第一章5
春香たちが電車に乗ってからかれこれ十五分ほどが経った。
出発した駅から目的の駅へは二十分ほどかかるので、あともう少しで到着することだろう。
和哉は駅に着いてから目的地までは少し歩くと言っていたけれど、まだその目的地がどこなのかは聞かされていなかった。
駅の周辺の地理を考えると商店街周辺が怪しいと、春香は睨んでいる。ただもしそうなると、バイト先が変な場所である可能性が高まる。
その商店街はそれなりに有名で、寂れたイメージのある商店街にしてはまだまだ賑わっている。
表通りに並ぶのはゲームセンターやTCGの大きな店舗。飲食店。メイド喫茶に居酒屋。電子機器やその部品。アニメグッズのお店などだ。
大都会にある某電気街を小さくまとめたような商店街、といえばわかりやすいだろうか。
もちろん昔ながらの服飾店などもあるけれど、普通の商店街よりはオタクの街としてのイメージを持つ人間も最近では多いのだ。
その証拠に年に一度、大規模なコスプレイベントが開かれる場所でもある。
そしてその商店街にはいくつかの裏道が存在する。裏道を覗くと、怪しげなお店を発見してしまうことがある。そういう意味で、バイト先が変な場所である可能性が高まるのだ。
そう思うと、さっきまで消えていた不安がぶり返してきた。
春香は隣に立つ和哉へちらりと視線を向ける。
和哉はのんきに携帯を弄っていた。
「な、なあ、一ノ瀬」
声を掛けると、和哉は春香を見つめてきた。
「どうかした?」
「えっと、その。目的地ってどこかまだ教えてくれねえのか?」
「内緒だって」
「せめて職種だけでも……、」
「んー……。仕方がない。職種だけは教える。接客業だ」
「……いやらしい感じの、じゃねえだろうな」
「いやらしい接客業って、たとえばどういう?」
「その、あれだ。……売春的な」
「なるほど。会った時にぎこちない笑顔を浮かべていたのはそのせいもあったのか。そんなことを不安思っていたのか。変な奴だな」
「なっ……。あんな意地悪そうに笑われたらそう思ってもおかしくねえだろっ」
「そうか?」
「そうだよ! ……というか、そうか。その感じじゃ俺の考え過ぎだったみてえだな。なんだ、心配して損した」
ほっとしたからか、自然と息を吐き出していた。本当に、不安に思っていたことが馬鹿らしい。
「別に普通の場所とは言っていないぞ」
「……、」
「冗談だ。そんな絶望したような顔をするな。……白状すると普通の喫茶店だよ。姉夫婦が経営している店だ」
「喫茶店か。ならまあいいか。でも、なんでそれを条件にしたんだ?」
「バイトが一人、しばらく来られないことになって、代わりを探していたんだ。だからちょうどいいと思って」
「ちょうどいいって……。でも俺、飲食店でバイトしたことねえぜ? いいのか?」
飲食店どころか、バイト自体をしたことがない。ずぶの素人なのだ。そんな人間が誰かの代わりに働くことができるのだろうか。
「そう難しい仕事じゃない。大丈夫だと思うぞ。それに最初はみんな初めてなんだ。なんとかなるさ」
「なら、いいんだけど」
そう言われてみればそうか。と、春香は和哉の言葉を聞いて思った。何事も誰だって初めてはあったはずだ。春香自身にも確かに身に覚えがある。
自転車も一人での通学も。最初は不安だったはずだ。結果、なんとかなってきた。
それと同じようなものだろう。一歩踏み出せば。案外なんとかなることは、意外とあるのかもしれない。
「……というか、自分のことを俺って呼ぶのな」
「……なんだよ、それがどうかしたかよ」
「誤魔化さないのか?」
「うっせ。もう遅いだろ」
「そうだな。……教室で見ていたときは可愛らしい女の子という感じだったから、すごく不思議な気分だ。俺という呼び方だけじゃなくて。エロ本を読んでいたり、男口調だったり。別人みたいだ」
「……おかしいって、言いてえんだろ。わかってる。お前は俺が普通じゃないって思ってるんだ」
「別に思っていないが。そういう人間だっている」
「でも、普通じゃねえだろ」
「逆に聞くが、普通じゃないってどんなのだ?」
「俺みてえな奴」
「葛木は自分のことを普通じゃないと思っているのか? それほど君のことを知っているわけじゃないが、少なくとも君の口調とか一人称が俺だとか、そういうことが普通じゃないなんて僕は思わない。そういう女だっている」
「昼間に真っ黒なジャージを着てぶらついてたり、エロ本を拾って読んでるような奴でも、普通の女だって言えんのか?」
「もちろん。そういう女だっているだろう。だいたい普通なんて他人が決めた尺度でしかない。振り回されることに意味はない」
強い奴だと思った。そんな風に言える人間を、少なくとも春香は見たことがなかった。
周りの人間はみんな、【違う】ということを怖がっている。春香自身も。ひょっとしたら誰よりも怖がっていると言えるかもしれない。
だから和哉のことをとても強い人間だと思ってしまう。羨ましいとすら思ってしまう。
でもきっと、それは一ノ瀬和哉が【普通】だから言えることだとも思うのだ。
普通だから他人と自分が違うということを意識しない。悩むことだってしないのだろう。だから強く生きられる。
心が負けるような【普通ではない何か】を持っていないから、強い人間であれるのだ。
そういう意味でも羨ましいと、春香は思った。
「……お前だって、変な奴だ」
「よく言われる」
そう言って和哉は意地悪そうに笑った。
彼といるとやっぱり調子が狂う。春香はそう思った。こんな相手は初めてだった。
意地悪で腹が立つようなことを平気で言ってきて、けれどどこか芯の強そうな考えを持っている。
怒っていいのか、感心するべきなのか、わからなくなってくるような……。
いや、けれどこの笑顔をみるとやっぱり腹立たしい方が強いと思った。
「それにしても、葛木とこんなに話をしたの、初めてだな」
ふと思い出したかのように、和哉がそう口にした。
その視線は車窓の外、流れていく景色に向けているようだった。
春香も視線を和哉から外して、外の景色に目を向ける。
電車は、ちょうど大きなビルの前を通り過ぎたところだった。
「……そうだな」
春香はそう返事をした。
「葛木は教室でも男と話さないよな。……ずっと気になっていたんだが、君は男が嫌いなのか? もしくは苦手なだけか?」
「別に、そういうわけじゃねえよ」
「ならどうしてだ?」
「俺は女だからな」
「理由になっていないが」
「別物だからだよ」
「別物?」
「ああ。男と女はやっぱり別物だろ。ただそれだけだ」
「……そうか」
詳しく話をしたくないという春香の気持ちが伝わったのかもしれない。和哉はそれ以上多くを聞いてこなかった。それが春香にはありがたかった。
きっとこれは言ってもわかってくれないだろうから。
別物だから対等にはなれない。平等になれてもやっぱり対等にはなれないからなんて、誰がわかってくれるというのか。
同じものを抱えている者以外にはいるわけがないと、春香は思っていた。
本当を言うともう一つ理由があったけれど、それは片鱗でも話す気はなかった。
それは春香の過去を晒すことと同義だ。話せば春香の正体に気づかれる可能性があったから。
その後、二人の間に会話らしい会話はなく。やがてアナウンスが流れ、目的の駅が近いたことを報せる。
目的地は近い。




