放物線のてっぺん、全方位の夕焼けをふたりで
丘の上を流れる風が強くなってきた。
日が暮れ始めた。
単座の重騎兵の簡易シートを据付けてマベリアを連れ出した。
いや、マベリアが強引に紫煙鉱石を見に行きたいと言ったから…。
そう…どちらかと言えば連れ出されたのはトーケンだった。
トーケンはパイロット用のヘッドセットに備え付けられているモニタで、外の景色は見えるものの、マベリアにとっては閉塞感しかない乗り心地。
暗い計器が明滅するコクピットは、王妃マベリアにとっては何も興味を惹くものではない。
気のみきのまま出てきてしまった。耐圧スーツもなしに。
乗り心地は最悪のはずだが、マベリア王妃は細い顎を引き気味に詰襟の中に埋めて、上目遣いに唇を噛んでいた。
「マベリア王妃…唇を噛まないでください、衝撃で唇を噛み切ってしまいます」
「ん…あぁ」
マベリアは、上昇する機体の中で、そう応えるのがやっとらしい。
「歯は食いしばっていてください、少なくとも離陸直後は…マウスピースもありますから…」
「ひゅぅ…」と押し付けられた上昇圧力に声を尖らせた口から絞り出されるような返事をした。
ふわりと、機体の中の上昇圧力が三十秒後に緩むと、マベリアは細い喉で空気を貪るように吸い込んだ。
機体の中は、機密性が高い。気圧の低下ではなく肺を押しつぶすような上昇の圧力で呼吸ができていなかったのだ。
一息つきトーケンは革製の肉厚なフライトジャケットを手渡した。
「十秒でこれを着てください」
そう言うと、マベリア王妃は上がった呼吸を整えながらそれに袖を通した。
「気圧マスクも装着をお願いします」
テストフライト並の慣らし運転のような飛行では、気圧マスクは着用義務はないが、マベリア王妃に外の景色を見せてあげたかった。夕焼けと夜の際に心を虚無にされそうな、こんな時間から守ってやりたかった。
マベリアの計器の光を集めたような瞳の輝きが、疑問に満たされこちらを見ている。
「キャノピーを上昇頂点で一旦開きます、フィコの上空から夕焼けの空を一緒に観ましょう」
トーケンがそう言うと、マベリアは大きな笑顔を見せて声を出さずに笑った。
そして、キャノピーが大きく開く。
重騎兵が放物線の頂点でゆっくりとくるくると両手を広げて舞う。
空の豊潤な色彩をバラ撒き散らす夕暮れだ。
風に吹き上がって流れ、たなびく雲に包まれる。
「ふぁあああぁ!」
マベリアは言葉にならない声を出し、トーケンはインカム越しにそれを微笑みながら聴いた。
彼女はバックシートから、身を乗り出しながら、シートベルトの拘束を解こうとしている。
それを認めて、トーケンは心臓を掴まれるほどの衝撃を受け、キャノピーを閉じる操作をしながらマベリアを強く抱き寄せた。
「な、なにしてるんですか?!落ちます!」
惚けるような顔をして、トーケンを見つめたマベリアは、言った。
「キレイだったんだもん…飛べるような気がした…」
そう言いながら一筋の涙を落とした。
美しいものをみた時に、訳もわからず涙を流す時がある。
より、深い痛みに囚われている者にとって、この世ならざる美しさに一瞬でも魂を奪われた時、その鋼のような体を引きちぎるようなしがらみが失せ、解き放たれる。
美しさは、生き続ける枷からの、ほんの一瞬だけの開放。
その一瞬が、誰かの人生を変えることもあるのかもしれない。
トーケンは、不思議な気持ちでそれを言葉にもできずにいた。
マベリア様を王様の元へ送り届けなきゃ…。
それだけが、トーケンの胸の中で痛みを伴い明滅していた。