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薄曇りのカーネーション

作者: 果 一

薄曇りのカーネーション


 どうして、こんなことになってしまったのだろうか。

 俺は、情けない自分を呪い殺したくなった。

 後悔先に立たずとは、まさにこのことなのだろう。

 真っ青な涙があふれて、視界を曇らせる。

 歪んだ俺の視界には、病床に力なく横たわる母の姿が映っていた。


 ―――俺は、真田 純。

 フリーターの二十五歳、独身。

 何故フリーターなのかと言うと、まともな職に就けていないからだ。

 俺は勉強をするのが嫌で、とにもかくにも遊びたくて、現実から目をそらし高校を中退した。

 フリーターであることは、当然のことと言えば当然のことだ。

 高校を中退した俺は、毎日テレビゲームをして遊んだ。

 それはもう、毎日がパラダイスだった。

 俺には、高校を中退しても文句を言う人間がいなかったからだ。

 母親は兎に角、相手の好きなようにやらせるタイプ・・・というか、たぶん無関心だったのだろう。当時の俺は、そう思っていた。

 父親は酒と女に夢中で、浮気相手と再婚したいからという理由で蒸発した。

 もちろん、母はそんな夫にさえも、「お好きにどうぞ。あなたがそうしたいのなら。」とだけ言って、あっさり受け入れてしまった。

 そんなこんなで、俺は好きなようにダメ人間生活をしていたわけだが・・・

 

 俺が二十二歳の時、職も決めずに部屋でゴロゴロしていた俺に、珍しく母が声を掛けた。

 「ねぇ、純。」

 「なに?」

 俺は、読んでいたアイドル雑誌を閉じると、母を一瞥した。

 「あんた、家にずっとこもってないで、まともな職を探したら?」

 それは、俺にとっては青天の霹靂だった。

 母親がそんなことを言うなんて、考えもしなかった。

 だが、母の言うことは正論なのだ。このご時世、二十二にもなって、大学にも行っていなければ社会にもでていない者なんて、そうそういないだろう。

 しかし、愚かしいことに。俺は、母が今まで何も言ってこなかったことをいいことに、その正論が、正論だということに気付けなかった。

 母親のすねをかじって生きていくことが、あまりにも当たり前になりすぎていたのだ。

 「あ? なんでだよ?」

 だから、間違った回答をしてしまった。

 自分が、どこまで醜く、情けないことを言っているのかさえ気づかずに。

 「何でって、母さんもいつまでも生きていられるわけじゃないのよ。あんたをいつまでも見ていられるわけじゃない。・・・自立しなくちゃ、だって純はもう、子どもじゃないんだもの。」

 母は、毅然とした態度で言った。

 だが、それがどこか危機感を抱いた表情であることに、鈍感で世間知らずな俺は気付けなかった。

 「んなことわかってるよ。でも、あんただってわかってんだろ! 高卒の俺が、今更まともな仕事に就ける分けねぇだろ!」

 「高卒を選んだのはあんたなんだからね。自分自身でしっかり落とし前付けなきゃだめよ。」

 母は、きっぱりと俺の言い分を否定した。

 未だかつて、母がこんなにも俺の考えを否定した日があったのだろうか。

 その動揺と苛立ちから、俺は暴言を重ねていく。

 ―――その日。おそらく、生まれて初めて。

 母親と喧嘩をした。

 だが、母は最後まで俺の考えを否定し続けた。

 結局、激しい喧嘩の末俺の方が折れ、仕方なしに職を探しに家を出た。

 まぁ、あとはバイトやらなんやらを重ねて二十五になるまでフリーターとして生きてきたわけなのだが。

 

 ―――。

 ―――母が最後に俺に言った言葉。

 そう、確か・・・俺が家を出る直前に言った言葉。

 何故か母は俺に、「がんばれ」でも「いってらっしゃい」でもなく、


 “ありがとう”


ぴとっ

 俺の眼から流れ落ちた滴が、母の横たわる純白のシーツを濡らす。

 俺は、今になって知ったんだ。

 三年前のあの日、母は自分の最期が近いことを知っていた。

 だから、是が非でも俺を社会に出そうとした。自分がいなくなっても、生きていけるように。

 俺は、盛大な勘違いをしていたんだ。

 母は、なんに対いても無関心なわけじゃなかったのだ。

 今になったからわかる。

 母は、世間知らずな俺を悲しませないように、あえて自分の病気のことを伏せて、俺を送り出したんだということ。

 父親が自分勝手で蒸発しても、女手一つで、ゲームしかしない俺を育ててきてくれたこと。

 そして、母が最後にくれた言葉。

 (生まれてきてくれて)“ありがとう”。

 そのすべてを悟った今、俺はとめどない後悔と、感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 胸にとどめきれなくなった感情が涙となってあふれ出す。

 ―――母は、こんな俺のことを愛していてくれていたのだ。

 「なんで、もっと早く言ってくれなかったんだよぉ! 病気だってことをよぉッ!」

 ぼろぼろと涙をこぼしながら、俺は、もう二度と開くことのない母の眼を見つめる。

 きっと、母なりの配慮だったのだろう。

 世間をろくに知らない息子が病気の自分を見たら動揺し、ようやく社会人として歩き出した息子に支障が出るとでも思ったのだろう。

 だから、母は今日亡くなるまで、俺に病気であることを伏せていたのだろう。

 「バカが・・・! “ありがとう”は俺の台詞だよ!」

 俺は、精一杯の感謝を込めて母の亡骸を抱きしめた。

 くしくも、今日は五月十日。

 母の日。

 俺は、母の枕元に一輪のカーネーションを添えた。

 親孝行なんてしなかった俺の、生まれて初めてで、最後の贈り物だ。

 俺は、その真紅に輝く華を添えた後、静かにもう一度、同じ言葉を母に告げた。


 「ありがとう。」










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