現実的な妥協点と非現実的な理想点
「良かったのかね、あの書類を使わなくて」
生産拠点――対怪獣基地の食堂にて、渡辺社長と彩斗は共にラーメンを啜っていた。
若干、いやかなり違和感の強い光景であるが、二人は気にした様子もない。
深夜ということで人がまったく居ないお蔭で指摘もされず、彩斗作のラーメンを渡辺社長は実に美味そうに腹に収めていった。
「良いんです。 あの話を聞いてしまったら、強引に此方の都合を通すのも難しかったですから」
彩斗の胸ポケットには茶封筒が一つある。
澪によって用意されたヴェルサスとフォートレスの協力書がそこには入り、予定通りであれば今頃は封筒から取り出されている筈であった。
だが、サンライズ社長である遠上の言葉を聞いてしまった以上は書類は出せない。
これが予め計画されていたのであれば遠上にもっと言葉を重ねる事も出来たが、遠上には準備をするだけの時間がまるで無かった。
体裁を整える前に予定を設け、席に着かせたのだ。仮に準備をしていたとしても、事前調査との歪みで直ぐに看破出来てしまう。
彼の言葉は徹頭徹尾とは言わないまでも、かなり深い部分まで晒してくれた。
下手な嘘を吐かずにいたが故に妹の特異性も浮き彫りとなり、如何に彼女が愛された人間であるかも露呈。
削られるべきものが削られず、逆に他者ばかりが消耗していく姿は遠上から見ても理不尽に映ったことだろう。
人は何かを得る時、何かを失う。等価交換は人が生きる上で当然の真理であり、それを無視した人間など同じ人間であるかどうかも疑わしい。
同様の真似が出来るのは澪くらいなものだ。つまり分野が異なれど、あの二人は似た物同士であるとも言える。――それを言ってしまったら澪は激しく否定するだろう。
「報告書は見たが、君の妹は実に愛されていたのだな。 砂糖菓子の中に居たと言っても良い」
「子供の頃から皆に愛されていましたからね。 性根は比較的まともなんですけど」
「それが逆に性質を際立たせたのだろうな」
愛された者は甘え上手になりやすい。どのように振る舞えば他者が思い通りに動くかを本能的に知ることが出来ているのだから、通常はそのまま大多数の人間に依存した生活を続ける筈だ。
なまじ彩斗が冷たかったことと、元々の気質がまともだったのが災いしたのである。お蔭で彼女は砂糖の中で腐らず、ケーキの上に立つことを決めた。
その気高さも彼女の人気を集める要因となり、押しも押されぬトップアイドルとして輝いているのである。
――――代償行為無しの魅力極振り。それが現実でどのように作用するかを、彼女は深く考えもしなかった。
「百合にも了承は得ています。 俺も注目は受けてしまうのですが、透明化等を用いて移動などしておきます」
「私にとってはトップアイドルよりも君の方が大事だ。 本当に危険になれば、迷うことなく逃げてくれ。 仕事なんて気にするな」
「大丈夫ですよ。 味方は皆頼もしいですから」
スープを飲んだ渡辺社長は真面目な顔で彼を心配するが、当の本人はあまり物事が大問題に発展するとは考えてはいない。
百合はこの件を経て、他のアイドルとの付き合い方を一度考える。そして同時に、兄との接し方についても考えねばならなくなる。
彼女には負い目が生まれた。自分の所為であまり目立つことを良しとしない彩斗が余計な注目を浴びることになったのだ。
これからは中々顔を合わせることもないだろう。仮にあったとしても、それはよっぽどの事態か偶然以外に無い。
一緒の家で暮らすなど論外だ。それは彼女も理解し、去り際でもその話が出て来ることはなかった。
「そういえばヴェルサスの方から聞いたんですが、八つの小国から内密な話が舞い込んだのは本当ですか?」
この話は暗くなるだけだ。早い段階で話を変えようと空になったラーメンを器を眺めながら発すると、ああと渡辺社長は短く答える。
声音には怒り。自分を特別扱いしてくれと言わんばかりのお願いに、彼は本当に怒りを感じているのだ。
「身勝手な話だ。 世界全体で困窮しているというのに、小国であることを理由に優先的な援助を相談してきた。 しかもその量は、現在の我々でも準備出来ない程だ。 安定的に生産など出来る筈もない」
「話は断ったのですか?」
「当然だが、向こうは諦めた様子が無い。 金や資源が無い分、労働力や女を差し出してでも叶えてもらいたいらしい。 私達は神になったつもりはないのだがな」
溜息が食堂に溶ける。
渡辺社長の言葉に彩斗は同意的であるが、客観的に見れば神のような存在として認識されても致し方ない。
無限とも言える資源生産法。何でもない人類が怪獣と戦える武器。超常的な力を手足の如く操る能力者。
あらゆる国に属さず、邪魔する者は何が相手でも潰す。その無敵性は新時代の英雄とも表現され、故に要求される問題も通常の範囲から逸脱している。
資源の用意が簡単ではないのは全国共通。環境が悪化している現在、過度に資源を集めては環境悪化を加速させていると保護団体に猛抗議される。
小国であれば猛抗議一発で運営に支障が出るだろう。
どんな状況でも綱渡りに発展する以上、半ば無条件で資源を集められるのであれば誰だって手を伸ばす。
その性能に然程目を向けず、彼等であれば出来るだろうと謎の信頼を寄せるのだ。
英雄であるから、神であるから、きっと出来る筈だと。
迷惑な話だと彩斗も溜息を漏らす。人間はどこまでいっても人間で、出来ることと出来ないことは確りあるのだ。
これが何も知らない彩斗であれば、何が何でも阻止に走っていた。妹のことになんぞ目を向けず、国対組織の中で如何に溝の無い状態で落ち着かせるかを考えていたに違いない。
「一応、本当に一応ですが。 まだ決定事項ですらありませんが、フロー様から解決策が提示されています」
「何かあるのか……!?」
「私も確認しましたが、一気に全てを解決する案ではありません。 長い目で見ての話になります」
「それでも構わん。 聞かせてもらえるか?」
「解りました。 少し長くなります」
この時間に男二人が居ると怪しくなるが、彩斗と渡辺社長とであれば秘密の話だと納得することは出来る。
こんな場だからこそ話せる内容だ。丁度良いと彩斗は考え、例の生成装置の優先設置についてを渡辺社長に語る。
設置自体は簡単だ。既にアラヤシキ内では製作が始まり、三つ目までは完成している。
設置後に材料をぶち込み、生成する資源を指定することで装置は稼働を開始するが、今回秘密会談をした国はどれも技術後進国。
詳しく内容を教えるつもりがないとはいえ、彼等は技術先進国と比較すると明らかに不足している情報が多過ぎる。
罰則を与え、装置を守る壁を厳重にし、その上で材料輸送に関するルートを確立させねば安定した運用は難しい。
しかしその分、この経験の成果がモデルケースとして扱われる。今よりも小国達は注目され、もしかすれば他国が何らかの取引をしてくるかもしれない。
「元々我々だけで生成の全てを行うのは無理がありました。 世界各地に装置を設置し、各々で材料を賄ってもらう方が効率的になります。 ……ですが、そうするには我々にはまだノウハウがありません」
「確かにな。 この話は我々自身の経験値を稼ぐ手段になる訳だ。 ついでに小さいとはいえ国に恩を売ることが出来る。 このカードは強いぞ」
仮に資源を巡る戦争に発展するとして、小国はヴェルサスを味方しなくてはならなくる。これはそれだけの恩だ。反する真似など絶対に許されない。
「いや、良い話を聞いた。 次回の会談時に使わせてもらおう」
「はい。 ……ですが」
「無論、条件は限界まで引き出させるさ。 そうでなければヴェルサスにドヤされる程度では済まされんよ」
男らしい笑みを見せる渡辺社長に、彩斗も片方の口角を吊り上げて了を告げた。




