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終章

「だからさ、お前には感謝してるんだよ」


 映画館前に並ぶポールベンチに座って、葛木春香は携帯のマイクに向かってそう言った。

 夏休みだった。

 空は晴天。雲一つない澄みきった青空が春香の頭上に広がっていた。


 首元が広くない白のタンクトップに黒のハーフパンツ。ハイカットスニーカーを履いた春香は夏空を眩しそうに見上げながら、携帯で通話をしていた。

 かつてサイドテールにしていた髪型は変わり、短めの髪が時折吹く風に揺れている。


『僕は何もできなかった』


 通話相手の一ノ瀬和哉がスピーカーの向こうでそう言った。そんな彼に春香は笑う。


「そんなことねえよ。お前が【Cloud house】で俺にバイトさせなかったら、たぶん変われなかった。今の俺はいなかったよ」


 あれから。Cloud houseでバイトをしていた夏から、二年が経っていた。

 春香と和哉は高校三年生になり、この夏が終われば大学受験に向けて本格的に勉強をしなくてはならない。

 去年の夏に同じ境遇だった里中凜は大学生になって、今はちょうど夏休み期間中。大学生になった今でもCloud houseでアルバイトをしている。


「お前は俺にきっかけをくれたんだよ」

『あの時の僕はただ交換条件を提示しただけだ。選んだのはハルだろう』

「お前がエロいことさせるとか言い出したから、それしか選べなかったんじゃねえか」

『……あれは冗談だった』

「わかってる。けどお前が選択肢を狭めてくれたからバイトできたんだ」


 和哉は今も倉持裕樹と恋人関係で、幸せそうだ。きっとそう簡単には不仲になったりはしないだろう。春香には少し羨ましい。

 春香はと言えば約束通り一ヶ月ほどアルバイトをしたあと、Cloud houseを辞めた。そしてその頃から少しずつ自分を出すようになった。秘密にしていたトランスジェンダーだということも、少しずつ周りに話していった。


「頼むから素直に感謝を受け取ってくれよ」

『そう言われてもだな。……まあだが、ハルが変わってくれてよかったと思う。素直な笑顔が増えてきたから。前は作り笑いも多かっただろう』

「まあ、そうだな」


 家族に話してみると、意外にもすぐに受け入れてくれて。そんな簡単にいくものなのだと、春香は少し拍子抜けだった。

 それから家族は男子用制服で登校できるように学校側と交渉してくれたりと、いろんなことを助けてくれた。

 家族以外の人たちに関してはそれなりに苦労をしたし、今でもまだ苦労をしている。やっぱり受け入れない人はいるようで、離れていった人たちもいた。


 けれど湊楓や近藤陽菜は傍にいてくれた。もちろん最初は困惑しているようだったけれど、それでも否定はしなかった。春香はそれが嬉しかった。

 寿佳奈美とは今でも友だちで、時々一緒に遊びへ出かけたりしている。彼女の姉にも会って、仲良くしてもらっている。


『本当に、ハルは変わったと思う』


 ふいに和哉がしみじみといった感じで言った。


『変わったから、今の凜との関係があるんだろうな』

「それだよ。……本当、よかった」


 凜との関係は、実は大きく変わった。悪い方向に変わったわけじゃない。むしろいい方向に変わってくれた。


「まさか恋人になってくれるとは、思ってなかったから。本当によかったよ」


 そう今、春香と凜は恋人関係になっていた。

 けれど、すぐに恋人関係になれたわけじゃない。

 あの時、春香が凜に告白した時。凜は少し待ってほしいと言った。本当の春香を知らないから、まずはそれを知るところから始めたい。そういう理由だった。


 だから春香は凜とデートを重ねた。

 凜がどう思っていたのかはわからないけれど、少なくとも春香はデートだと思っていた。


 そうやって関係を深めていって、今年の夏。凜はようやく告白の返事をくれた。

 そうして春香と凜は恋人関係となった。


『今日もデートなんだろう』

「そう」

『それは仲がいいことで』

「お前と裕樹もな」

『当然だ』

「……相変わらずだな」

『まあな』


 その時だった。春香は自分の方に誰かが駆け寄ってくる姿を見つけた。

 里中凜だった。


「あ、【凜】が来た」

『そうか。それなら邪魔だろうから切る』

「おう。……またな」


 春香は通話を終えて、向かってくる凜に向かって大きく手を振った。



 夏は、もう少しだけ続く。







                                   完


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