の姿。
「お前は綺麗だ、唯一無二の美しさだ。……私が言えたことではないが、立派に育ったな」
唯一無二。幼少期のヴァネッサにとって、その言葉がどれほど欲しかったことか。
「私は本当に惜しいことをしたものだ。さぁ、行きなさい」
ずるい、と思った。
最後の最後で親子としての言葉をかけられるなんて、今の今まで思えなかったから。せっかく吹っ切れた過去や、ブレイズへの心残りがまた出てきてしまいそうになる。
「どうして、今になって」
母が気を病まずに生きていたら、両親が自分自身を見てくれていたら、そう望んでやまなかった幼少期の自分が、今になって素直さを取り戻したようだ。
ヴァネッサは潤んだ視界を指で拭った。癇癪を起こした後の子どものようにしゃくり上げそうになるも、どうにか抑える。
身体の右半分(壇上側)から感じられる不穏な気配を察知しつつ、一つ深呼吸。
「今までお世話になりました。これからはこの国で、幸せに暮らします」
この国のために生きる、という言葉はこれから誓うのだから、今はこれだけ伝えておこう。
ヴァネッサが力強く微笑むと、国王は最後にまた苦笑した。彼から視線を離し、次いで前へと向ける。
視線の先には、雪のように真っ白なタキシードを身に纏い、ふわりと微笑むダリウスの姿があった。祝福しているかのようにステンドグラスの光が降り注ぐその美しさに、思わず息が漏れてしまう。
緊張しながら壇上に立つと、彼はいっそう愛おしそうに目を細めた。
「……綺麗だ」
「ありがとうございます。殿下もお美しいですわ」
「美しい」と返されるとは思ってもみなかったのだろう。はにかみながら正直に伝えれば、ダリウスは眉を下げて笑った。
「こういう時、自分の口下手さが嫌になる」
「殿下はいつも、これでもかというくらい愛を囁いてくださっているではありませんか」
好きだの、愛しいだの、かわいいだの、これでもかというくらい与えてくれた。例えるなら、耳が砂糖で詰まりそうなくらいに。
しかし、ダリウスは不満のようで。彼は静かに頭を横に振った。
「そんなことはない。君に伝えられていないことが沢山ある」
「では、これから長い時間をかけて教えてくださいませ」
「もちろん、そのつもりだ」
ふと、彼が照れていることに気付いた。耳が林檎のように真っ赤に染まっているのだ。じんわりと灯った熱に、ゾクゾクとしたものが湧き出てくる。それと同時に、胸が激しく鼓動を刻みだした。
緊張と、喜びと、恥ずかしさとがごっちゃになって、ひどく落ち着かない。
かつて買い占めた宝石よりも輝いていて、部屋に何万とあったドレスにも及ばないほど美しくて、この世の何ものにも変えられない彼の瞳から目が離せない。
「ヴァネッサ」
ダリウスの柔らかな声色に、ドクリと心臓が跳ねた。落としかけていた頭を上げ、頷き、ようやく式へと意識を戻す。
その時だった。
「ヴェクシッ」
火竜の吐いた炎が、ティアラの上を過ぎ去っていったのは。
完結までの残り4話は毎日1話ずつ投稿します(*´꒳`*)




