20話 王子様にはなれない孔雀だけれど
今回と次回は視点が変わります。
ランプを売る声、無花果を売り捌く声、酒瓶がぶつかる音に、聴き慣れた舞曲。シストルム、ウード、カーヌーン、例えそこに楽器がなくとも、指先が動き出す。
町の外れに建つ古ぼけた塔。誰も知らない隠れ家の最上階。その窓縁にライルは腰掛けていた。
窓枠についた砂埃を柔らかな風で飛ばし、遥か遠くで輝く三日月を見上げて息をこぼす。
「そろそろアヴァランシェに着いた頃かな」
日が暮れてもなお活気ある人々の朗らかな表情とは反対に、ライルはひどく物憂気な表情を浮かべていた。
床には義妹のダリアによって近くのホテルまで送られてきた手紙が落ちている。ヴァネッサとダリウスが予定通りこの国を出たと知らせるものだった。ひどく名残惜しそうにしていたようだが、家を出て、今度こそ行方を晦ましたとなると今度こそ見つけられないと悟ったのだろう。ライルの期待通りである。
窓から降りようと両足を下ろす。――その時、幼女の声が耳鳴りのように響いた。
「つっ!……わかってるよ、ちゃんと約束は果たす」
相変わらず慣れない。そう疲れた笑みを浮かべながら、いい加減な態度で頷く。
「でも、この世界で生き終わってからにさせて。そうしたら、新しい世界であんたに攻略されてやるからさ」
声の主は不服そうだ。鼓膜がずっとビリビリと揺れている。
「俺を生きさせる方法がわかったんだし、もう少しだけ俺のわがままを聞いてよ。そんなに俺に死んでほしいわけ?」
痛む耳を押さえながら語気を荒くすれば、辺りはしんと静まり返った。……一応は承諾してもらえたか。
ライルはため息混じりに手を離した。窓から離れ、苛立ちをぶつけるかのようにふらりと歩く。刹那、背後でカタンと物音が鳴った。
「やはり逃げるんだな」
ライルが振り向くと、窓枠に座り、風に吹かれているダリウスの姿があった。相変わらず感情のないツンとした表情をしている。
ライルは驚きを悟られないようため息を吐き、じとりとダリウスを睨んだ。
「盗み聞きなんてたちが悪いね」
「お前こそ、別れの言葉もなく消えるとは随分と薄情じゃないか」
「薄情ねぇ……寂しがっているようには見えないけど」
表情が何一つ変わらないダリウスを一瞥し、ライルは煤けたベッドに腰掛けた。
「どうやって居場所を突き止めたの?」
「装飾品に小細工をさせてもらった」
「へぇ、氷の力は使い勝手がいいんだね。それはあの人の提案?」
「ヴァネッサか」
ライルが宝石がチラ見えしているバッグをくるりと回すと、ダリウスは小さく首を傾けて言った。
「うん、そう。でもその様子だと違いそうだね。ますます理由が気になるよ」
「お前はすぐいなくなろうとするだろう。どうせヴァネッサが心配して探すだろうから、念のために策を打っておいただけだ」
「ど、どうせ!? あっ」
淡々とした口調で説明したダリウスの側から、これまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ライルは盛大なため息を吐き、次いで窓へとつかつかと歩み寄っていく。
「……そうじゃないかと思った」
ダリウスの身体を退かしてみれば、彼の後ろで口を手で覆い隠しているヴァネッサが壁にへばりついていた。その後ろにはミアもいる。……流石にスチュワートは無理だったか。
早く出てくるよう伝えてから中へ戻ると、軽やかな靴音がカビだらけの木板の上でコツリと鳴った。
「どうして消えようとしたのですか?」
寂し気に眉を寄せて尋ねたヴァネッサ。彼女からライルは目を逸らした。
「俺はこの国が好きだけど、家の仕事は好きじゃない。もっとしたいことがあるんだ」
「それは、アヴァランシェにいてはできないことですか?」
「やけに引っかかる質問の仕方をするね」
誘惑するような眼をヴァネッサへと向けると、彼女の細く白い喉がごくりと動いた。
「単刀直入に言います。私と一緒に働きませんか?」
真っ直ぐな瞳で見つめてくるヴァネッサの姿に、ライルの胸がズキリと痛む。
「ダリウス殿下のお陰で温泉部門を設けることになったんです。メイさん達と共に温泉部員として協力してくれませんか? あっ、もちろん、無理にとは言いませんけれど……」
「ふっ」
あれほど強い眼差しをしていたのに急にしょんぼりと自信をなくすものだから、思わず笑ってしまったではないか。
最も、彼女の隣でブスリと眉間に皺を寄せたダリウスは来てほしくなさそうだが。それとも、「ヴァネッサの言うことを聞け」という圧だろうか。
「誘われる気はしてた。だから先に消えたのに」
ライルは息を吐き、次いで口を開いた。
「いいよ、温泉部員になってあげる」
「ほんとう!? ありがとう、楽しみだわ!」
こちらに駆けてきそうな勢いで顔を輝かせたヴァネッサを見て、次第に毒気が抜かれていく。
その時、彼女が「そういえば」と頭を捻った。
「先ほど誰かとお話ししている声を聞いてしまったのですけれど、その……何があったのですか?」
何一つ理解できていなかったのに誘ったのかと突っ込みたくなる気持ちを抑え、ライルはヴァネッサに近付いた。ダリウスはもう少しで答えに辿り着きそうな顔をしていたが、今はもう興味が移っているのだろう。
ピリピリとしだしたダリウスのことはあえて無視して、ライルはヴァネッサの手の甲に口付けた。相変わらず、押しには弱いらしい。顔が真っ赤だ。
「言ったでしょ、俺も同じだって。今はそれだけ教えておくよ」
「わかったから離せ」
「はいはい」
ダリウスが触れる前にライルは手を離した。次いで、この古ぼけた部屋にしては新しく美しい絨毯を掴む。
空へと投げれば、風に乗ってふわりと浮かび上がった。絨毯へと乗り移り、振り向く。
「帰る前にインバットを見て回ろうよ」
「で、でも」
ヴァネッサの視線が下へと向けられる。ダリウスが殺気のようなものを放っているが、彼女は気付いていないらしい。
「大丈夫、落ちないよ」
ライルはヴァネッサへと手を伸ばした。
「俺を信じて」
ヴァネッサの手が触れ、ライルはここぞとばかりに彼女を抱き寄せた。
殺気がマックスに達したダリウスにも手を差し出す。すると、面白いことに殺気が消えた。
「みんなで行こうよ」
なんということだろう。あのダリウスが少しばかり嬉しそうである。
ライルはダリウスの手を――
「なんてね」
「えっ!?」
引かなかった。悪戯な笑みを浮かべ、塔から離れる。
ワタワタとライルとダリウスを交互に見つめるヴァネッサを見て、また笑みをこぼした。
「わかってるよ、ほら」
ライルは指をクイと上げた。途端に近くの絨毯が起き上がり、ダリウスたちの前に浮かび上がる。もちろん、城下でこちらを見上げているスチュワートの前にも。
ライルはわざとらしくヴァネッサの肩を抱き、ダリウスへと笑いかけた。
「早く追いかけにきなよ」
「望むところだ」
わかりやすくやきもちを焼くダリウスに、鈍感なくせに変なところで気付いて戸惑うヴァネッサ。二人を傍観しつつも牽制してくるミアに、何やらメモを走らせているスチュワート。
今では、このやりとりがほんの少し楽しかったりする。
これこそ、死んでも言わないけれど。
これにてインバット編(ライル編)は終了です。ここまでお読みくださりありがとうございました!
幕間の後は完結編となり、最終話とおまけをだして本作は完結となります。終わりが近いにも関わらずブックマークをして下さる方や、評価をしてくださる方がいらっしゃり嬉しいです!
完結までどうぞよろしくお願いします(*´꒳`*)




