βの後だと皆雑魚だよねって話
「向こうは無事に倒したみたいだよ、レッド」
海上。
遠くに中国の大地が見える海の上で澪は脳内で彩斗に語り掛ける。足元には氷が展開され、彼女の少し後ろには無数の中国艦艇が攻撃の矛先を怪獣に向けていた。
澪の目の前に居る怪獣を端的に表現するのなら、薄い紺色の蟹だ。
両腕は長く鋭い鋏を備え、背部に砂に汚れた黒い貝を背負っている。その貝も自然界で生まれるようなサイズではないが、蟹が入るにはあまりにも小さい。
足は六本。どのような原理か海上に足を僅かに沈めた程度でその場に立ち上がっており、澪との睨み合いをこれまで続けていた。
甲殻類でありながらも、そこはやはり怪獣。
下手な自然動物よりも思考を有しているようで、彼女を警戒すべき相手だと認識していることは一目瞭然だ。実際はそう見えるように操っているだけだが、解らなければ誰でも睨み合いが起きているとしか認識しない。
遠くのアメリカ近海では彩斗が暴れている。あちらに登場させた怪獣は巨大なサメだ。
『そうか。 まぁ、そうなってくれないと困るから良かったよ。 澪にとってもストレス発散にはなっただろ?』
「そうだねぇ。 やっぱり人と接するのは僕には向かないよ。 裏で行動している方が性に合っている」
膠着状態に痺れを切らしたのは蟹の方だ。
鋭い鋏を槍のように彼女に放ち、それを澪は氷の壁で防御。勢いもある一撃に空中に浮いた壁は後退するものの、それでも破壊にまでは至らない。
その鋭さだけで艦艇に穴を開けることすら可能な一撃は、呆気無い程に彼女の前では無力だ。――と同時に、背後の艦艇達から一斉に攻撃が始まる。
魚雷とミサイルが蟹を狙って迫り、鈍重な身体に悉く命中。爆発の余波は澪にも届くが、その衝撃も彼女の壁とパーカーの前では等しく無力。
中国側としては彼女の援護をしているつもりなのだろう。恩を売って国家防衛リストから外されたくないと考え、結果として怪獣に立ち向かっている。
澪からすればそれは煩わしいだけだ。
実際、攻撃を受けた蟹には僅かな痛痒も感じていないようで、煙を切り裂いて自身の健在ぶりを高らかに主張している。
そのまま移動を始め――る前に澪の氷結によって足の全てが止められた。
「ま、でもこうして自分の作ったものを実戦で試せるのは楽しいかな」
強引に引き抜こうとする足を空気中に漂う水分子を凍らせ、足全体を動けなくする。
こうなれば蟹の移動は不可能であり、取れる手段は澪を攻撃する以外に無い。
中国側は更に攻撃の手を強めるが、どれだけ命中しても無駄だ。寧ろ氷の破壊を手助けしてしまっている。
彼女の技術で作られた氷はそう簡単に壊れるものではない。しかし、物事には限度があるのも事実。
万が一足の氷結が解除されれば、蟹はさっさと中国側に逃げようとする。澪を相手にすれば負けると解っているが故に、そういう風に操作するしかないのだ。
中国側の思考が透けて見えるだけに邪魔だ。別に彼等を助ける為に今回の舞台を用意した訳ではないのに、実に都合良く解釈してくれる。
「あっちが終わったなら、こっちも終わりにするか。 ――ほら、凍って」
氷結が加速する。
周辺の水分子が風によって温度を低下させられ、停止させられた。それは足を伝って全身に巡り、暴れる身体も徐々に停滞させられる。
艦艇で見ている側とすれば信じられない光景だ。幾ら動画や情報で知っていても、実際に目にする方が衝撃が強い。
最終的には痙攣一つも出来ずに完全に凍らされ、頭上で生成された巨大な氷塊に上から落とされて身体を砕かれた。
呆気無い幕切れであるが、澪の現在の立場を考えればこうなってしまう。これで手古摺るようならβとの強さの剥離を指摘され、面倒な言い訳を用意せねばならなかっただろう。
「さて、それじゃあ迎えに行くとしようかな。 レッドは先に帰ってて」
『――ああ。 そっちに後は任せるよ』
彩斗は言葉を返し、目の前で暴れる土塊の巨人に蹴りを叩き込む。
場所は大西洋。それも極めてアメリカに近く、此方も澪と同様に海軍が既に出撃している。
彩斗が相手にするのは土の巨人。海底の砂や投棄物等を吸収して作られた怪獣であり、怪獣と呼ぶには非生物的だ。
それでも怪獣と呼ぶのは、その胸に生々しく動く心臓のような青い臓器があるから。その中には種が存在し、今も巨人に命令を送り続けている。
青い臓器は剥き出しである訳ではなく、半円の透明な硬質の膜に包まれていた。
その硬度はやはり自然界では誕生しない程。まともな兵器が全て効かないのは、澪が作る怪獣では当然だろう。
『……そっちは攻撃しないのか。 都合が良い』
アメリカ海軍は攻撃をしない。
無論、矛先は向けてあるし準備は済ませてある。後は引き金を押せば発射されるだろう状況で、それでも攻撃は仕掛けない。
此方は解っているのだろう。下手に手を出しても自分達が邪魔になることを。
或いは、レッドの戦闘を見ておきたいのか。未だ諸外国では彼等の情報は少なく、手にした戦闘動画も画質が粗い所為で満足に分析が行えていない。
空我は弱かったが、他国でも対怪獣兵器は進められている。彼等の強さを正確に測ることが出来れば、それが一種の基準となるだろう。
蹴られた巨人は幾分か後退したものの、倒れはしない。
それだけ安定していると言うべきか、レッドの一撃に耐えられる時点で見た目通りの強靭な防御性能を持っているのだろう。
そして、ボディが硬いのであれば物理性能も当然高い。手を握り締め、巨人にあるまじき速度で海面スレスレを飛ぶ彩斗を殴り付ける。
『速いと言ってもこの程度か。 期待はしていなかったけど、避けるのは簡単だな』
横向きに腕を伸ばし、炎を噴射させて滑るように回避。
二撃目が直ぐに飛んでくるが、それも上昇で回避。速いには速い攻撃であるものの、それは巨人という分類の中での話だ。
レッドという存在と戦う上で速さは重要である。それが基準を満たさないのであれば、威力が高くても意味をなさない。
伸びた腕に一瞬だけ視線を向けつつ、炎を噴射させながら胸に肉薄。硬い膜へと攻撃を叩き込むも、やはり一撃では罅すらも入らない。
『……ならこいつで』
海中でなら兎も角、レッドが居るのは空中。
一度距離を取り、焔を腕に収束させて再度突撃。拙いフェイントを交えた巨人の拳をすり抜け、同じ箇所に攻撃を行う。
衝撃だけでは巨人の壁を突破出来ない。ならば、攻撃以外の方法で突破するまで。
一気にマグマに等しい温度を浴びせられ、膜は悲鳴を上げる。軋む音を聞きつつ、張り付いた状態のまま三発目の拳で膜に罅が走った。
こうなれば最早脆いも同然。焦った巨人が身体を振って引き剥がそうとするも、足の装甲を一部融解させて接着。
自壊行為は後で修復が大変だからと澪に怒られるが、戦闘に集中している彩斗はその結論に行き着くことはなかった。
『よっこいしょっと!』
今度は炎を纏わず、純粋な拳だけで膜を殴る。
先程までは硬かった膜も割れ、拳一つ分の穴が開く。普通はこれで終わりだが、視認出来る速度で膜の修復が既に始まっている。
なので殴った瞬間に拳を引くのではなく、そのまま抉るように拳を沈ませた。臓器内に強酸性の液体でも入っていればそのまま腕が無くなっていただろうが、流石に彩斗の安全を考えてそのような液体は入っていない。
臓器に腕を突っ込み、そのまま指を弾いて一気に炎を内側で発生させた。
『これにて此処は終わりっと。 ……さて、後は問題の奴だな』
心臓が潰れたことで巨人は力を失い、その身体を自己崩壊させる。
土の塊となったボディを見やり、彩斗はアメリカ海軍を無視して空へと飛んで行った。
彩斗と澪の戦いは祭りの余興程度のもの。本番はキメラとバゼルの初登場であり、興奮と不安を抱きながら彩斗は澪と途中で合流してインド洋を目指した。