苛立つ王妃のうさばらし、巻き込まれて約束した僕らの夜間飛行訓練
トーケンと呼ばれた彼には、『ロイ』という友人がいた。
紫鉱議会に属するマーキュリーという貴族の軍事奴隷だ。
トーケンはその成り上がりの紫鉱議会の貴族が飼っている奴隷の重騎兵パイロット『ロイ』と親しい友人で、彼の笑顔と身振り手振りが大きな豪胆さが好きだった。
彼は人と会うと、力比べのように相手の手を握り潰すような握手を求める。
大きな笑顔の声がでかい男で裏表のない屈託のない笑顔を向けてくれる好青年だった。
今日もトーケンはロイに握り潰されるような握手で痛む掌を、労わるように撫でながら「マスターにもそんな握手をするのか?」と訊いた。
ロイはハッと身を引くようにして、「バカ、マスターに俺から触れられるものか」と真顔で答えた。
「だな」と答えてトーケンは向こうから歩いてくるマベリアを確認した。
背後には、マルムという軍人然とした男が付き添っている。
確か、王室付きの衛兵だったかもしれない。
マベリアは、トーケンを見つけると早足で近づきながら、マルムへ「もうよい、下がれ」と言うが、マルムは、「少しおやすみになった方が…」と食い下がった。
「初めての議会への参加です、おやすみになられながら、今日のことを振り返られるのも王妃様としての役割かと。」と話しかける言葉を遮るように「もうよい!振り返るまでもない議会であった!その結論ははっきりしている!何を今更!」と語気を強めて言い放つ。
「妃様!もう少しこの国のことに興味をお持ちくださいませ!そのことがひいては貴方様のためにも…」
その言葉にマベリアは、マルムの襟首を掴み上げた。実際マルムは、長身の筋肉の塊のような男だったため、襟首を小さな華奢な手で小突いただけにとどまったが、それでも効果があった。
「あー!!私に忠言めかした言葉を吐くのか!貴様、何様のつもりだっ!」
そう怒鳴る姿は、まるで、大人を子供が非力な力でかしずかせようとしているように見える。マルムは傷ついた顔で不服そうに、忠誠を尽くした自分が受けた仕打ちにたじろいだ。赤子と大人くらいの見た目の違いがある二人だ。
それを見て、トーケンは、職位、冠位というのは、物理的な力が微力でも相手を黙らせる力になるんだなと、漠然と思った。そして、大人は、思ったよりも繊細なのだ。好意を持つ子供からの蔑みであればあるほど傷つくのだ。
それは、好ましい子供を思い通りに動かしたいという大人のエゴが満たされない時の落胆と、苛立ちと、逆らえない権力。引き裂かれそうな思いを抱いている姿に違いない。
ロイは、そのやりとりを見ながら、トーケンに「気難しそうなマスターだな。」と小さな声で控えめな感想を伝えた。
「そうでもないけどね」と、トーケンはそのやりとりを見つめながら無表情に答えた。
トーケンにとってマベリア王妃は、冒険好きな、変な歌をご機嫌に歌う十六歳の少女だったし、実はマベリアが他の自国の貴族に対してどのような態度で接しているのかをあまり知らなかった。
マルムと言い争う中、ロイのマスター、紫鉱議会のマーキュリーがマベリアを追うようにして、小走りで駆け寄ってきた。貴族が落ち着きもなく駆け寄ってくる姿をトーケンは初めて見た。
貴族は危急の場合を除いて走ったりしない。それをやってしまうこと自体が成り上がりの成り上がりたる所以なのかな?という思いを抱いたが、ロイにはそれを伝えることはない。
マベリアが嫌う、新興貴族の紫鉱議会の中の一人で採掘場で会った…いわゆる、成り上がり…。
マベリア妃から言わせれば、紫鉱議会の連中は、紫煙鉱石の採掘と実用化を行って商人と繋がりながら議会にやってきた商人崩れの『成り上がり』だった。
紫煙鉱石の暗い採掘場で見た、長髪のハイバリトンの若い男性で、マベリアと向き合って話している姿にトーケンは少し居心地の悪い疎外感を抱いていた。
マベリア妃は成り上がりを嫌っていたが、マーキュリーに対してもそうなのかという部分はトーケンにはわからなかった。
ロイのマスター、マーキュリーは暗がりで見た時よりも美しく見えた。
男性でありながら細身で長身の繊細そうな風貌をもつ若者だっだ。
噂に聞く紫鉱議会の構成員が野心家だとは聞いていたが、マーキュリーは全くの別人に見えて不思議な気がした。
もっと、ギラギラした欲の塊のようなマスターかと思っていたな…というのが第一印象だった。
なぜなら、貴族の成り上がりというのは、職位や官位が欲しくていつも目を血眼にしているような印象をマベリアの話から聞いていたし、隙あらば誰かを蹴落とそうとする姿を想像していたから。
マベリア妃は、マルムを追い払いたいがためだけに、ロイのマスター、マーキュリーを気に留めて振り返った。通常であれば、言葉も交わさないだろう相手が一礼をし、お時間を…というのを頷いて受け入れた。
「大事な話だ、下がっていろ!」と、そんな言葉をマルムへ向けて投げつけるように言い放つ。
マルムは驚いたように「そのものは紫鉱議会の…」と異を唱えたが、「知っておる!下がれ!」と金切り声でヒステリックに撥ね付けて、マベリアは興奮のあまり、肩で息をしている。
マルムは、屈辱的な仕打ちを受けたというような顔をして、渋々下がっていった。紫鉱議会の者よりも、自分が邪険にされたことがひどくプライドを傷つけられたという感じだ。
マベリアは、ふっと力が抜けたように体から力を抜き、壁にもたれかかりながら「で?」とぞんざいな態度で話しかけた。
小声で二人は五分程の時間話していた。マベリアは腕組みをして、細いヒールの音を落ち着きなく鳴らしていた。口の端は引き結ばれ、身長差がある相手を下から威圧するように凝視しながら。明らかに喧嘩を売っている態度だったが、相手は落ち着いて、声を荒立てることなく、おそらく、理路整然と話をしている。
マーキュリーは、苛立ちぞんざいな態度を示すマベリア妃が子供に見えるくらいには、大人の対応をしてくれていた気がした。
妃は踵を返し「トーケン!ついてきなさい!」と声を張って呼びかけた。マーキュリーはトーケンを振り返る。マベリアはそのまま歩き去ろうと背中を向け、いつもと同じような大きな歩幅で歩き去ろうとしていた。
トーケンは、マベリア妃が背を向けて立ち去る時に、マーキュリーと目があって自然と頭を下げていた。彼は片手を上げてトーケンに応え「ロイ行こう」と自分の奴隷に低い落ち着いた声で促した。
ロイは、おろおろとマベリアとトーケンを交互に見ていたが、マーキュリーを二、三歩追うように歩き始めて思いついたように「トーケン、またな!」と言った。
立ち去り側まで、終始マーキュリーの声のトーンは誰に対しても変わらなかった。
ロイは、「トーケンまたなー!」ともう一度声を高くしながら挨拶をしマーキュリーと共に帰っていった。
トーケンは首を垂れながら、このロイのマスターとはいずれまた会うなぁと、そんな気がしていた。
マベリアは回廊を歩きながら、追ってきたトーケンを待ちきれなかったように話し始めた。
さっき見聞きした会議のことを洗いざらい喋って、自分の考えを改めて言葉にしようとしていた。
「信じられない話、フィコは戦争を起こそうとして小国に脅しをかけているんだよ…私が信じていた貴族たちが、こんなにも露骨に人のものを欲しがる下衆なやつらだとは思わなかった!」マベリアは、握りしめた小さな拳を震わせながら話していた。
母上なら、私の気持ちをわかってくれると思っていたのに…また、言われたよ…。生まなければよかったと…。」
「そうですか…」トーケンは、興味がない声色で答えた。
「母上は、王様が絶対なのよ。あのつまらない王様がね…」
「そうなんですね」トーケンは、マベリアの鬱々とした気持ちを推し量ろうともせずに、相槌をうつだけだった。マベリアは激しく怒り続けたかと思うと、母のことになると、みすぼらしく意気消沈した。消え入りそうな声になっていく。
どんなに冷たくされても、マベリアは母親のリィナが好きなんだなと、トーケンは思った。
マベリアがふわぁー…と、わざとらしくため息をつくように吐き出した声が震えている。「トーケン、お前の重騎兵を見に行こうかー。今日は、飛べるのかなぁ…。」
あの紫煙鉱石を見に行った空の旅が、よほど楽しかったのだろうなと、トーケンは思ったが軍事用の重騎兵にマベリアが乗りたいということに対しては、賛同しかねた。
あの時に乗せた偵察やテストパイロットが搭乗するような機体とは乗り心地が悪い、それ以上に飛行する高度が高く速度も著しく違うため、トーケンは躊躇し、わざとらしく地上から自分が飛んでる重騎兵を見たいのかと問いかけてみることにした。
「飛んでる重騎兵が見たいんですか?もう、この時間なので、飛行許可が取れるかどうか…。夜になると、下から見てもわかりませんよ。識別燈くらいしか…。」
「そうか…。いじわるだねトーケンは。わかってるでしょ?もし、飛行許可が降りたら私も一緒に載せて飛べる?」
「妃もですか?無理ではないと思いますが…お時間をいただかないと…」
トーケンは、気が乗らない。
「大丈夫。すぐにトーケンと一緒に飛びたいんだ。みんなには内緒で乗せて。」
トーケンはその言い草に「久々に、冒険ですか…?」と聞くと、「そうだね。久しぶりにあの時みたいに無茶はしないけど、冒険だよ。」とマベリアが俯き加減で笑いながら答えた。
「冒険かぁ…。結構私にとっては無茶なご提案ですけど…いいですね、しょうがないです…」
トーケンは冒険という言葉を聞くと眩しそうな顔をして、夜間単独の訓練飛行の許可は出るのかな、出たらいいなぁと、願うように思った。