THE・SYURABA
空気が凍った音を彩斗は聞いた気がした。
澪が我慢出来ずに突撃して来なかったのは良かったが、通話による突然の婚約者宣言。
勿論彩斗は澪と婚約状態ではないし、今後も起きるとは言い難い。一心同体となっている彼女とは互いの想いは強制的に通じ合っているし、離れることが難しい故に生活空間も殆ど一緒だ。
最近では何時の間にか布団に入ってくれることもあったが、恋愛感情はやはり湧いてくることはない。最早居ることが当然過ぎて、家族愛しか出ては来ないのだ。
とはいえ、それは彩斗にとっての話。
澪を知っているのは後はメンバーだけであり、長年隠していた所為で目の前の肉親達は彼女について一切知らない。必然的に澪の言葉を一旦ではあるものの呑み込む他無く、そうしなければ会話を継続するのは難しいだろう。
「――それで、その婚約者さんがどうして此方に? 今は大事な話の最中ですので、後にしてはいただけませんか」
氷結した空気の中で、百合は一際強めの口調で言葉を発する。
敵意と警戒の混じった声は、少なくとも彩斗の婚約者に向けるものではない。そもそも、彼女は澪の存在をまったく歓迎していなかった。
以前の話を百合はまだ覚えている。共同生活をしていて、彼等は投機によって資金を稼いでいると。
恐らくその頃にはもう彩斗はヴェルサスの協力者として活動し、澪もそれに参加している。そもそもの投機が嘘である線も強く、関係性だけならば彩斗と澪は非常に強い。
『勿論直ぐに切るつもりだとも。 でもその前に言っておくけど、君を我が家に住まわせるつもりはないよ』
「……ッ、あなた」
通話が来たのは百合が言った後だ。澪の姿は無いのに、彼女は内容を知っている。
直ぐ近くで聞いていた。あるいは、何処かに盗聴器を仕込んでいる。
瞬時に可能性を浮かべ、百合は即座に後者だと判断した。この近くで話していたとすれば今頃は話声が聞こえるだろうし、彼女の美貌で注目を集めている筈だ。
彩斗の目も動いてはいない。呆れた顔はしているが、澪を探す素振りは一切見せなかった。
つまり、この突然の乱入は彼の望むところではない。
「私自身悪いとは思っています。 嘘か本当か定かではないとはいえ、交際している方々の家に住まわせてくださいと言っているのですから」
『それを理解した上で言っているあたり、君に引く気はないと?』
「……放置をしては兄さんはどこまでも無関係を貫こうとするでしょう。 そんなこと、私は我慢出来ません。 アイドルの地位も大事ではありますが、それよりも私は兄さんとの関係を優先したい」
二人の会話に口を挟める者は居なかった。
というより、下手に首を突っ込んで集中砲火を受けたくないのだ。両親は勿論のこと、彩斗の場合は事態の中心だ。
客観的に見て、実妹と婚約者が争っているのだ。修羅場と表現しても良く、これが解決するのは中々に難しい。
『見て見ぬふりをしたっていうのに、随分勝手だね?』
「だからこそです。 あの頃の兄さんに対して私は罪悪感だけを感じていました。 今度は、罪悪感ではなく愛情を向けたいんです」
『それだけ聞くと禁断の関係になりそうなんだけど? 彩斗には浮気をさせるつもりはないんだけどな』
恐ろしい話である。
どうして素直に話をするだけだった状況から女同士の危険な話に突入するのか。
澪はそもそも無性なので女同士とするには的確ではないが、しかし口振りから察するにその手の話も彼女は出来る。
厄介なのは、百合が頬を染めながらも決して否定の言葉を述べなかったことだ。澪としては半ば以上冗談だったのだが、彼女の反応を見た瞬間に遠くの人工皮膚が引き攣った。
百合に自覚があるかどうかは置いておき、彩斗のことを異性として感じているのは確かだ。兄妹同士の恋愛関係など基本的に有り得ないものだが、その有り得ない関係が百合の主導によって構築されつつある。
彩斗としても御免被る話だ。世間体が悪いだけでなく、あらゆる面で危険が多い。
露見すればファンにタコ殴りにされるのは勿論、今後のヴェルサスとしての活動にも支障が出る。
具体的に言えば子供組の白い目や、フォートレス達からの苦言だ。人間関係にも気を遣わなければならない現在において、後ろ暗いことは絶対に隠し通さなければならない。
『おいおい、流石に勘弁してくれ。 兄妹間で許されるのは友愛とか家族愛みたいなものであって、恋愛は無しだ』
「べ、別に異性として兄さんと接したい訳ではありませんッ。 変な誤解をしないでください!」
恥ずかし気に百合は言うものの、寧ろそうでなくては困るのが彩斗と澪の本音だ。
自分達の妹は少し見ない間に随分常識を歪めてしまったらしい。その事実に悲しめば良いのか、怒れば良いのか。
両親二名は複雑な眼差しを彼女に送っていたが、直接的な黒幕は彼等である。
文句を言う権利は無い。そして、この件については早々に終わらせる必要があると彩斗は嫌々口を開けた。
「兎に角、お前を家に迎えるつもりはない。 どんな意見を口にしても駄目なものは駄目だ。 引っ越ししたいなら卒業してから自分の足で探して移れ」
断じるように告げれば、端末に向けていた目を百合は彩斗に戻す。
彼は表情を無にし、絶対に受け入れない姿勢を取る。市役所に行けば彼の家の位置を知ることは出来るが、それで強引に荷物を持ち込もうとすれば彩斗による物理的な排除が始まる。
引くしかないのだ。少なくとも今この瞬間は、彼女は諦めねばならない。
悲し気な表情を浮かべ、百合は短くはいと彩斗に放った。それは彼女自身の敗北を意味し――同時に再戦へのチケットにもなった。
「……解りました。 今回は引き下がります。 ですが、私はまだ諦めません。 そちらの婚約者についても納得はしていませんので、悪しからず」
「好きにしろ。 何度来ても追い返すまでだ。 ――後、澪にも話があるからな」
『何? 今日も布団に入って良いって?』
「それはもう止めろって言っただろ」
「布団!? 一緒に!?」
二人の会話に百合はツッコみ、彩斗も彩斗で失言だったと頭に手を当てる。
それがますます現実味を感じさせ、百合の想像の翼を広げることとなった。意識が直接繋がっている訳ではないのでどんな想像をしているかは解らないが、きっと解らないままでいた方が幸せだ。
席を立ち、彩斗は一人足早にレストランの外に出る。
そのまま適当な裏路地に潜り込み、百合に追い付かれる前に地面を蹴った。
勢いよく身体は跳ね上がり、十階建てのビルの屋上に着地。そのまま更に建物の屋上を跳ねながら帰宅する。
『いやぁ、まさかあの女が彩斗に恋情を抱いていたとは。 予想外過ぎて僕も固まっちゃったよ』
「俺もそれについては驚きだが、一番の驚きはお前だ。 なに勝手に婚約者になってるんだよ」
『ん? まぁ、別に良いじゃないか』
厳しい問い掛けに、澪は至極軽く返す。
彼女にとっては婚約者など言葉だけの軽いものだ。契約書が必要な訳でも、ましてや誰か証人を立てる必要もない。
会社同士の重大な取り決めが関係していれば契約書等は存在するだろうが、彩斗達の間には不要だ。故に、誰がどう言ったとしても真実になりえる。
なんと不安定な立場か。吹けば飛ぶような地位を大事に思う者が居る事実に、澪は笑ってしまいそうになる。
『信じる奴は信じるし、信じない奴は信じない。 あの女もこの話を広めるつもりは無いでしょ。 だから、この話はここで終わりだよ』
「かもしれないが、出来れば一言教えてくれよ」
『ふふ、実は吃驚している彩斗も見てみたかったりして』
「おい」
冗談だよと、彼女は明るい声で告げた。
そして、人工的な顔は悲し気に微笑んでいた。




