19話 二人の門出を見送りましょう
翌日の早朝、怪我人の介抱がまだ続く忙しない宿の玄関ホールにて、ヴァネッサたちはハッサンとスレイカ姫を見送りに来ていた。
主戦力を失っていたためか、幸い衛兵たちの中に重傷を負った者はいなかった。それでも、薬の効果によって気絶したままだったり、まだ痺れが残っていたり、中傷を負ったりしている者ばかりだ。とはいえ、医者の見立てによると数週間後には全員が回復できるらしい。
ハッサンは申し訳なさそうにロビーを見渡した後、授業により習得した礼儀正しい礼をした。その隣にスレイカも並ぶ。
「たいへんお騒がせしました」
「こちらこそ、一人で舞い上がり過ぎていたわ。お互い大きな怪我がないようでよかった」
ヴァネッサがそう言って微笑むと、ハッサンはもう一度深々とお辞儀をした。
「これからどうするの? スレイカ姫がいなくなったことで王宮は大荒れと聞いたのだけれど……」
「私は一度王宮に戻ります。そうして、お父様に面と向かって話をする予定です」
「僕はまず加護を精霊に返しに行ってきます。そして、この国でまともに働いてみようと思います。まだまだですが、せっかく文字が書けるようになりましたから。いつか彼女を迎えに行けるくらい大きな会社を建てたいと思っています」
ハッサンは頭を上げ、スレイカの手を取った。強い意志の宿る瞳で頷き合っている。
ふと、彼が眉を下げた。
「それでもだめだったら、今度こそ駆け落ちします」
頬を掻いたハッサン。彼の顔には破壊された扉の破片でついた怪我が見えたが、表情は憑き物が落ちたように穏やかで、晴れやかだった。
「仕事を始めるための資金ができたのは、あなたのおかげです。その恩に報いるためにも頑張りますから」
「いいのよ」
ヴァネッサが首を振れば、ハッサンは拍子抜けした表情で「えっ?」と声を漏らした。
「恩なんて考えないで、二人のことだけを考えて使ってちょうだい。そのためにチップを貸したんだから」
私の知らないところで、勝手に楽しく暮らしてちょうだい。
そう微笑んだヴァネッサの前で、口を開けていたハッサンの目に涙が浮かび出す。その時、馬の蹄が血を蹴る音が聞こえてきた。ガタガタと車輪が石の上で跳ねる音も。
「ほら、帰りの馬車が来たわよ。元気でね」
「ボルボレッタ様もお元気で。……ありがとうございました」
白塗りの馬車に目配せをすると、ハッサンとスレイカは最後にもう一度礼をして、馬車へと向かっていった。
微笑み合い、握る手に力を込め、そして離れていく。恋人との別れなのに、彼等から悲しみは感じられない。それほどやる気に満ちているのだろう。
スレイカは、朝の光を浴びながら王宮へ。
ハッサンは、まだ闇の残る路地裏へ。
下風によって砂埃が舞い上がり、渦を巻いている。消えた頃には、二人の姿は霧の中に吸い込まれていた。
砂漠の朝は寒い。薄衣を纏った腕を撫でながら息をツゥと吐き出したその時、ダリウスがヴァネッサの肩を抱き込んだ。
「見送りができてよかったですわ」
「そうか」
ダリウスがふわりと微笑む。
彼は誰も殺していなかった。スチュワートの処置がうまかったおかげか、後遺症は残らない程度に大量出血の状態で病院に運ばれたらしい。今は先に牢獄に入れられていた仲間たちと再会していることだろう。
予想だが、名だたる富豪たちによって釈放される可能性はある。しかし、モヒンが数多くの犯罪の証拠と共に警察に突き出された時点で、足切りにされる可能性の方が高いと言えよう。
捕らえたのはライルである。ダリウスの連絡が届いたことで、レイリーフ家の衛兵を動員してくれたようだ。とはいえ、ダリウスが証拠を持ち帰らなければ、ライルは危うい立場に立たされたはず。この旅を経て、二人の間にも信頼関係が芽生えたのかもしれない。
よかった、とヴァネッサは安堵の微笑みを浮かべた。ふと、ダリウスが寝室の扉を開ける。
てっきり朝支度を済ませて朝食をとると思っていたヴァネッサは、小首を傾げながらダリウスを見上げた。
「もう一眠りしてきたらどうだ? 無理やり起きてきたのだろう」
トントン、とダリウスが彼の目尻を叩く。
なるほど、くまができていたらしい。言われた途端にあくびが出てきた。
「では、ありがたくそうさせていただきますわ」
「ああ、おやすみ」
扉が閉まる寸前、彼の唇が額に落とされた。
「なっ……!?」
慌てて額に手をやるも、彼は微笑みを残して仕事に戻ってしまっている。
「殿下も疲れているはずなのに……」
救護班に指示を出す姿を眺めながら、ため息をつく。
すると、どこに隠れていたのかミアが隣にやってきた。
「お眠りになられないのですか? 今日は昼過ぎにライル様とお会いになられる予定がありますが」
「うーん……そうね、眠っておくわ」
まだもう少しダリウスの姿を眺めていたいけれど。
ヴァネッサはしぶしぶ寝室へと入り、ベッドの上で横になった。彼のせいで眠気が飛んでしまった気がするが、数分は粘ってみよう。
(そういえば、ハッサンが受けた加護はどのようなものだったのかしら?)
結局わからず仕舞いだ。
ライルに聞けば知っているだろうか。
ヴァネッサは少しの間うとうととし、次いで目を閉じた。
★★★
ザラムが壊滅。
町ではその話題でいっぱいだ。さらには、誰の仕業かを予想する声もところどころ聞こえてきた。というのも、モヒンを捕まえたのはレイリーフ家だが、直接的にザラムをボロボロにした人間は別だとライル自身が流したらしい。
そして、最も怪しい人物として上がってきた名前はウォルフとボルボレッタ。モヒンのカジノでの一件のせいらしい。大当たりである。
しかし、偽名だったためそれ以上は何もわからないようだった。
(それにしても、ゲームからだいぶ離れてしまったわね)
ゲームとあまり関係なさそうな二人の恋路を応援しようとしただけなのだが。
ヴァネッサは馬車の窓から見える町の景色を眺めながら、小さなため息をこぼした。
右大臣とザラムの逮捕、シャハリヤール殿下の暗殺未遂、そして、ライル生存。ここにきた当初はこのライル生存だけを目標にしていたのに。この世の出来事はすべて繋がっているというが、ここまで繋がっているとは思いもしなかったものだ。
会ったことがないのでわからないが、ヒロインは恐らくカレンのように"転生"というものはしていないように思う。もしそうなら、ライルの暗殺を止めようとしていた可能性がある。また、ライルからもそれらしき話を聞かされていたことだろう。
彼女にはほんの少し申し訳ない。
とはいえ、ゲーム通り生きる宿命なんてものはない。こうなれば、ライルが殺されなかったこの世界で、ゲームのヒロインよりは幸せに暮らしてほしいものである。
(って、私が思うのも勝手だけれど)
またいけない癖が出てしまったらしい。
ふっと笑ったその時、馬車が停まった。
窓の外から漆喰の壁が堂々と構えている。アラベスク模様にどこか実家のような安心感を覚えながら、ヴァネッサは席を立った。
「ついたな、行こう」
ダリウスが扉の先で手を差し出す。
「ありがとうございます」
ふわりと微笑んで、ヴァネッサは手を取り馬車から降りた。
とにかく、ライルの殺害を阻止できてよかった。お礼も言いたいし、今後どうするかも話したい。
また、踏み込みすぎず、あくまで本人の自由を尊重してのことだが、可能ならアヴァランシェの温泉部員に引き込みたい。彼の芸術センスはピカイチだ。
(まぁ、断られたら諦めるけれど)
ドキドキしながら彼の姿を待つ。
しかし、現れたのは、紫黒色の髪と金色の瞳が魅力的な美少女だった。




