30分5000円で寂しい中年男性のママをやってあげるお仕事
「ねぇ聞いてよ、ママ! 今日ね、僕がいっぱいお仕事を頑張ったおかげでなんとか納期を守ることができたんだよ! すごいでしょ!」
新宿のビルの一角。ピンク色の壁紙が貼られた狭い個室の中で、今年四十五歳になるというお客さんが表情を輝かせながらそう語った。私は少しだけ大げさに驚きながら「すごいね、明憲くん」と褒めてあげる。お客さんは興奮混じりに鼻息を鳴らしながら、かばんに入っていた自分のPCを取り出し、自分がどのような活躍をしたのかを事細かに説明し始める。
すごいね、とか、頑張ったねといった相槌を打ちながら、私はお客さんの話に耳を傾ける。数年前まで女子高生だった私にはちんぷんかんぶんな内容だけれど、そこはプロとして表情に出すわけにはいかない。お客さんは話の内容を理解してもらいたいのではなく、ただどれだけ自分が頑張ったのかということを知ってもらいたいだけ。おだてる度にお客さんの頬が緩むのを観察しながら、私は店長が研修のときに繰り返した言葉を思い出す。
「明憲くんがいっぱい頑張ったから、会社のみんなもこれで明憲くんを見直してくれるね」
お客さんの説明が終わったタイミングで私はそう言ってあげた。しかし、自分なりに気を利かせた言葉にお客さんの表情が一瞬で曇る。ヤバッと口に出しそうなのを必死に押さえ、母親役らしく「どうしたの、明憲くん」と穏やかな口調で尋ねる。
「それがね、ママ。今回の件で一番頑張ったのは僕なのに、上司の佐々木が自分の手柄のように周りに自慢してるんだ。もちろん、僕はみんなにそれが嘘だって教えようとしたよ。でもさ、佐々木は仕事ができないくせに、口だけは達者なもんだからさ、みんな佐々木の言うことしか信じてくれないんだ。やっぱり、どれだけ頑張ってもみんな僕のことなんて見てくれないのかな……」
あーあ、卑屈スイッチが入っちゃったよ、最悪。そう思いつつも、私は先程の失言を取り返すための方法を必死に考える。すぐに対応マニュアル3ページ目の内容が使えるなと判断した私は、ぐっと身体を近づけ、お客さんの頭をそっと自分の胸に抱き寄せた。湿った古い雑誌のような頭皮の臭いを我慢しながら、私はお客さんの背中を軽くさすってあげる。
「会社のみんなが知らなくても、ママは一番明憲くんが頑張ったことを知ってるよ。頑張ったんだよね、偉い偉い。ママはどんなときも明憲くんの味方だからね。だから悲しい顔しないで。明憲くんが落ち込んでると、ママも悲しくなっちゃう」
お客さんが顔を私の胸に埋め、背中に手を回す。その手は芋虫のように私の背中を這いずり回り、お尻へと向かっていく。母親を求めておきながら、性的な対象としても自分を見ているその卑しさに、心の底から嫌悪感が湧き上がってくる。それでも私はぐっと我慢しながら、お客さんの背中をさすり続ける。気持ち悪い部分も小賢しい部分も、そのすべてを受け入れてくれるママをお客さんは求めているのだから。
お客さんが顔を上げる。涙と鼻水で濡れた顔をティッシュで吹いてあげると、お客さんがえへへと甘えた声を出す。
「ママ、僕のこと好き?」
「もちろん大好きだよ」
「本当?」
「本当だよ。ママは明憲くんのことが世界で一番大好きだよ」
毎回気持ち悪いセリフを言わせるんじゃねぇよと思いながら、私は笑顔で答えてあげる。
「僕もママが世界で一番大好きだよ!」
両手を広げ、大きく肥えた身体で私に抱きついてくるお客さんを私は下半身に力を込めて受け止める。そして、ちょうどそのタイミングで壁に設置されていた時計のアラームが鳴り、サービスの終了を私達に知らせてくれる。
お客さんが甘えた声で「もっとママといたいな」とつぶやきながら、とぼとぼと帰りの支度をし始める。私が服についた皺を手で伸ばしながら個室のドアを開けると、お客さんはバックから取り出した手提げ袋を私に手渡してくる。
「はい、これ。ママが大好きな千疋屋のゼリー」
「わぁ、ありがとう! ママ、嬉しい」
サービス時間はすでに終了していたが、私はママの役で喜んで見せる。数ヶ月前に一度だけ大好物と言ってからというもの、このお客さんは毎回同じものを持ってくるようになって困っている。マイブームはとっくに去っていて、正直嬉しくもなんともない。それでもお客さんが満足してくれるならと割り切って、私は過剰に喜んで見せる。
「いってきます!」
「いってらっしゃい」
お決まりの言葉で私はお客さんを見送る。それからしばらくしてボーイの子が清掃のために個室に入ってくる。
「湊くん、これあげるよ。妹さんとでも一緒に食べて」
私が湊くんにプレゼントを渡そうとすると、俺も妹も食べ飽きちゃいましたよと嫌な顔をされる。じゃあ、控室にでも置いておいてよと私は無理やりプレゼントを押し付け、個室を出る。そのまま休憩室で着替えを済まし、タイムカードを押し、裏口から店の外へ出た。私は凝り固まった首を回し、そして夜の新宿の空へ向かって大きく背伸びをした。
「んー、いっちょホストにでも行きますか!」
そうして、数十分前まで寂しい中年男性のママだった私は、女としてちやほやしてくれるお気に入りのホストクラブへと向かうのだった。