1話 走馬灯は、前世の記憶も見せるようです
「誰か助けて!」
「逃げろ!」
王宮内に熱風が吹き荒れる中、人々が外へ飛び出していく。
「いや……どうして、どうして私が!」
喧噪の原因は、この国の王女ヴァネッサ。
苦し気に顔をゆがめ、頭を抱える彼女からは、絶え間なく炎があふれ出ている。
しかし、彼女の長い髪も、深紅のドレスも、靴も、すべて燃えていない。
彼女の前に、衛兵たちが槍を持って現れた。その後ろで、彼女と同じ金髪と、赤い瞳を持つ青年が指先を伸ばす。
「取り押さえるんだ」
ヴァネッサの瞳がかすかに揺れた。と、同時に、より強い炎が衛兵たちへと放たれた。
「だめです! 炎が強すぎて誰も近寄れません!」
「くそっ! なんだってこんなことに!」
「たかが婚約破棄されたくらいで、迷惑な」
――婚約破棄
その言葉が現れたとたん、炎の勢いが弱まった。
次いで、ヴァネッサの瞳が炎の外へと向けられる。
「ハリー……様」
すがるような弱々しい声で、ヴァネッサは手を伸ばした。
しかし、ハリーと呼ばれた男性は一歩後ずさった。その表情から読み取れるのは、不快感と恐怖感。
「化け物め……!」
「っつ!?」
ヴァネッサははっと息をのんだ。大きく見開かれた瞳が、じわりと涙でにじむ。
だが、涙さえも煙に変わり、彼女が泣くことはかなわなかった。
「私が、私が何をしたと――」
ヴァネッサが炎の塊となったその時、閃光と共にパァンッと破裂音が鳴り響いた。
辺りに、氷のような粒が落ちていく。
「何が起きたんだ?」
「見ろ! 炎が消えているぞ!」
「今だ! 取り押さえろ!」
衛兵たちがヴァネッサへと駆けていく。肝心の彼女はというと、地に倒れ、虫のような息をしていた。今までのことが嘘かのように、なんの抵抗もなく運ばれていく。
「危なかったわ」
「前々から王族に相応しくない方だと思っていたが、まさかこんな騒ぎを起こすなんてな」
「陛下もさぞお困りでしょうね」
「これで少しは大人しくなったらいいのだが」
誰もヴァネッサの心配をしなかった。彼女の肉親でさえも。
貴族たちの会話が聞こえたのかはわからない。だが、彼女の瞳からは、ようやく涙がこぼれたのだった。
朝露よりも小さく、温かな涙の粒が。
★★★
(ここは……医務室?)
ヴァネッサが目を開けると、白い天井が広がっていた。ツンとした薬品臭が鼻を刺す。
「いづっ、げほっ! ごほっ!」
辺りを見渡すため首を動かすと、顔の皮膚がはがれるような痛みが襲った。あまりの激痛に、声を出す。しかし、喉はもっと痛かった。
(私は焼けるはずがないのに、どうして?)
せき込んだ喉が、焼けただれたようにジクジクと痛む。
そういえば、視界もいつもよりぼやけている気がする。まるで全身やけどを負ったようだ。
どうしてこんなことになったのか。未だはっきりしない頭で思い出そうとする。
(痛くて集中できない!)
むしろ意識が朦朧としていく。息苦しさも感じるようになってきた。
ため息をつくのも憚られたその時、窓が開く音が聞こえてきた。
ぼやける視界の端でかすかに認識できたのは、黒い何か。
(あら? 体がひんやりとして、少し楽に……)
よく見てみると、誰かが自身を見下ろしていた。髪らしき部分が黒いことから、先ほど見えたのがこの人物だということがわかる。
「すまない。俺にはこうすることしかできない」
どうして彼が謝るのだろう。そう思った時には、男性の姿は消えてしまっていた。
(優しい声だったわ)
そしてどこか、寂しそうだった。
容態が落ち着き、ヴァネッサは目を閉じた。だが、誰かが扉をノックし、再び目を開ける。
「姉上。お体はいかがですか?」
隣へやってきたのは、弟のケネスだった。
小さい頃は自身の後ろをよくつけてきた、かわいい弟。最近変わってしまったけれど。
だからだろうか。自身を見下ろす彼の瞳は、かつてないほど冷ややかだ。
「――哀れですね、姉上」
「えっ?」
「へぇ。あれほど力を使っておきながら、話す余力はあるみたいですね」
「ケ、ケネス?」
どうしてだろう。熱いはずなのに悪寒がする。
「外に出すなら、しゃべれないほうがいいんですけど、うーん」
「何をするつもりなの?」
ヴァネッサが怯えながらも尋ねると、ケネスは爽やかに微笑んだ。
「安心してください。殺したりなんてしませんから」
「ころっ!?」
ケネスの腕がヴァネッサの喉へと伸びた。
(まさか!)
最悪の考えが浮かび、ヴァネッサの顔から血の気が引いていく。だが、彼の手を振りほどくほどの力は、残されていなかった。
あどけなさの残る顔が近づく。
「僕の大切な人をいじめたこと、これからの人生、すべての時間をかけて後悔してくださいね。姉う――ツッ!?」
喉元に力が込められた瞬間、ヴァネッサは彼の指に小さな火をつけた。それくらいのことしかできなかったのだ。
しかし、ケネスの手を放すには十分だったようで、喉元に開放感がもたらされる。
「(逃げないと)あっ」
無理やり起き上がったからだろう。体がグラリと倒れ、そのまま窓の外へ落ちていく。
「姉上!」
ケネスから伸ばされた手を、ヴァネッサは今度こそ振り払った。
まるで海の中にいるかのように、濃紺の空に涙が浮かんでいる。
悲しいのではない。悔しいのだ。
「まさか、今になって思い出すなんてね」
――自身が、ゲームのキャラクターであるということを
★★★
「ヴァネッサ様? いかがなさいましたか?」
「えっ?」
来るはずの衝撃に目を閉じたはずが、なぜか視界は良好。王宮の廊下がバッチリ見えている。隣には心配そうにこちらを見やる執事が。
「急に立ち止まられたものですから。あっ。会場までご案内いたしましょうか?」
「ちょ、ちょっと待ってちょうだい!」
「? はい」
自身の額に手をやり、再び目を閉じた。しかし、使用人たちの作業音は変わらずに聞こえてくる。
「その……会場って、なんの会場かしら?」
執事はかすかに眉をひそめた。
「本日開催される舞踏会の会場です。まさか、お忘れに――」
「いいえ!? そんなことあるはずないじゃない!?」
「そうですよね。失礼いたしました」
「き、気にしないで。あっ! そう、私、用事を思い出したの。もう行くわね」
「開始まであと約半刻ですが……」
「えぇと、気分! 気分が悪くて、風にあたりたいのよ」
「ヴァネッサ様!?」
じゃあ、とだけ残して、王宮の外へと駆けていく。王宮で走るなど、子供の時以来だろうか。
使用人たちに驚かれようが、かまわない。
ヴァネッサは庭に出て、噴水の前に立った。
水面に映っている気の強そうな女は、確かに自身であり、ゲームの悪役だった。
「私、このままだと殺されちゃうじゃない!!!!」




