モザン先生による隠し授業
「おっはー。 元気かい?」
「おはようございます……」
日曜早朝。
朝四時に鳴った仕事用携帯を開き、送られたチャットの指示に従って蓮司はスポーツウェアを着てから家の前で集合していた。
父親も母親も未だ寝ていて、奈々も鍛錬の疲れで夢の世界に旅立っている。
蓮司自身も眠気を抑えながら出たので足取りは不安定だ。そんな姿にモザンが苦笑していると、徐々に覚醒し始めた意識が叱咤を浴びせる。
「すみません、起きたばかりで眠気が……」
「良いよ良いよ。 目的地まで向かいながら眠気を晴らせばいいさ。 ほい、透明化装置」
投げ渡された黒い板の側面ボタンを蓮司は押す。
一瞬だけ周囲が歪み、直ぐに風景は元通りになる。モザンも自分用のカードを使って透明化を行い、彼女の手を借りて空へと飛び立つ。
透明化の機械は鍛錬場に向かう際に毎回使われる物だ。最初は驚いたものだが、何回も使っていれば適応して何も感じなくなる。
ヴェルサスの超技術が現代技術を凌駕しているのは最初の時点で理解し、今やどんな道具が出てきても極端に動じはしない。
驚いてばかりで疲れたというのが正しい表現だろう。
「場所は僕が作っておいたよ。 雲の中に白い板を一枚浮かばせてある」
「凄いですね、どうやってそんなことをしたんですか?」
「僕の超能力だね。 あまり目立たない能力なんだけど、物質の変換・再変換が出来るんだ」
モザンのコンセプトは再変換人形だ。
物体を何の役割も持たない原子に分解。莫大なエネルギーを使用して分解した原子を別の物質に結合する。これは一度分解した物質を再度分解してまた別の物質に結合することも可能だ。
これを用いればただの草木を金属に変えることも可能となる。それは傍から見れば物質の変換であり、何度も行えるが故にエネルギーが続く限り無限に武器や防具を作り出すことが出来る。
そのエネルギーを蓄える為、モザンの体内には澪の時よりも多くのエネルギー貯蓄器官が搭載されていた。
一ヶ月の連続稼働が行えるモザンは作成した人形の中では最長の生存時間を誇る。
その時間を削って今回はフィールドを作ったのだが、残存時間は三日分を削った程度。
つらつらと語った内容に蓮司は反則だと内心で呟く。
つまるところ、彼女が居れば資源問題は全て解決するのだ。世界中に広がるゴミを一度全て分解し、小分けして必要な資源へと変換することも可能なのである。
水すらも彼女の前では材料になるのだから、ヴェルサスは採掘も採取もする必要が無い。
当然彼女一人で全てを賄えるとは思えないので机上の話だが、それでも可能であればこれほど日本の役に立つことはない。
「その力、世界中で大歓迎されますよ。 目立たないなんてとんでもない話です」
「ふふ、有難うね。 でも戦闘向きじゃないし、僕の能力だけじゃ基盤一つ作れないんだ。 技術の塊ってのは一つの物質で出来ている訳じゃないから」
鉄製品は必ずしも鉄だけで出来ている訳ではない。
複雑になればなる程に、細かい部品には銅が使われていることがあるだろうし、金が含まれていることもあるだろう。
彼女が一度に変換出来る物質は一種類のみ。原子配列を理解出来ていれば何でも作れるが、それ即ち素材を用意することしか出来ない。
その上で技術部門に居れるのは、モザン自身が努力して技術の腕を磨いたから。超能力以外でも彼女は確り努力し、今やヴェルサスが一人での派遣を許すくらいの信頼を得ていた。
「残りの部分は全部努力じゃないですか。 凄い話ですよ、普通の事じゃない。 もっと胸を張っても良いくらいですよ」
「いやぁ、照れるな。 ヴェルサスの皆にも言われてるけど、あまり自分の力が凄いと思えなくてね」
頬を掻いて若干赤くしたモザンの顔は普段の美貌と相まり可愛さを際立たせる。
蓮司も思わず頬を赤くして顔を逸らし、その場には少々の沈黙が舞い降りた。重苦しさは無いものの、何やら甘酸っぱい雰囲気に蓮司は何だこれ何だこれと頭を悩ませる。
恋愛面について、蓮司は自身の想像する以上に弱い。
まともな異性が妹の奈々で、極悪な異性が真木だったのだ。他人という形で優しい女性と出会ったことが無く、だから純粋に喜ばれてしまうとどうすれば良いのか解らなくなってしまう。
結局、モザンと蓮司は目的地に着くまで互いに無言だった。
片方は演技だが、誰も解らねば表象の現実が事実となる。軽い咳払いで甘酸っぱい雰囲気を消し飛ばし、モザンは手を二度叩いた。
「ほらほら、到着したよ。 照れるのは止め止め」
着地した地面には柔らかな感触がある。
蓮司が試しにと蹴ってみると、蹴った分だけ地面は凹んでいる。ただし、直ぐにその場から足を離せば地面は元通りとなった。
まるで低反発マットである。歩く度に凹み、元通りになってを繰り返しながら二人は板状になったフィールドの中央に立つ。
向き合った両者に先程までの浮ついたものはない。どちらも真剣であり、歩きながら蓮司は自身の手にFMCを持っていた。
「そのFMCは起動させたかい?」
「一応はセッティングまで済ませました。 これで合っているかは解りませんけど……」
起動した際の初期設定はどんな機器でも当然ある。
蓮司の持つFMCも例外ではなく、違う部分があるとすれば手で操作するのではなく声で全てを操作するところだろう。
FMCには設定を円滑に進める為に専用のAIが乗せられ、設定時にはAIの性格すらも決めることが出来た。何故そんな細かい部分までと思いながら自分の使い易いよう設定し、結局メインメニューは見ずに電源を落としている。
充電は既存の携帯用の物でも出来るのは有難かった。そうでなければ折角持ってきても動かせなかっただろう。
「よし、それじゃあ起動してみて。 スタートが合図だ」
「はい」
スタート。
呟くと同時、液晶の画面は仄かな光を発しつつシステムを稼働させる。
下から上に向かって積み上がるように浮かぶメニュー画面はやはり携帯とは違う。基本的なアプリの一つも無く、あるのは三つのショートカットだけ。
一つは生体情報。一つは超能力。一つはAI情報。
ショートカットが並ぶ以上はタッチ操作が可能なのだろうが、名称だけでは何が出来るのかまったく解らない。
「うんうん、出来たみたいだね。 基本的にそれらは全て設定するだけしか出来ない。 設定した機能を動かすのは全部音声なんだ。 声は本人確認を兼ねているんだよ」
「だから三つしかないんですね」
「そ。 んで、これを受け取って」
パーカーを漁り、モザンが一枚のカードを取り出した。
カードの表面に描かれているのは、種々様々な物体を浮かばせているモザンの姿。背景は灰色であり、裏面も同じく灰色だ。
一般的に表現するならばトレーディングカードが似通っている。そのカードを受け取り、蓮司は困惑した。
「これは超能力者の力を封じたカードだよ。 疑似的に再現出来るのがFMCだけど、基本情報がないと正確な動作が出来ない」
「側面に穴があるのはその為ですか?」
「その通りだよ。 基本情報が入ったカードでFMCに超能力をインストールし、それを使って君は力を得る。 いたってシンプルだろ?」
シンプルだが、その説明によって蓮司はFMCのメリットとデメリットを理解した。
FMCは無能力者でも超能力を使えるようにするが、基本的には超能力者からの協力は必要となる。仮に蓮司以外が使うとして、誰からも協力を得られなければただの精密機器の塊と成り果てるだけだ。
そして超能力が入っていると彼女は語るが、その力はきっとモザンに並ぶ程ではない。これは蓮司自身の推測に過ぎないが、一割か二割分しか使えないだろう。
だが、それでも使えない事実と比較すれば十分。
早速蓮司は貰ったカードをFMCに入れて読み込ませる。膨大な量の情報が入っている為か読み込みに多少の時間が掛かったが、画面にインストール完了の文字が出現したことで終わりを迎えた。
カードは自動的に排出され、直ぐに溶けるように消える。
まるで力の全てを奪われたような消え方だが、単に情報隠蔽として消えただけだ。一度読み込んだ後に消えるように澪が細工しただけである。
「それじゃあ、勢いよく叫んでみようか!」
「叫ぶ?」
「そう! それじゃあ君も御一緒に!! ――Start our mission!」
「す、Start our mission?」




